霊が、あるレベルに達すると、そのレベルに見合った使命を授けられる。階層によって、それぞれ異なる使命を達成すべく働くのである。
 神は、永劫の昔より、創造行為を繰り返しており、また、永劫の昔より、宇宙の統治に必要な、あらゆる手段を提供している。
 知的生命体は、それが進歩の法則にかなったものでありさえすれば、一種類のみで、宇宙のあらゆる必要性を満たすことが出来るはずである。彼らは、全員が同じスタートラインから出発し、同じ道筋を通って、自分自身の立てた手柄に応じて、それぞれ進化していくのである。
 こう考えた方が、「異なった能力を備えた生命体が何種類も創られ、それぞれに特権が与えられている」と考えるよりも、神の正義に合致するのではないか。
 天使、悪魔、そして人間の魂に関する従来の考え方には、進化という観点が入り込む余地はなく、そこにおいては、「三者は、最初から、それぞれ異なった、特別な存在として創られた」とされる。つまり、「神は、えこひいきをする父親であり、自分の子供のうち、ある者達には、全てを与える一方で、ある者達には、むごい仕打ちをする」ということになる。
 人間達が、随分長い間、そのような考え方を不自然と思わなかったのは、実に驚くべきことではあるまいか?
 そして、その考え方を自分の子供達にも適用して、長子相続権の公使と、生まれによる特権を認めてきたのである。彼らは、「そうすることで、自分達が神より酷い仕打ちをしている」と考え得たのであろうか?
 だが、今日では、考え方が大きく変わってきた。我々は、物事をもっとはっきり見るようになっている。正義に関しても、ずっとはっきりした概念を抱くようになり、そうした正義を切望している。そして、「地上に、そのような正義を見出せないとしても、少なくとも天上界には、完璧な形の正義があるに違いない」と考えるのである。
 したがって、神の正義が最も純粋な形で示されていない教義は、我々の理性によって退けられるのである。