インド人であるが、1858年、フランスで死亡。

ー地上を去る時には、どんな感じがしましたか?
「どう言っていいのか分かりません。まだ混乱しているからです」
ー今、幸福ですか?
「自分の生き方を後悔しています・・・。なぜか、よく分からないのですが・・・、鋭い苦痛を感じます。『死ねば、自由になる』と思っていたのですが・・・。ああ、体が墓から抜け出せるとよいのに」
ーインドに埋葬されなかったこと、つまり、キリスト教徒達の間に埋められたことを悔やんでいますか?
「はい。インドの地であれば、こんなに体が重い感じはしなかったでしょう」
ーあなたの亡骸に対して行われた儀式については、どう感じていますか?
「殆ど意味がありません。私は女王であったというのに、私の墓の前で、皆が跪いたわけではありませんでしたから・・・。
 ああ、どうか放っておいて頂けませんか・・・。私は、話すように強制されていますが、本当は、私が、今どんな状態であるか、知られたくないのです・・・。私は女王であったのですよ。どうか、察してください」
ー私達は、あなたに対して敬意を持っています。私達の大切な教訓にしたいと思いますので、どうか質問にお答え頂きたいのです。
 あなたの息子さんは、将来、国を復興させるとお思いですか?
「勿論です。私の血を引き継いでいますから、あの子には、充分、その資格があるはずです」
ー今でも、生前と同じく、息子さんの名誉が回復されることをお望みですか?
「私の血が大衆の中に混じることは有り得ません」
ー死亡証明書に、あなたの出生地を書くことが出来ませんでした。今教えて頂けますか?
「私は、インドで最も高貴な家柄に生まれました。デリーで生まれたはずです」
ーあなたは、あれ程の豪奢に囲まれ、栄光に包まれて生涯を過ごされました。そのことを、今、どのように感じておられますか?
「あれは当然のことです」
ー地上では、大変高い身分であられたわけですが、霊界に還られた今も、同じように高い身分をお持ちなのですか?
「私は常に女王です!
ああ、誰かおらぬか?早く奴隷を連れて来なさい!身の回りの世話をする者がいないではないか!一体何をしているのか!早く!・・・。ああ、どうしたのだろう?ここでは、誰も私のことを気にかけてくれないようだ・・・。でも、私は常に女王・・・」
ーあなたはイスラム教徒だったのですか?それとも、ヒンドゥー教徒だったのですか?
「イスラム教徒でした。でも、私は神よりも偉大であったので、神に関わる必要はなかったのです」
ーイスラム教もキリスト教も、人間を幸福にする為の宗教ですが、両者には、どのような違いがあるとお考えですか?
「キリスト教は、馬鹿げた宗教です。だって、『人類全員が兄弟だ』などと言うのですから」
ーマホメットについては、どうお考えですか?
「あの男は王家の者ではありませんでした」
ーマホメットには神聖な使命があったのでしょうか?
「そんなことは、私には関係ありません」
ーキリストについては、どうお考えですか?
「大工の息子のことなど、考えたことはありません!」
ーイスラム教圏では、女性達は男性の視線から守られていますが、これについては、どうお考えですか?
「私は、女とは支配する存在だと思っております。そして、私は女でした」
ーヨーロッパの女性達が謳歌している自由を羨ましいと思ったことはありませんか?
「ありません。彼女達の自由にどんな意味があるというのかしら?奴隷を持つ自由すらないのに」
ー今回の転生以前に、どのような転生をされていたか、思い出すことは出来ますか?
「私は、いつだって女王として転生しているはずです!」
ーお呼びした時、どうして、あんなに素早く来られたのですか?
「私は、嫌だったのですが、そのように強制されたのです・・・。私が、喜んで質問に答えているとでも思っているのですか?あなたは、自分を一体誰だと思っているの?」
ー誰に強制されたのですか?
「知らない者です・・・。でも、おかしい・・・。私に命令出来る者などいないはずなのに」
ー今、どのような姿をしていますか?
「常に女王です!・・・。もしや、私が女王ではなくなったなどと・・・。無礼者!下がりなさい!それが女王に対する口のきき方ですか!」
ーもし、我々が、あなたのお姿を見ることが出来るとしたら、豪華な衣装を身につけた、宝石で飾られたお姿を見ることになるのでしょうか?
「当たり前です!」
ー地上から去られたというのに、まだ衣装や宝石を身につけておられるのですか?
「勿論です!・・・。そのままです。私は、相変わらず、地上にいた時のように美しいのです・・・。一体、私がどんな姿になっていると思っているの?見えもしないくせに!」
ーここにいらして、どのような印象をお持ちですか?
「出来ることなら来たくありませんでした。あなた方の態度がぶしつけだからです。あなた方は、一体、私が女王であることを知っているのですか?」

 聖ルイからのメッセージ:「そろそろ帰してあげましょう。可哀想に、完全に迷っています。本当に気の毒な方です。さあ、これをよき教訓としなさい。高過ぎるプライドのせいで、どれくらい彼女が苦しんでいるか、あなた方には分かりますか?」

 今は墓の中にいる、この身分の高い女性を招霊することにより、インドの女性が受ける情操教育の面に関して、これほど意味深長な返答が得られるとは思ってもみなかった。
 我々は、むしろ、哲学とまでは言えないにしても、地上での栄華や身分の虚しさに対する健全な評価が引き出されるものと思っていた。ところが、全くそうではなかった。この霊は、地上時代の考えをそっくりそのまま持ち続けていたのである。
 特に、プライドという幻想は完全に保たれており、その為に、自分の弱さを認められない。そして、そのことで非常に苦しんでいるのである。

 強情な霊達が、全て、意地悪、かつ邪悪であるわけではない。「悪をなそう」と思っているわけではなくても、傲慢、無関心、或は無気力から、強情となり、停滞している霊の数は、相当多いのである。
 だが、彼らの不幸が、より耐え易い訳ではない。というのも、この世的な気晴らしがないだけに、「何もすることがない」という状態は、大変な苦しみとなるからだ。「苦しみが、いつ終わるか分からない」ということは、実に耐え難いことである。
 しかし、彼らには、それを変える気がないのである。彼らは、地上にいる時に、自分自身に対しても、他人に対しても、役に立つことは何もせず、いわば無用の存在であった。そして、そのうちの、かなりの数の者達が、人生に嫌気がさして、特にこれといった理由もなく自殺するのである。
 こうした霊達よりも、はっきりした悪霊達の方が、かえって救い易い。悪霊達は、少なくともエネルギーに溢れており、一旦目を覚ませば、悪に邁進していたのと同じ位熱心に、善の道を突き進むことになるからだ。
 無気力な霊達が、はっきり感じられる程進歩する為には、数多くの転生を経験する必要があるだろう。ほんの少しずつだが、退屈に邪魔されながらも、何らかの職業に就いて、そこに楽しみを見出す。そして、やがては、その職業が必要と感じられるようになるまで頑張る。こうして、ゆっくり向上していけばよいであろう。