前章で紹介した記録を読み終えた私は、ノースクリフにまつわる霊言現象を本格的に検証してみようと決意した。でっち上げではないのか・・・・それを突き止める為に、かつて足を踏み入れたことのない未知の世界へと入ってみることにした。
 そもそも私がスピリチュアリズムに関することを耳にしたのは、ほぼ二十年前の1904年のことだった。妻と共に「英国南部の保養地」ブライトンに滞在していた時に、ジョルジーナ・ウェルドンという婦人が、フランスの作曲家グノーから素晴らしい霊界通信を受け取ったという話を耳にした。ウェルドン女史は生前グノーと親しい間柄だったが、遺産問題で訴訟を起こすなど、憎み合う仲になった。それがグノーの死で一件落着となった後にグノーからの通信が送られて来た。
 そのメッセージは雑役婦をしていた女性の手で綴られ、美文調のフランス語の散文とラテン語の詩で書かれており、雑役婦にはとても書けるものでないことは一見して直ぐに分かった。ウェルドン女史はそれを単行本として出したが、私は当の夫人からこの種のものには作り物が多いことを聞かされていたので、それきり忘れていた。 
 それから数年後の1915年に、私が主筆をしていたWeekly Dispatch紙に、当時のそうそうたる著名人でスピリチュアリズムに理解のあるオリバー・ロッジ卿、アルフレッド・ターナー卿、ウィリアム・バレット卿、エリス・パウエル博士等々に投稿をお願いしたが、それは、第一次世界大戦で何万という若者が戦死し、その母親達が悲嘆に暮れている様子を見るのが耐えきれなかったからである。
 ボスのノースクリフの命令であの有名なヴェール・オーエン牧師の自動書記通信Life Beyond the Veil(日本語訳『ヴェールの彼方の生活』
)を連載したのは1919年で、大旋風を巻き起こした。その内容が伝統的キリスト教とは相容れないものだったことから、教会の長老から撤回を迫られ、それを拒否したことでオーエン師は牧師職の剥奪を脅迫されるに至った。 
 が、オーエン師は躊躇無く辞職願いを出した。というのも、オーエン師はノースクリフが「ウチの新聞に出してもよい」と述べた日に家族会議を開いた。そして「これを新聞に出そうと思うが、どうだろうか?言っておくが、これで我が家が破滅に瀕することは間違いない。人生を一からやり直すことになるが、それでもよいか?」と言った。すると「構いません、これは真実なのですから」と、家族全員が述べたという。
 ボスはそれから二年後に他界するが、その日は夜にはポター氏のサークルに出現していた話は既に書いた。そして、それから私の文士仲間のデニス・ブラッドレー氏のサークルに出現することになる。
 ボスのことが知りたい一心でスピリチュアリズムにのめり込んでいった私が知ったことは、詐欺師的な霊媒が殆どだということで、戦争で我が子を失った親の悲しみにつけ込んで、適当な芝居じみたことを演じて感激の涙を流されているに過ぎないことだった。
 が、他方にはスピリチュアリスト教会というのが英国中に500以上もあって、日曜日にキリスト教と同じやり方で礼拝をする他に、週一回、何曜日かに交霊会を行っていて、これは大体において真面目な集会であるように思えた。
 周知の通り、中世のヨーロッパでは魔女狩りというのが行われた時代があった。ちょっとした噂でしょっぴかれて、拷問を受け焼き殺されるということが横行した。まさに恐怖の時代で、若い女性のいる家庭は戸締まりを厳重にして一歩も外へ出ない日が続いたようである。
 そうした風潮が逆転して、堂々と交霊会が催され、霊的治療も行われ、奇跡的治療も頻繁に聞かれるようになった。壇上から霊能者が出席者の傍にいる霊の姿格好を叙述し、その身の上を的確に言い当てるという、いわゆるデモンストレーションも盛んになった。
 心霊写真で有名なクリュー市のウィリアム・ホープが名を馳せたのもこの頃で、A・E・ディーン夫人と共に一種のブームを巻き起こしていた。が、この分野でも詐術の疑惑がつきまとった。二重写しの疑念は当然のことであるが、悪意の嫌がらせも少なくなかったようである。
 例えばディーン夫人が英国心霊研究所を詐術のかどで解雇されたという記事が、ある新聞に掲載された。当時の同研究所の所長J・H・マッケンジー氏がそれは事実無根であるとの声明を出しても、新聞はそれを取り上げようとしなかった。オリバー・ロッジ卿も弁護する声明を出したが、それも掲載してもらえなかった。
 しかし他方には、英国人でその名を知らぬ人はいない程の人物で、死後の存続を信じている人を私は数多く知っている。その人なりの経緯で霊的体験をして確信するに至ったのである。懐疑派の学者は口を開くと「証拠」や「証明すること」の必要性を強調するが、「証拠を見せられた」から、或は「証明された」からといって必ずしも信じることには繋がらないことを知る必要があるだろう。
 むしろその逆に、第三者には全く意味のないことでも、当人にとっては「絶対的な確信」を得るきっかけになることがあるのである。他ならぬ私がそういう体験をすることになるのだが、それは次章で詳しく紹介する。
 それにしても、よく調べてみると、途方途轍もない現象が幾つも起きている。例えば1871年にはサミュエル・ガッピー夫人の驚異的なトランスポーテーション(またの名を[アポーツ現象])が話題となっていたようである。

