ノゼの近くのヴィラト村に、ジュリエンヌ・マリという貧しい女性がいた。年老いて、肢体不自由で、村から施しを得て生活していた。
 ある日、池に落ちたが、いつも彼女を援助していたA氏によって発見された。家に運ばれた時には、既に亡くなっていた。「自殺したのではないか」という噂が立った。
 彼女が亡くなった当日、医者のB氏はー霊実在主義者で、且つまた霊媒でもあり、彼女が亡くなったということは知らなかったー、側に誰かがいるような気がしたが、その理由は分からなかった。彼女が亡くなったということを聞いた氏は、「あれは彼女の霊が来ていたのではないか」と思った。
 B氏から事情を聞いたパリ霊実在主義協会のメンバーの一人が、B氏の為に、この女性を招霊した。何らかの意味で彼女の役に立てれば、ということでそうしたのである。
 しかし、その前に、指導霊に伺いを立ててみたところ、次のような回答を得た。

 「招霊してもよろしい。彼女は喜ぶでしょう。
 しかし、あなたが彼女にしてあげたいと思っていたことは、彼女にとっては不要です。彼女は幸福で、彼女のことを思ってくれていた人々に対して、献身的に尽くすつもりでいます。あなたは彼女のよき友人でしたね。彼女は殆どずっとあなたの側におり、あなたが知らない間に、あなたと対話をしているのですよ。
 今、彼女はあなたがしようとしている善なる行為を支援したいと思っています。イエスが仰った次の言葉を思い出してください。
 『低くされた者は、高くされるであろう』
 彼女からは多くの支援を受けることが出来るでしょう。しかし、それも、『あなたの行為があなたの隣人にとって有用である』という限りにおいて許されるのです」

