さて大門は神道流の修法に入り、まず長剣を振りかざして呪文を唱えながら「エイヤ、オー!」の掛け声と共に市次郎を切りつける仕草を幾度か繰り返しているうちに、最早危篤状態と思われていた市次郎がむっくと起き上がり、武士のごとく頓挫して
 「余は元は加賀の武士にて、故あって父と共にこの地に至り、無念のことありて割腹せし者の霊なり。これまで当家に祟りしが、未だ時を得ずにまいった次第。一筋の願望あってのことでござる」
と、いかにも武士らしい口調で述べた。
 そこで大門が何の目的あってこんな遠隔の土地まで来たのかと訊ねると、それには深いわけがあり、今ここで軽々に打ち明けるわけにはいかないが、加賀の国を出た父親の後を追っているうちに六年後にこの地で巡り会い、是非お伴をさせてほしいと願い出たが、父は『ならぬ』の一点張りで、その場で船でどこかへ行ってしまった。取り残されて一人思いを巡らしたが、『義に詰まり理に逼(せま)りて』ついに切腹して果て、以来数百年、ただ無念の月日を送ってきた、という。
 ここでいう『深い訳』というのは、この後で改めて問い質されて語ったところによると、こうだった。この武士の家は殿から三振りの刀を下賜されたことがあるほどの誉れ高い家柄だったが、ある時お家騒動があって、それに巻き込まれた父親が濡れ衣を着せられ、殿からお咎めを受けて国外追放処分となった。
 出国に祭し、数え年十七歳だったその武士も是非お伴をさせてほしいと願ったが、お前は我が家のたった一人の男児なのだから居残って家を再興してくれと頼み、母親にもそのことをしっかりと言い含めておいた。が、どうしても父を慕う思いを抑えきれなくなったその武士は、母親の制止を振り切って、伝家の宝刀を携えて出国し、諸国を訪ね歩くこと実に六年の後に、やっと父に巡り会ったという次第だった。