田舎の、ある病院に、八歳位の子供が収容されていたが、その無惨な様子は、描写することすら不可能な位だった。生まれつきの奇形、そして、病気による変形のせいで、足がねじ曲がり、首に接触していた。ひどく痩せているので、骨の突き出ている部分の皮膚が破れていた。したがって、体中、傷だらけで、その苦しみたるや、本当にひどいものだった。
 この子は、ひどく貧しいユダヤ教徒の家庭に生まれ、四年前から、こうして入院しているのだった。
 年のわりに知性が非常に高く、思いやり、忍耐力、我慢強さが際立っていた。
 家族が殆ど見舞いに来なかったので、この子を担当していた医者は、この子に同情し、関心を抱き、この子とよく話をし、その早熟な知性に魅了されていた。ただ優しく接するだけでなく、時間のある時には、本を持ってきて読み聞かせたが、この子が見せる、年齢に相応しくない高度な判断力に、しばしば驚くのだった。
 ある日、この子が医者に言った。
 「先生、この前みたいに、僕に、たくさんお薬をください」
 「どうしてかな?充分あげたはずだけど。あまり飲み過ぎると、かえって具合が悪くなるよ」
 「すごく痛いので、我慢しようと思っても、どうしても叫んでしまうんです。周りの患者さん達に迷惑をかけないようにしたいって、神様にお祈りするんですけど、どうしても迷惑をかけてしまうんです。お薬を飲むと、寝てしまうでしょう?その間は、誰にも迷惑をかけないで済むから・・・」
 この言葉を聞いただけで、この奇形の体に宿る子供の魂が、どれほど高い境涯にあるかが分かるだろう。
 この子は、一体どこから、こうした高貴な感情を学んだのだろうか?家族から学んだのではないことだけは確かである。それに、そもそも、この子が苦しみ出した年齢では、到底物事の理非は分からなかったはずである。ということは、この子の感情は、生まれつきのものであったと考えざるを得ない。
 しかし、もしそうだとするならば、こうした高貴な感じ方をする子供に対し、どうして、神は、これほど悲惨な、苦しみに満ちた人生をお与えになったのだろうか?神が無慈悲だということなのか、或は、過去世に何らかの原因があったのだろうか?
 しばらくして、この子は、神様と、世話をしてくれた医者に、深い感謝の言葉を残しつつ、死んでいった。
 