 [訳者注 トランスポーテーションの原理はまだ解明されていないが、人体浮揚現象とアポーツ現象が組み合わされたような現象である。人体浮揚は衆人が見ている目の前で、文字通り人間がまるで見えない紐で吊り上げられるように空中に浮き上がり、天上に触れたり、時には窓から出て別の窓から入って来たりする。アポーツ現象には戸締まりを厳重にした部屋で交霊会を催している最中に様々な品物や果物、時には生き物が運び込まれる現象で、ドアや壁が障害になっていないことから、いったん非物質化して持ち込み、再び物質化するのであろうという説と、いったん四次元世界へ持ち込んで運び、三次元へ戻すのであろうという説がある。]

 ガッピー夫人は巨体の霊媒として知られていたが、ロンドンの自宅から三マイル離れた場所で開かれていた交霊会の部屋へ運び込まれている。出席者名十一人で、それを報じた記事によると、入り口のドアはロックされていたという。
 数ヶ月後には同じく女性霊媒の ロッティー・ファウラーは、オックスフォード通りでバスに乗っているところをトランスポートされて、ロンドンのブルームズベリで開かれていた交霊会の部屋に運び込まれている。それから七年半後にはヘンダスンという写真家が、ガッピー夫人の交霊会に出席している最中に一マイル半離れた自宅まで運ばれている。反対にイズリントンの通りを歩いていた人がガッピー夫人の家に運び込まれたこともある。
 以上の実例はいずれも1870代のもので、私は当時まだ十歳前後のことであるが、その後も散発的に発生している。同じく新聞記者をしている知人が交霊会に出席してみたところ、厳格な監視(戸締まりを確認し、バケツの水の量を計り、室内を徹底した点検)をした後で、そのバケツの中に五匹の金魚と二匹のなまずが持ち込まれたという。
 その交霊会にはたまたまポター氏も出席していて、例によって細かくメモをとって、次のような記事を公表している。

 「最初の二匹が運ばれて来た後、バケツの水の量を計ってみたところ1.2リットル程になっており、四分の一リットル程増えていた。六匹目にまた金魚が運び込まれたが、これは仮死状態だった。そこで直ぐに元に戻したらしい。いつの間にかその金魚の姿が消え、水が四分の一リットル程減っていた」という。この例で分かるように、水も一緒にトランスポートされたことが分かる。