続いて大門が『一筋の願望』とは何かを訊ねると、自分の石碑を建ててもらうことーそれだけだと答えるので、では姓名を教えてほしいと言うと、それは勘弁してほしい、七月四日と書くだけにしてくれという。
 姓名を刻まない石碑など聞いたことがないので受け合う訳にはいかないと大門が言うと、武士たる者、人目を憚って国を出た以上は姓名を明かすわけにはいかないのだと、なおも拒み続けるので、大門は
 「ならば石碑建立は叶わぬものと思われよ」
と冷たくあしらう態度を見せると、武士もやむなく、しぶしぶ打ち明けた。その名は[泉 熊太郎]だった。
 この武士が正確にいつの時代の人物であるかは特定出来ないにしても、武士の世界では人生の節目ごとに呼び名を変えることは珍しくなかったから、[熊太郎]はその一つにすぎないとみてよいが、[泉]の姓に偽りはないものと信じてよいであろう。ここでは紹介する余裕はないが、その前後の大門とのやり取りの内容からみて、そう直観出来る。
 私は念の為に現在の加賀市の郷土史家にこの古記録の要旨を書き送り、数百年前の歴史にどういうお家騒動があったか、その中に[泉]という姓の者が国外追放処分になってお家断絶となったものはないか、といった点を、雲を掴むような話であることを承知の上で、一応、お訊ねしてみた。
 すると、実に丁重なご返事を頂いた。しかし結論からいうと、やはり古い時代の史実となると全くつかみ所がなく、分かりかねますということだった。無理もないことで、特にお家騒動というものは、もし記録に残すとすれば改ざんするのが常だったそうなので、そういう形での実証はとても出来ないと諦めた。
 では、他にどういう実証法があるのかということになるが、実はこの記録を読んでいくうちに、学問的実証とは異なるが、「これは間違いなく古武士だ」という心証を抱かせるものが随所にあるのである。審神者(さにわ)を勤めた大門も、最初のうちは『もしかしたら動物霊かも・・・』という疑念を抱いていたが、そのうち間違いなく人間の霊で、述べていることに嘘偽りはないとの確信に至ったと記している。