1922年8月14日ーこの日だけは絶対に忘れない。ボスが他界した日である。一日中涙が止まらなかった。が、仕事は休まなかった。
 実はその数週間前から、私はボスの伝記を書く為に資料を収集していた。死を予感していたわけではない。あれだけの人物なのだから、いずれは必要になると思っただけである。
 私個人としてはボスの欠点の方が人間らしくて好きだったから些細なことまで書くつもりだったが、余計な憶測を生みかねないことだけは除外した。それには同僚のチャールズ・サンディマンも協力してくれた。原稿に細かく目を通してくれて、その間に自分で思い出したものを付け加えてくれたり、こんなことを書いたらボスが怒るんじゃないかと思うものを削除してくれたりした。ボスの急死の報はそんな中でもたらされた。
 「Bystander紙にボスに関する記事を頼む」という依頼を受けた時、私はDaily Graphic紙の校正刷りを手にしたまま泣いていた。
 「今は何も書きたくない」と答えながらも、用意していた資料を元に、Daily Graphic紙にもう一ページ分の記事を書いた。それをトップ記事として、[偉大なるジャーナリストの死]の見出しで掲載した。その書き出しの文は「この記事を私は涙に暮れながら書いている」というものだった。
 それを読んだ読者から「彼が偉大なジャーナリストかな?」という声も寄せられた。その夜には私に面と向かってボスを悪し様に言う者まで現れて、もう少しで取っ組み合いの喧嘩になりそうになった。正直言って、私もボスのことを悪し様に言ったことは何度もある。が、同じ悪口でも、ムカつく程の不快感を覚えさせるようなことは、ボスに限らず、誰のことでも言ったことはないつもりだ。
 それはともかくとして、そうやって私が会う人ごとに世界一の宣伝屋のことで語り合っていた時、当の本人は既に別世界から死後存続の真理の宣伝を始めていたのである。棺桶から脱け出て、フォレストヒルの交霊会で喋ったーいや、喋ろうとして懸命に努力していたのだった。
 最初は名前も名乗らずに出現したらしい。が、ポター氏を始めとするサークルのメンバー達は、その話し振りで、いわゆる新参者であることが直ぐに分かったらしい。ポター氏の記録を紹介しよう。

 その後エリス・パウエルが出現したので、やはりさっき出たのはノースクリフであることを確信した。というのは、パウエルはノースクリフに関心を抱いていたし、このサークルの中心的指導霊とも親しくて、これまで何度も出現していたのである。が、その時は雰囲気が弱々しくて、脳の病気の後遺症が見られた。次の会(十八日・木)にも出させてもらう予定であると言い、今は楽になり、痛みからも解放されたと述べた。
 霊媒に乗り移っている間に全員で賛美歌を三番まで斉唱した。終わると「もっともっと歌ってください」と言うので、続けて残りの三番を歌った。会も終わりに近づいた頃、霊媒の私の息子がトランス状態で席を立ち、ソファに置いてあったイブニング・ニューズ紙を手にして私の前まで歩いて来て「この男が私です」と言う。その一面トップにはノースクリフの大きな写真と共に訃報が掲載されていた。その日はそれで終わった。
 次の木曜日に、予告通り前回に新しく出た霊がまた出現して、ノースクリフと名乗った。前回出た時よりずっと元気そうで、礼を言い、地上界との通信の為に我々を利用することになっていると述べた。
 その後サークルの指導霊が出て、今のはノースクリフ霊で、今後このサークルを通して地上界へメッセージを送ることになるであろうと述べ、次に出る時はもっと元気になっているであろうー彼は元来が偉大な霊で、地上界の霊的覚醒「スピリチュアリズム」の仕事を担っている、と締めくくった。
 次の木曜日にも出現した。だいぶ元気が出て来たことを告げてから「皆さんありがとう。こうして喋るのはとても難しいです。ですが、頑張ります。これからも出ます」と述べた。
 次の木曜日(八月三十一日)にも出現して、今度はハームズワースという本名を名乗り、さらに、自分がどれくらいの声が出せるか、その音域を試すかのように、時折大きな声で喋ったりした。その後賛美歌を歌って欲しいと言うので、メンバーみんなで歌うと自分も唱和した。それが終わると今度は急にSpiritual Truthの最新版に言及して、「二ページの三つ目の欄はアレではいけないー改めないと・・・新聞というのはトップ記事をもっと目に留まるように工夫しないといけません」と述べて、言いたいことは他にも山ほどあるけど、「今日はこれくらいで失礼します。お邪魔しました」と言って引っ込んだ。
 次の月曜日にはノースクリフが真っ先の出て、私「ポター」に向かって「今日はパウエルが審議会[訳者注 スピリチュアリズムの活動は世界的規模のもので、各地で密かに催されているサークルの指導霊達が一年に何回か会合を開き、それまでの計画の進捗具合を報告し、これからの計画を言い渡されるという。]に出席していて出られないので私が代わってお答えします。これまで彼が述べて来たことは彼に託されているメッセージのごく一部に過ぎません。それにはこの活動に関わる霊団の全ての者の願いも込められています」