ー招霊します・・・。
 こんにちは、ジュリエンヌ=マリ。あなたが幸福だということを伺い、とても安心しました。そのことが一番気になっていたからです。
 でも、いつもあなたのことを考えているのですよ。そして、お祈りの時は、必ずあなたのことを思っています。
 「神様を信頼しましょう。あなたに関わりのある病人達に、敬虔な信仰をお勧めしなさい。必ず上手くゆくでしょう。
 でも、見返りを求めてはいけません。天上界に還った時に、それはおのずと与えられるからです。その素晴らしさに、あなたはきっと驚くことでしょう。神様は、同胞の為に尽くした者には、必ずご褒美をくださいます。そして、その奉仕が完全に無私のものとなるように導いてくださいます。無私の心で為されない奉仕は、すべて幻、空想に過ぎないからです。
 『まず何よりも信仰を持つ必要がある。信仰がない場合、全てが虚しい』
 どうか、この箴言(しんげん)を覚えておいてください。きっと、その結果の素晴らしさに驚かれることでしょう。あなたが治してさしあげたお二人の病人が、そのよき証となるでしょう。ああした状況では、信仰なしに、単に薬を与えただけでは、決して治らなかったはずなのです。
 病人を癒す為の生体エネルギーを下さるように神様にお願いしても、その願いが聞き届けられないような場合、それはお祈りに込めるあなたの熱意がまだ充分ではないからなのです。私が申し上げた条件の下に為されて初めて、お祈りは熱意溢れたものになるのですよ。あなたが、先日、心の底から次のように祈った時に感じた、あの感激を思い出してください。
 『全能なる神よ、慈悲溢れる神よ、無限なる善の神よ、どうか私のお祈りをお聞き届けください。そして、Cさんを癒す為に、天使をおつかわしください。Cさんをお哀れみください。そして、Cさんが再び健康を取り戻せますように、よろしくお願い致します。あなたなしには、私には何も出来ません。あなたのお心から成就されますように』
 あなたが、ああした下層の人々の為に働くのはとても善いことです。苦しみに満たされ、この世の悲惨さを忍んでいる人々の声は、必ず聞き届けられます。そして、あなたが既にご存知のように、奉仕の行為は必ず報われるのです。
 さて、それでは、私のことを少々お話させて頂きます。そうすることで、私が今お話したことが本当であると確信出来るでしょう。
 霊実在論を学んでいるあなたであれば、今こうして語っているのが霊としての私であることは、当然お分かりのはずです。したがって、そのことに関しては詳しく触れません。
 また、今回の転生の前の転生についても触れる必要はないと思います。今回の私の生き方をご覧になったあなたであれば、その前の転生がいかなるものであったか、おおよそ見当がつくはずだと思うからです。私の過去世は、必ずしも満点ではなかったのです。
 今回、私は、体が不自由で働くことが出来なかった為に、一生の間物乞いをして、悲惨な人生を送りました。お金を貯めることなど、殆ど出来ませんでした。晩年に至って、ようやく百フラン程貯まりましたが、これは、私の足が最早私の体を運べなくなった時の為のものでした。
 神様は、私の試練と償いが充分に済んだことをお認めになって、ようやく私の人生に終止符を打たれ、私を苦しみに満ちた地上から引き上げてくださいました。
 私は、人々が最初に思ったように、自殺したというわけではなかったのです。私が最後の祈りを神様に捧げている最中に、私は、突然、池のほとりで死を迎えたのです。そこが坂になっておりましたので、私の体は自然に池に落ちたというだけなのです。
 苦しみは全くありませんでした。私は、じっと耐えながら、滞りなく自分の使命を果たすことが出来て、今、とても幸せです。私は、自分に許された力と方法が及ぶ範囲で、人々の役に立つことが出来、また、隣人に対して過ちを犯さずに済みました。
 今、こうして、ご褒美を頂き、神様にー私達の主なる神様にー、心より感謝申し上げるのです。
 神様は、地上での一生の間、私達の過去世のことを忘れさせてくださり、そのことで人生の辛さを和らげてくださいます。また、人生の途上に、思いやりに溢れた人々を配してくださり、私達が、過去世で犯した過ちという重い荷物を背負い続けるのを、助けてくださるのです。
 私がそうしたように、どうか辛抱強く生きてください。そうすれば、必ず報われます。
 色々と助けてくださり、そしてまた、お祈りをしてくださったことに対して、心より感謝申し上げます。このことは決して忘れません。
 やがて再びお会いすることになるでしょうが、その時に、もっと多くのことをご説明致しましょう。今お話しても、お分かりにならないことが沢山あるのです。
 どうぞ、私かあなたに全面的に奉仕するつもりであることをご承知おき下さい。苦しんでいる人々を救おうとする時、もし助けが必要であるのならば、私は必ずあなたのお側に参ります」

 1864年に再びパリ霊実在主義協会において招霊されたジュリエンヌ=マリの霊が、次のようなメッセージを送ってくれた。

 「会長様、こうして再び招霊してくださり、誠に有り難うございます。
 あなたが感じ取られた通り、私は、過去世においては、社会的に見て高い地位に就いていたことが多かったのです。そして、その時に、自惚れと慢心から、貧しく惨めな人々を拒絶するという過ちを犯した為に、今回はこうして貧しさという試練を受けることになったのです。[目には目を、歯には歯を]という応報の理に従い、私は、この国で最も悲惨な極貧生活を送ることとなりました。
 それでも、神様の思いやりを教えて頂く為に、全ての人から拒絶されるということにはなりませんでした。
 そういうわけで、私は、不平も漏らさずに、辛酸に満ちた、流謫(るたく)の地において、あの世での幸福を予感しつつ、どうにかこうにか過ごすことが出来たのです。
 若々しい魂に戻って霊界に還り、愛する霊達に再び会えるということは、本当に嬉しいことです。
 こうして感謝出来るのも、B氏が通信を受け取ってくださるからです。氏の助けがなければ、こうして感謝の思いを伝えることも出来ず、また、私が氏の善良な心から受けた影響を決して忘れていない、ということを言うことも出来ず、神聖な霊実在論の普及をお願いすることも出来なかったのです。
 氏は、迷える魂達を正しい道に連れ戻すという使命を持っています。きっと私の支援が必要であることを感じられたのでしょう。そうです、私は、霊界の様子をこうしてお伝えすることで、生前、氏にして頂いたことを百倍にしてお返しすることが出来ます。
 有り難いことに、主がご許可くださった為に、こうして霊達が通信を送ることが可能となっています。
 どうか、貧しい人々は、苦しみを耐え忍ぶ勇気をそこから汲み取ってください。
 そして、裕福な人々は、慢心に陥らないように注意してください。どうか、不幸な人々を拒絶することは恥であるということを知って頂きたいのです。さもないと、私と同様、再び地上に生まれ変わって、社会の最下層に属し、人間の屑と見なされながら、過ちを償うことにもなりかねません」

