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カテゴリ:★『自殺の霊的知識』 > 自殺について [霊の書]より

 10章 【地上への再生】

  [霊肉の結合]より


 〔350〕もしある霊が、ある子供の身体にすっかり受肉してしまい、しかも、霊はこの受肉は嫌だと言い出した場合、彼はこういう受肉を後悔するでしょうか。

 「諸君は次のように尋ねているのか。その霊は人間としてこれから背負わねばならない人生を嘆いているのか。別の人生を望んでいるのかと。それならば、そのとおり彼は後悔している。しかしまた、彼が自分の選び方が悪かったと悔やんでいるのかと問うのなら、それは違う、彼は自分が選択した事実を忘れているのだから、と答えよう。一旦霊魂は誕生すると、自分がその肉体を選んだ選択の事実を忘れているから、その選び方を悔やむということはない。しかし、選んだ人生を重荷に感じることもあるだろうから、そこで本当にそれに耐え難いと思うなら、自殺への道を辿るということになろう」

 以下の文章は、[霊の書]という、霊的知識の書物から抜粋した文章です。また、自殺に関するその他の霊的知識は、[自殺してはならない霊的な理由]に書かれています。

自殺について [霊の書]より 目次

自殺の結果

愛する者を失い自殺

迷信の偏見

軽率な行為

苦しみの短縮

恐ろしい激情

他人の為の犠牲行為

早く楽になる為の自殺

恥辱を避ける自殺

不法行為の自殺

絶望の挙句の自殺

自殺に追い込んだ者の責任

自殺に逃げ道を求める者

厭世自殺

自殺と自由意志

自分の命を絶つ権利

生の倦怠

地上への再生

 以下の文章は、[霊の書]という、霊的知識の書物から抜粋した文章です。また、自殺に関するその他の霊的知識は、[自殺してはならない霊的な理由]に書かれています。

問・自殺の結果は、本人の霊の上に、どのように及びますか?

答え・その結果は、個々の場合によって違う。と申すのは、罰が、どのような経過で自殺に至ったか、その状況に応じて色々違ってくるからである。先ず、自殺者全員が等しく受ける罰は、失望落胆これである。他は、それぞれの事情で異なる。自殺者の中のある者達は、死後すぐに誤りの償いをさせられる。他の者達は、償いをするとしても、自分が放り捨てた人生よりも、更に辛い新しい人生で、やり直しをさせられるだろう。

(注解)自殺の結果は個々の場合ですべて違っている、という上記の解答は、観察によって確かめられている。ただし、その中の幾つか、突然に生命を失ったものの場合は、暴力で生命を奪われたものと同じ結果を示している。右の場合の特色は、霊肉を繋ぐ紐が丈夫で切れにくい、切断の瞬間、非常な抵抗を示すことである。これに対し、自然な死の場合は、生命の紐は徐々に弱まり、生命はすっかり燃え尽きる前に、千切れていくのである。暴力的に生命を失った場合の結果の第一は、一般に死後に味わう精神的混乱の期間が永びくこと。第二に、自分は未だ地上で生きているという錯覚を、当分の間持ち続けるということである。霊肉間にある引力のために、自殺者の幾つかの場合、まだ肉体の中にあるような意識をもち、自分は死んだ筈なのに死んでいないので、激しい苦悩と恐怖を経験する。これは本人が自分で縮めた生命の期間ほども続くものである。自殺の結果がすべてこうだとは限らない、しかし、自分で生命を縮めた者は、勇気と忍耐を欠いたことの結果から逃れる訳にはいかぬ。いつかは、何らかの方法で自己の誤りを償わされることになる。実は、ひどく不幸な地上生活を送った霊達が、次のように言っている。自分達はその前世で自殺したということ、それで自ら志願して新しい試練を引き受け、甘んじてこれを耐えたのだということ。ある場合は、自殺したが現世との何かの引っ掛かりが出来ていて、幸福な国を目指しても、道は閉ざされ、徒にもがいているということである。またある場合は、ただ唯あるのは無益な事をしたことの悔恨、それから受取るのは失望ばかり、こういうことである。
 宗教、道徳、及び全哲学体系は、自殺は自然法に反するものとして非難する。その根本原理は、人間には自分の意志で生命を縮める権利はないということである。しかし、なぜ我々にその権利がないのか。なぜ我々は自分の苦しみに終止符をうつ自由をもたないのか。この点、心霊主義は自殺の実例によって、下記のように主張できる。自殺は道徳違反として、間違いであるだけでなく、得るものは何一つなく、更に償いまでしなければならないのであると。この心霊主義の教えは、単に理論にとどまらず、我々の前に展開される事実なのである。

 以下の文章は、[霊の書]という、霊的知識の書物から抜粋した文章です。また、自殺に関するその他の霊的知識は、[自殺してはならない霊的な理由]に書かれています。

問・愛する者を失った悲しみに耐えきれず、来世で一緒になる期待をもって自殺する者は、望みどおり目的が遂げられますか?

答え・自殺しても、その結果は、期待とは逆になる。愛する人に会えるどころか、この悲しい誤りを犯したために、長期にわたり、目指す相手からは切り離されたままになる。神は、この心根の卑怯、神慮を信じぬ神へ向けられた軽侮、この行為に対しては、いかにも一人よがりの本人の願いに、お応えになる筈はないのである。本人は悲しみの時を短くしようとしたばかりに、却って大きくなった悲しみによって、己が愚行の償いをさせられるのである。かねてよりの望みが叶えられることはないのである。

 以下の文章は、[霊の書]という、霊的知識の書物から抜粋した文章です。また、自殺に関するその他の霊的知識は、[自殺してはならない霊的な理由]に書かれています。

問・ある国では、婦人達は夫が死ぬと焼身自殺を遂げます。これはいわゆる自殺ですか?彼女等はその罪を負うことになりますか?

答え・彼女等は迷信の偏見に従ったのであり、また多くの場合、自由意志というより、権力の犠牲者である。本人達も義務を遂行しているのだと信じている。かような行為は自殺の性質をもっていない。彼等が何と言おうと、これは民衆大多数の無知、精神の低さ、その所産である。文明が発達すれば、かような野蛮なたわけた慣習は消え去るだろう。

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