 サークルのメンバーからの色んな質問に答えた後、
 「こちら(霊界)では『現代』という時を最大限に活用します。『未来』の為の『現在』を生きているのです。地上界もそうならないといけません」と述べた。その頃はどうやら霊界でも組織の再編成が行われていたらしく、地上界へ届けるメッセージにも変化が出てきた。その間ノースクリフは出る機会がなく、次に出たのは翌年1923年5月3日の木曜日だった。
 その後ノースクリフは五月十日、十七日と出て、次に出たのは八月二十日だった。メンバーの一人から「前回仰りたかったのは教義とか道義の問題でしょうか?」と問われて、次のように答えた。

 教義のことですよ。キリスト教にも教義があるではありませんか。論理・道徳の問題に関しては私には言う資格がありません。私は新聞社の経営者ですーいや、ついこの間までそうでした。どうぞ質問なさる時はそのことを念頭においてください。私の論理・道徳観はすっかり変わりました。とても語り尽くせません。それを実践的に体得するまでには至っているかどうか、自分でも分かりません。こちらへ来てから視野の地平線が果てしなく広がっております。
 
 次に出現したのほぼ一年後の1924年7月24日で、およそ次のように述べた。

 また出られて嬉しく思います。今日申し上げたいのは、俗世のことに関わるのはよろしいが、ジャーナリズムだけは避けなさいということです。こちらへ来て地上界を見ておりますと、ますますその感を強くします。[訳者注 ここでは新聞・雑誌による情報のことであるが、現在ではテレビやコンピューター、中でもインターネットなどを媒体として無選別で入り込んでくるので、メリットと同時にデメリットも当時とは比較にならないほど多い]
 勿論ジャーナリズム界全体が悪いとは言いませんが、一部の偏向したジャーナリストの存在は国家にとって害毒となります。地上界の報道記事を見ておりますと、知性を持つ人間がよくもこんなものが読めるものだと呆れなす。
 ジャーナリズムは既に最盛期を終えました。現代を象徴するプラカードが幻影であることを知る時が遠からず来ます。そして[センス]が[ナンセンス]に取って代わります。教養至上主義の文明がこれ以上はびこるとは思えません。いずれ満腹の時代が来て、不消化と共に飽きが来ます。現今の地上界の実情にはイライラさせられますが、私が何よりも望んでいるのは、新聞が国民の持ち物となることです。つまり、一部の人間のイデオロギーやポリシーを国民に押し付けるのではなく、ニュースと思想をあるがままに一般国民に伝達することです。現在の新聞はどちらも伝達しておりません。
 現在の新聞は、一方では、センセーショナルではあってもナンセンスな話題ばかりを報道しております。実は私も最初のうちはそうでした。が、その後私自身はその弊害に気づいて、永続性のある価値ある話題に切り替えました。他方、地上界は不道徳が蔓延り、霊性が欠如しております。新聞は国民の所有物であるべきです、金と権力にものを言わせる者が濁流に呑み込まれる時代が来るでしょう。                                    皆さん、おやすみ。

 それから数週間後に出現した時は雰囲気がすっかり変わっていた。

 皆さん、今晩は。前回お話した時から随分になるような気がします。今では地上界のことは遠い記憶、もっと正確に言えば『悪い夢』のようなものになってしまいました。殆ど忘れておりますし、思い出したいとも思いません。現在の霊界での生活には、最早何の関わりもなくなりました。もう必要もなくなったと言ってよいでしょう。しいて善意に解釈すれば、これからの生活で二度と犯してはならないという警告のようなものです。
 私は今ようやく勉強を始めたところです。『始めたところ』と言いましたが、正直いってこちらへ来てから見ること聞くこと全てが新しいことばかりで、何世紀という時間が風に拭かれた籾殻のように、あっさりと吹き飛んでしまいます。ですから、私は皆さんに何かを教えたくて出てくるのではありません。現在の私の考えを述べているだけで、時が経てば変わるかもしれません。摂理は一度には学べません。どこを見ても学ぶべきことばかりで、水平線が広がるにつれて、いくらでも学ぶべきことがあることを思い知らされることの連続です。
 私は古い自分を『殺す』ことが出来るようになりました。古い自分を抑え込み、新しい自我を表面に出すことに努力しているところです。自我というものがやっと分かるようになりました。今になって分かるのですが、地上時代の自我は型にはまって一歩も進歩していませんでした。しかし、今やっと私はその型を切り崩し、バリアを取払い、霊的向上のスタートラインに立ちました。これは地上時代のいかなる発見にも勝る大きな発見です。古い自我を葬り去って、新しく生まれ変わるのです。
                                 では、おやすみ。

 こうした一連のメッセージが、初めてサークルに出席した時と同じ霊媒クリフォード・ポターの口をついて出たのである。声は確かに若いクリフォードの声に違いないが、話し振りは間違いなくあのボスである。もっとも、サークルのメンバーにとってはノースクリフという人物は言わばどうでもよい霊であったろう。他にいくらでも素晴らしい馴染みの霊がいたのである。が、ポター氏は綿密に書き取ってくれていた。しかも、他界した1922年8月14日の夜には既に出現していて、ポター氏は親切にもその事実をDaily Mail社に送ってくれていたのである。
 が、当然のことながら編集部はそれを無視した。仮に私がデイリー・メールの主幹であったとしても無視したであろう。そして、今思うに、ポター氏も無視されることを念頭に置いていたことであろう。