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カテゴリ:★『自殺の霊的知識』 > 自殺について [霊の書]より

 以下の文章は、[霊の書]という、霊的知識の書物から抜粋した文章です。また、自殺に関するその他の霊的知識は、[自殺してはならない霊的な理由]に書かれています。

問・軽率な行為のために、たまたま命を失った場合、罪がありますか?

答え・傷つけようという意図も思いもないのだから、罪はない。

 以下の文章は、[霊の書]という、霊的知識の書物から抜粋した文章です。また、自殺に関するその他の霊的知識は、[自殺してはならない霊的な理由]に書かれています。

問・自殺で自分の苦しみを短くしようと、死の淵へ身をさらす者の場合、間違っていますか?

答え・神の定められた死の時を待たないのは、常に誤りである。それに、自分の生命の終りの時が今来ていると、誰に分かるだろうか。自分で最後の時と思っていても、どんな救いの手が現れないとも分からないではないか。

-自殺は、普通の状況では、悪い事は当然のことです。しかし、もう死ぬことが分かり切っていて、ほんのちょっとその時間を早めるだけ、という場合がありますが。

答え・この場合、神の御意思のままに従う、その気持が常に欠けているのである。

-この場合、自殺したら、その結果はどうでしょうか?

答え・他の場合と同様である。自殺した状況に応じて罪の重さが定まり、罪の重さに応じて罪の償いがある。

 以下の文章は、[霊の書]という、霊的知識の書物から抜粋した文章です。また、自殺に関するその他の霊的知識は、[自殺してはならない霊的な理由]に書かれています。

問・自分で、それが死を早めると分かっている、恐ろしい激情に落ち込んでいる者、しかし、それが習慣になって自分でもどう仕様もなくなっている者、彼は自殺をしているのでしょうか?

答え・彼は精神的に自殺している。この場合は、三重の罪があるという事が、お分かりだろうか。一つは意思の固さが欠けている、二つには獣のようになっている、三つには神を忘れている罪。

-このような者は、絶望で自殺する者より、なにがしか罪が大きいのでしょうか?

答え・この者の罪の方が大きい。と言うのは、自分はまさに自殺といえる道を歩いている事を、反省してみる時間があったのだから。時のはずみで自殺する者がある。この場合、狂気といえなくもないある程度の戸惑いがある事がある。だが、質問の彼は狂人よりずっと罪が重い。なぜかというと、罪の報いである罰は、その犯行をする際の本人の意識がどうだったか、これと常に関係があるからである。

 以下の文章は、[霊の書]という、霊的知識の書物から抜粋した文章です。また、自殺に関するその他の霊的知識は、[自殺してはならない霊的な理由]に書かれています。

問・他人の生命を救うために、または、他者に役立つために、生命を投げ出した犠牲行為は、価値あるものではないでしょうか?

答え・そのような目的で行われれば、それは崇高である。かような自ら進んでの生命の犠牲は、自殺ではない。神が喜ばれないのは無益な犠牲的行為である、また、自尊心による薄汚れた行為である。犠牲行為は利害が絡んでいない時だけ価値がある。もし、利己の目的で行われるなら、その分だけ神の前では値引きされる。

(注解)他者のために、自分の利益や楽しみを犠牲にする事は、神の前では最大の価値がある。それが愛の法にかなっているからである。生命は地上の所有物の中で、人間が最も価値をおくものである。従って、同胞のためにこれを投げ出す者は、罪を犯すものではない、彼は献身を行うのである。だがその前に、彼は自分の生命が死よりも大事ではないのかと、一度問うてみねばならない。

 以下の文章は、[霊の書]という、霊的知識の書物から抜粋した文章です。また、自殺に関するその他の霊的知識は、[自殺してはならない霊的な理由]に書かれています。

問・早く楽になりたいと願って、自殺する者について、どうお考えですか?

答え・これも愚か者の行為である。かような者には、人に役立つ事をさせなさい。そうすればもっと確実に楽に幸せになれる。この者は自殺によって、幸せな国に入る時を遅らすことになる。と申すのは、彼は地上へ逆戻りすることを請い求めることになろう。愚行で切断された人生をやり直すために。善人の聖域は愚行によっては決して開かれることはない、たとえその動機が何であっても。

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