ボスがいなくなって二年あまりが過ぎた。私にとって彼は、その二年間ずっと墓地で安らかに眠っていて、記憶としてちょくちょく顔を出す程度の存在だった。が、もう一人の同僚で、私より二、三年長く彼の下で仕事をしてきたルイーズ・オーエン女史にとっては全く違った存在だった。
 忘れもしない、1924年9月9日のことだった。『クラリッジ』という高級ホテルでの女性新聞記者ばかりのささやかなパーティに呼ばれて、新聞にまつわる面白い話をしたことがあった。パーティが終わる頃には雨が降り出していて、ホテルが用意してくれたタクシーで通りの向かい側の『レヴィル』という店に行った。
 店のショールームへ入ったところ、何週間も会っていないオーエン女史が来ていて、久しぶりなので椅子に腰掛けて話を始めた。そこへ店の支配人が来て私にタクシー代を手渡した。するとオーエン女史が
「あたしもタクシー代を頂いたのだけど、なぜかしら?」と尋ねた。
「はてね?クラリッジでのパーティに出席したんじゃないの?」
「いいえ。ここへフロック・コートを買いにきただけなの。どういうことでしょうね?」
「ここは安物ばかりだよ」
「じゃ、いいわ、お礼にここで全部買っちゃうわ。他の店に行かないで・・・」
多分ホテルのオーナーの計らいでパーティの出席者へタクシーをサービスしてくれたに違いないが、たまたま出てきた女史をパーティの出席者と間違えて、ホテルマンが真っ先に乗せたのである。が、このホテルマンのただの勘違いが、私の人生を大きく変えることになるとは、神ならぬ身の、知る由もなかった。
 二人の話は政治と世界、政治と人間、と発展したが、最後はやはりボスの話になった。
「ボスが生きていて今ここにいたら何と言うかな?」と私が言ったら女史が
「今ここにいるわよ、ボスは。あたし、昨日ボスと話をしたのよ」と言う。女性霊媒のオズボーン・レナード女史による交霊会に出席して、かなりの長時間、ボスと対話を交わしたらしい。[レナードという名前はレナルドと呼ばれることがあるー訳者]
 私は当時まだスピリチュアリズムには関心がなかった。そして多分オーエン女史も関心はなかったと思われるが、交霊会にまで出席するに至る経緯を聞いてみると、成る程と納得がいった。それはノースクリフ卿の遺産相続の問題が絡んでいた。
 ノースクリフの死後、遺言をめぐって裁判沙汰となり、判決が例によって長引いた。社員の中には受け取りの資格を持つ者が少なくなかったので、裁判がこじれているうちに、あらぬ噂を流す者がいた。いわゆるスキャンダルによってノースクリフ卿という名誉ある名前にも傷がついた。明らかに誤解されているものが幾つかあった。
 そのこてでオーエン女史もどうしても黙って引っ込んでいる訳にはいかないことがあって、ある手段に訴えた。それがどういうものであったかは、ここでは公表しない。ノースクリフ卿を弁護する者達からもそれだけは止めて欲しいという要望があったが、女史は後へ退かなかった。[ノースクリフの名前を汚すことになるような事態になることだけは遠慮して欲しい]という趣旨の手紙が届いた時も、女史はこう返事を書いたという。女史の面目躍如というところである。[私のボスはジキルでもハイドでもありません(二重人格者ではないということー訳者)。二十年間も(秘書として)お仕えしたこの私が断言しますが、仕事の面においても私生活の面においても、世に憚るようなことは何一つ致しておりません。(中略)今ささやかれている根拠のない噂を払拭し、数々の超人的な神話と名誉毀損に終止符を打たせたいと思うのです]
 この手紙への返事が二日後に届けられたが、その中にノースクリフ卿の霊界からのメッセージが紹介されていた。それをその後私は直接読ませて頂いたが、私が死後の個性の存続を信じることになったのはそのボスからのメッセージであり、それを読まなかったら本書を書くこともなかったであろう。それは後で紹介するとしてー
 女史はその手紙に対してすぐさま返事を書いた。
[お手紙を拝見して私は少なからず動揺しております。是非お会いして話を伺いたいのですが、僅かな時間で結構ですので、時間を割いて頂けませんでしょうか?]と。
 女史は私に言った。
「ノースクリフ卿に私の知らない秘密があったとすれば、一体それは何なのかーそれを何としてでも知りたかったのです。自分の知らないことなど、あるはずがない。自分は二十年間も側近の一人として仕えてきて、どんな内面的なことでも分かっていたつもりでした。ボスほど開けっぴろげな性格の人間も珍しいと思っていました。どんなにプライベートなことでも、直ぐに言いふらしてしまうのです。
 勿論悩み事も直ぐに打ち明けてくれました。が、心の一番奥に仕舞っておきたいことがあったのだろうか?あったとすれば何としてでも知らねばならない。
 それも、きっと、私のボスの記憶への愛着と比較すれば大したものではないはずだ、と私は思ったのです」
 女史の話は続く。それから間もなく女史はある米国の新聞からの小さな記事が、ロンドンで発行されている雑誌に転載されているのが目に入って読んだ。ニューヨークへ講演旅行中のコナン・ドイル卿がレポーターとのインタビューの中で、ノースクリフ卿の霊と話をしたと語っていたのである。
 それから二、三週間があっという間に過ぎた頃、女史の自宅のラジオが故障した。これがまた意味を持つのである。女史は同じ社の者を呼んで直してもらった。ボスの主義で、簡単なことは自分達で出来るようにしつけられていたのである。
 呼ばれた男がやってきて弁解がましく言った。
「今夜はコナン・ドイルの放送があるので、直り次第帰らせて頂きます。インタビューして記事を書くことになっておりますので・・・」
 それを聞いて女史は、
「じゃ、その時ドイルさんに、ボスの霊と話をしたのは本当かどうか聞いてもらえない?どうしても知らなくてはならないの、本当かどうかを」と頼んだ。
 一時間程してその男から電話が掛かってきた。
「あれは本当だそうですよ。ドイル卿の方からあなたに会いに行くと仰ってました」

