ある貴族の家庭に、一人の若い召使いが仕えていた。この少年は、大変知的で繊細な顔立ちをしており、その立ち居振る舞いの優雅さが、皆を驚かせた。そのどこにも、身分の低さを感じさせるものがなかったのである。主人達に熱心に仕えようとする、その姿勢には、こうした境遇にある人々に特有な、卑屈さを伴った、こびへつらいの態度が、微塵も見られなかった。
 翌年、再び、この家庭を訪ねると、この召使いの姿が見えなかったので、どうしたのかと思って尋ねると、次のような答が返ってきた。

「数日の間、故郷に帰ったのですが、なんと、そこで急死してしまったのです。惜しんであまりある召使いでした。本当に優れた若者で、召使いとは思われないような気高さを備えていました。私達に、とても惹かれており、心からの忠誠を誓ってくれていたのです」

 暫くして、この若者の霊を招霊することになった。以下が、その時のメッセージである。

「今回よりも一つ前の転生において、私は、地上の人々が良家と呼ぶような家柄に生まれました。しかし、この家は、父の浪費によって破産したのです。私は、幼くして孤児となり、生きるよすががありませんでした。
 そんな時、父の友人が私を引き取ってくれ、まるで自分の息子であるかのように、大事に育ててくれました。私は、大変立派な教育を受けましたが、そのせいで、大分傲慢な心を持つようになりました。
 この時の父の友人が、今回の人生では、私が仕えた貴族のG氏として生まれ変わっております。私は、今回の人生において、低い身分に生まれることで、私の傲慢な性格を矯めようと思いました。そして、『私の面倒を見てくださった方に仕える』という形で、奉仕の心を試練にかけてみたわけなのです。G氏の生命を救ったこともあります。
 今回の人生は、そういうことで、一種の試練だったのですが、私は、何とか、それをやり遂げることが出来ました。
 劣悪な環境で育ちましたので、そうした環境の影響を受けて堕落しても何の不思議もなかったのです。しかし、周りが悪いお手本だらけだったにもかかわらず、私は堕落せずに済みました。そのことで神に感謝したいと思います。
 現在、私は非常な幸福に恵まれており、充分に報われております」
ーどのような状況で、G氏の生命を救ったのですか?
「氏が馬に乗って散歩するのに従ったことがありました。付き人は私一人だけでした。突然、大木が倒れかかってきたのですが、氏は、そのことに、全く気づきませんでした。そこで、私はもの凄い大声を上げて、G氏の名を呼んだのです。G氏は、さっと振り向きましたが、その瞬間、木は氏を直撃せずに、足元に轟音を立てて倒れました。私がそうしなかったら、氏はその大木に潰されていたでしょう」 
ーどうして、そんな若さで亡くなったのですか?
「私の試練がこれで充分だと神が判断されたからです」
ー地上では、過去世の記憶が失われていますから、当然、あなたには試練の意味が分からなかったわけですが、それにもかかわらず、しっかりと試練に耐えることが出来たのは、どうしてですか?
「低い身分に生まれたとはいえ、私の内には、まるで本能のように傲慢な心がありました。しかし、幸いなことに、私は、何とか、その傲慢な心を統御することに成功したのです。それが、試練を克服出来た理由でしょう。もし、そうでなければ、もう一度やり直すことになったはずです。
 生前、私の霊は、私の睡眠中に自由になり、過去世のことを思い出していたのです。そして、その為に、目を覚ました私の中に、私の悪しき傾向性に抵抗しようとする本能的な気持ちが生じたのだろうと思います。
 過去世のことを、通常の意識状態で、はっきり思い出していたら、このようにはいかなかったでしょう。というのも、もし過去世のことをはっきり思い出していたとすれば、おそらく傲慢な気持ちが再び生じてきて混乱し、それと闘う必要が出て来ただろうからです。しかし、過去世を顕在意識で思い出さなかったので、私が闘うべき対象は、新しい境遇に伴う試練のみに限られたのです」
ー「今回よりも一つ前の転生において、立派な教育を受けた」ということですが、今回の転生において、その教育によって得た知識を思い出さなかったのですから、その教育は役に立たなかったと言えるのではないでしょうか?
「確かに、そうした知識は無駄だったかもしれません。むしろ、今回の境遇においては邪魔だったかもしれません。しかし、それらは、地上において、潜在的な形で私に影響していたのです。しかも、霊界に還れば、完全に思い出すことが可能です。
 とはいえ、それが無駄であったわけではありません。というのも、それによって、私の知性が発達したからです。今回の人生において、私は、本能的に、高尚なものに惹かれました。その為に、低劣な、恥ずべきものを退けることが出来たのです。その教育がなければ、私は本当に単なる召使いで終わっていたでしょう」
ー自分を犠牲にしてまで主人に仕える召使いというのは、過去世において、その主人と何らかの関係を持っていたと考えるべきなのでしょうか?
「その通りだと思います。少なくとも、通常のケースでは、そうだろうと思います。召使いが、その家族のメンバーだったこともあるでしょうし、また、私の場合のように、過去世で恩を受けていて、それを返す為に召使いになったというケースもあるでしょう。
 いずれにしても、その奉仕によって、主人の家族のメンバーは、精神的に進歩することになるのです。
 過去世での関係が今世で生じさせる共感と反感は、あまりにも沢山あるので、その全てについて知ることは、とても出来ません。死んだからといって、地上での関係が断ち切られるわけではないのです。それは、しばしば、何世紀にもわたって継続します」
ー今日では、献身的な召使いというのは、殆ど見られませんが、それは、どうしてなのですか?
「この十九世紀が、エゴイズムと傲慢の世紀だからでしょう。そこには、不信仰と唯物主義がはびこっています。物欲、強欲の蔓延する場所には、真の信仰は見られません。そして、真の信仰なしには、献身は有り得ないのです。
 霊実在論は、人々に真の感情を思い出させ、そのことによって、忘れ去られた様々な美徳を回復するでしょう」

 この例を見ると、「過去世を忘れていることが、どれほどありがたいか」ということがよく分かる。
 もし、G氏が、自分の召使いが誰であったかを覚えていたとしたら、彼と一緒にいて、非常に困惑しただろうし、おそらく、召使いとして使うことは出来なかっただろう。もしそうなったとしたら、二人にとって為になるはずの試練が台無しになっていたはずである。