審神者にとって、そうした霊的なものを判断する上で一番大切な武器となるのは、その『心証』ないしは『直観力』である。『観破力』といってもよい。直観的に見抜く能力で、相手(霊)が述べている言葉や態度から受ける印象で判断する。何しろ人間の目には見えないのであるから、いかなる人物や神々の名でも名乗ることが出来る。が、述べていることや、その述べ方には、いかに装ってみたところで本性が表れるものである。
 素人流に考えると霊視力があればよいように思えるが、なまじっかな霊視力の持ち主は見えたものを直ぐに『正体』と思い込んでしまう。ところがーここが霊的なものの難しさであるがー霊視力というのは、肉眼と違って、浅い段階のものはとかく主観的な映り方をするもので、自分の思い込みや願望が混じったりする。また、相手の霊力によっていかようにでも操られる危険性もある。低級霊が観音様のような姿を装うことも出来る。未熟な霊能者だとすっかり騙されてしまう。
 修行と体験を積んだ老練な霊能者だと、その霊視力も大いに頼りになり、協力な武器となるが、それでもなお、狡猾な霊にも上には上がいるので、やはり霊的威力を秘めた観破力が最後の、そして最大の武器となる。
 これは、我々が霊言とか霊信と銘打っているものを読む際にも大切なことで、述べていることがいくら立派そうでも、或は名乗っている名前がいくら有名なものであっても、それを鵜呑みにしてはならない。そういう無用の交雑物を排除して、直観的に真実を見抜く必要がある。
 英語の諺に「静かに流れる川は底が深い」というのがある。つまり、出来た人物程大言壮語はしないということで、言い換えれば大言壮語する者は程度が低いということである。日本にも「浅き瀬こそあだ浪は立て」という言葉がある。昨今、霊言や霊示と称するものが多く出版されるようになってきた。是非この尺度を用いてみられることである。