 その言葉通りドイル卿は、自らバッキンガム州のオーエン女史の家を訪れた。そして、アメリカに滞在中に確かにノースクリフ卿と話をしたことを証言した。女史はドイル卿に、自分もどうしてもノースクリフ卿に会って確かめたいことがある旨を告げた。そして、その訳を全て打ち明けた。
 ドイルという人は[スピリチュアリズムのパウロ]と呼ばれる程、その霊的真理を経験な態度で受け止めて説いて回っている人で、ただの興味本位で扱ってはならないと主張する。彼にとっては神聖なるものなのである。が、オーエン女史にとってはそんなことは言っておれない、いたって[この世的]な問題が絡んでいる。
 その点を理解したドイル卿は女性霊媒のアニー・ブリテンを紹介し、匿名で女史の交霊会に出席させた。匿名にするのは霊媒が余計な憶測をするのを防ぐ為で、真面目な交霊会ではそれが普通である。信頼性が高くなるのである。
 オーエン女史は胸の高まりを抑えながらブリテン女史の住まいを訪ねた。呼び鈴を押す手が震えたという。ボスの秘密がこのドアの中で解明されるのだろうかと、わくわくする思いでドアをくぐった。
 ところが、トランス状態[注]に入ったブリテン女史の口を使って喋ったのはノースクリフではなく、ブリテン女史の母親で、しかも直接ではなく、女史の指導霊が取り次いだのだった。