 以上の霊示はB氏を通じて降ろされたものであるが、さらに、B氏が助言を求めると、次のようなメッセージが返ってきた。

ージュリエンヌ=マリさん、霊実在論をさらに高度なものにする為に、霊界からご支援くださるということでしたが、私自身にもご忠告をお願い致します。あなたの教えを役立てる為に、可能なことは全て行うつもりでおります。
 「これから申し上げることをよく覚えておいて、常に実践するようにしてください。
 まず、自分に可能な範囲でよろしいですから、常に慈悲を実践してください。あなたは慈悲が何であるかをよく理解していますので、地上生活でのあらゆる側面で、慈悲を実践することが可能なはずです。したがって、このことに関しては、特に申し上げることは致しません。良心の声に従って、最も正しい判断を行ってください。良心の声に忠実に耳を傾ける限り、あなたが過つことはありません。
 次に、霊実在論を普及させるという使命を遂行する上で、どうか過ちに陥らないようにしてください。小さい人は小さい使命を、偉大な人は偉大な使命を持っているのです。私の使命は、既に申し上げたように、大変辛いものでした。しかし、それは過去世で犯した過ちに見合うものであったのです。
 パリ霊実在主義協会に多くの人が集うことになるのは、あなたが考えているほど遠い将来のことではありません。霊実在論は、数多くの妨害を受けてはおりますが、大いなる歩幅で進んで行くでしょう。
 したがって、皆様、決して恐れることなく、情熱を持って突き進んでください。あなた方の努力は、勝利の王冠によって必ず報いられるでしょう。
 人が何と言おうと関係ありません。つまらぬ批判など問題にする必要はありません。正しい人に対する間違った批判は、批判した人のところに返っていくのです。
 傲慢な人々は、自分を強いと思い、あなた方を簡単に打ち倒せると思っています。しかし、友人達よ、常に穏やかでありなさい。そして、彼らと戦うことを恐れてはなりません。彼らを倒すのは、あなた方が考えているよりも遥かに容易だからです。
 彼らの多くは、実際には、真理によって自分達の目が潰れるのを恐れているにすぎません。ですから、恐れることなくじっくりと待ちなさい。そうすれば、やがては彼らも仲間に加わり、霊実在論という大聖堂の建設に協力するのです」

 以上の事実は大変示唆に富んでいる。この三つの通信に含まれる言葉をじっくり味わえば、多くのことを学ぶことが出来るだろう。霊実在論の中心的な原理が全て含まれているからである。
 最初の通信から、既に、ジュリエンヌ=マリの霊は、その見事な言葉遣いによって、霊格の高さをはっきりと感じさせている。まるで蛹が蝶に変身するように見事に変身し、今や燦然と光を放つこの霊は、ボロを纏って地上にいた時に彼女を虐めなかった人を、丁度情け深い妖精のようにしっかり守護しようとしている。
 これは、聖書にある次の格言そのままである。
 「高き者は低くされるであろう。小さき者は大いなる者とされるであろう。慎ましき者は幸いである。苦しむ者は幸いである。苦しむ者は慰めを得るであろう。小さき者を蔑んではならない。なぜなら、この世で小さき者は、あの世では、想像も出来ないほど偉大な者になるかもしれないからである」