 死後、暫くしてから、パリ霊実在主義協会が催したセッションで、この子の霊が招霊され、次のようなメッセージを伝えてきた。

「招霊してくださり、ありがとうございます。『これからお話することが、この小さな集いを超えて、あらゆる人々の心に届いて欲しい』と思いながら、お話させて頂きます。私の声の響きが、あらゆる人々の孤独な魂に届いたとすれば、どれ程嬉しいことでしょう。
 さて、地上での苦悩は、天上界での喜びを準備するものです。そして、苦しみというのは、美味しい果肉を包む、苦い外皮でしかないのです。
 祖末なベッドの上に横たわっている哀れな人達に、実は、神が意図的に地上に送り込まれた人々であり、この人達は、人類に、『全能なる神と天使達の助けがあれば、どんな苦しみでも耐えることが出来る』ということを教えようとしているのです。そうして、『うめき声に込められた祈りをしっかり聞き取れるようにしなさい』と言っているのです。
 こうしたうめき声をよく聞けば、そこには、敬虔な魂から発せられる、調和に満ちた響きがこもっているのが分かります。そうしたうめき声と、悪人達の発する、冒涜の込められたうめき声とは、しっかり区別しなければなりません。
 霊実在論の運動を指導している高級諸霊のうちのお一人、聖アウグスティヌス様が、今晩、ここに私が来ることを望まれたのです。したがって、私の方から、霊実在論を進化させるような内容のお話をさせて頂きたいと思います。
 霊実在論は、苦しみを学ぶ為に地上に生まれている人々をも支援することの出来るものでなければなりません。霊実在論は人生の道標になるべきなのです。そして、規範を示し、社会に対する発言権を獲得する必要があるのです。そうすれば、苦しむ人々の嘆きは、歓喜の叫びに変わり、喜びの涙に変わるはずです」
ー今あなたがおっしゃったことからすると、「あなたの地上での苦しみは、過去世で犯した罪を償う為のものではなかった」ということになりますか?
「直接的な償いではありませんでした。しかし、どんな苦しみにも正当な理由があるものです。
 あなた方がご覧になった、かくも惨めな姿をしていた者は、ある過去世で、美しく、偉大で、豊かで、賞賛に囲まれて暮らしていたことがありました。そして、その為に、自惚れて、慢心したのです。当然のことながら、数々の罪を犯しました。彼は神を否定し、隣人達に対して悪をなしました。
 そして、その結果として、まず、霊界に還ってから、非常に厳しい形でそれを償い、そして、さらに、地上に降りて、それを償ったのです。今回の人生では、ほんの数年間、罪を償ったにすぎませんが、別の人生では、非常に高い年齢まで生きて、長い長い一生の間、罪を償ったこともあるのです。
 このようにして、悔い改めることにより、私は再び神の恩寵に恵まれるようになりました。
 そして、神は、私にいくつかの使命をお与えくださったのです。今回の転生は、その最後のものでした。この厳しい人生を、私は、浄化を完成させる為に、神に願い出たのです。
 それでは、友人達よ、これで帰ります。また戻ってまいりましょう。私の使命は、教訓を与えることではなくて、慰めることなのです。ここには、心の中に傷口を隠し持っている人が数多くいますので、私の訪問も、何らかの役には立ったのではないかと思います」

 霊媒の指導霊である聖アウグスティヌスからのメッセージ:「この哀れな子供は、弱々しく、潰瘍にかかり、苦しみ、しかも奇形であった。悲惨と涙の避難所であったあの病院で、どれほどのうめき声を上げたことだろう!
 そして、幼かったにもかかわらず、そうした苦しみの目的をしっかりと理解していて、立派に我慢したのです。墓の彼方に行けば、そのようにして耐えたことに対して素晴らしい褒美が用意されていることを、幼い心で感じ取っていたのです。
 さらに、自分と同様、痛みに耐える術のない人々の為に祈り、かつまた、祈りの代わりに天に向かって冒涜の言葉を投げつける人々の為に祈ったのです。
 苦しみは長く続きましたが、死の瞬間には、全く問題はありませんでした。四肢は痙攣してねじ曲がり、奇形の体が死に対して反抗しているように見えたと思いますが、これは、単に肉体が生き延びようとしていたにすぎません。
 しかし、その時、危篤状態の、この子のベッドの上には、天使が舞い降りて、心の傷を癒していたのです。そして、肉体から解放された美しい魂を、その白い羽根に乗せて運びながら、次のように言っていたのです。
 『神よ、あなたの栄光が、また一つ、地上から戻ってまいりました!』
 全能なる神の方へと昇っていきながら、この魂は、次のように叫びました。
 『主よ、戻ってまいりました。あなたは、私に、苦しみを学ぶという使命をお与えになりました。私は、この試練に、しっかり耐えることが出来たでしょうか?』
 現在では、この哀れな子供の霊は、もとの姿を取り戻しており、弱い者達、小さい者達のところに行き、次のように、囁いて回っています。
 『希望を持って!勇気を出して!』
 物質から完全に離脱し、一切の汚れを洗い清められて、今、この霊は、あなた方の側におり、あなた方に話しかけています。その声は、もう、かつての、苦しげな、哀れな声ではありません。雄々しい響きに満ちております。そうして、こう言うのです。
 『かつて地上にて私を見た人々は、そこに、不満を決して漏らさない男の子を見ました。そして、その子から、静かに痛みに耐える力を得たのです。そして、彼らの心は、神に対する穏やかな信頼に満たされました。これこそが、私の、地上での短い滞在の目的だったのです』」