 [訳者注 本人の高次元の身体(幽体・霊体・本体)が肉体から脱け出る睡眠と違って、トランス状態というのは、霊媒自身は肉体に留まったまま自我意識を停止した状態のことで、その間にその言語機能を霊的存在に一時的に使わせるのを霊言現象と呼ぶ。が、それはどの霊にも簡単に出来ることではないので、代わってその霊媒の指導霊が通訳のように意思を取り次ぐことがある。この場合がそれである。トランス状態のことを日本では『鎮魂帰神』とか『神憑り』と呼んでいるが、こうした場合の『神』というのは『目に見えない存在』といった程度の意味で、低級霊や邪悪な意図を持った悪霊もいるので、用心が肝心である。]

 女史はその母親が一時間以上にもわたって話すのをじっと聞いていた。自分が幼い頃に他界しているので知らないことばかりだった。だいぶ前に他界した父親のこと、兄弟姉妹のことなど、興味深いことばかりだったが、一番聞きたいノースクリフに関する話はついに出て来なかった。
 帰ってからドイル卿にそのことを告げたところ、今度は牧師のジョージ・オーエン氏を紹介してくれた。早速オーエン氏を訪ねたところ、それならレナード女史が一番適格でしょうということになった。
 レナード女史は当時最も信頼の置ける霊媒として学者の研究対象にもされていたが、普段は肉親を失った人の依頼にしか応じないことをオーエン女史は知っていたので、仲介役として英国心霊科学研究所の会長マッケンジー氏の奥さんに匿名で依頼してもらった。
「レナード夫人は一年先まで予約で一杯なのですよ」
 そう言われたが、オーエン女史にしてみれば、自分が知ろうとしていることに比べれば、少々迷惑をかけてもいいという使命感があった。その使命感が動かしたのか、予約のキャンセルがあって、レナード夫人の交霊会に出席出来ることになった。
 予約の日が来て、オーエン女史はロンドン北部のバーネット区にあるレナード夫人の邸宅に車で訪れた。レナード夫人は勿論オーエン女史のことは何一つ知らない。顔はもとより名前も知らない。ノースクリフ卿との繋がりについても、何も知らない。先入観の入る余地は全くなかった。
 私はその後何度かレナード夫人の交霊会に出席しているので、オーエン女史が訪れた時の様子は想像がつく。
 レナード家には家政婦は雇っていないので、ベルを押すとレナード夫人自身がドアを開けてくれる。入って直ぐの部屋に入ると窓のカーテンが下ろされる。外の明るさを和らげる為である。それからテーブルに向かって座るのであるが、正面が向き合わず、言わば直角に位置を取る。テーブルの上には筆記し易いようにランプが灯されている。
 やがて夫人が両手を目にあてがうと、急に辺りに静寂が漂う。その時既に夫人はトランス状態に入っていて、その身体を別の人格が占領する。フィーダと名乗る女性の霊で、その声の響きから少女であることは容易に知れる。レナード夫人の専属の指導霊で、地上時代はインド人で、百年程前に他界したという。
 「フィーダです」と、子供らしい語り口で話し始めた。すぐ傍にノースクリフの霊が来ていて、オーエン女史へのメッセージを送る。それをフィーダが伝える。以下、女史が筆記[注]したものをまとめて紹介する。

 [訳者注ートランス状態の霊媒の発声器官を使って霊が喋るという現象のメカニズムは、霊媒によってそれぞれに異なるといっても良いほど多様である。霊が霊媒の身体に入り込んで、つまり俗にいう憑依状態で語る場合もあれば、身体から離れた位置からリモコン式に操る場合もある。操る部分が「書く」機能であれば自動書記通信となる。]

 レナード夫人とフィーダの関係では、フィーダは言わば通訳のような立場にある。従ってその表現が一人称になったり三人称になったりすることがある。具体的な例を示せば、「君をここへ連れて来たのは私だ」とノースクリフが述べた場合、フィーダは「彼はあなたをここへ連れてきたのは自分だと言ってます」と表現する場合もあれば「私があなたをここへ連れてきました」と直接法で言う場合もある。ここでは全て一人称に統一しておく。[二人はボスと秘書の関係なので、you を直後関係から、『あなた』にしたり『君』にしたりしてあるー訳者]