私も霊能者になれるー少なくとも個人的な目的の為にーという意味なのだろうか。いつかは私自身の霊視能力で妻を『見る』ことが出来るようになるのだろうか。実際にはそれ以上に劇的な体験をすることになるのであるが、その霊媒の述べたことは全て正確だった。
 ともかく私はある『霊媒養成会』 に参加することになった。週に一度集まって、潜在している霊能を開発する為の訓練をするサークル活動である。そうした会で心霊能力を開発している人の数は驚く程多く、また養成法の指導書も実に多く出版されている。当然のことながら優れた霊能者が指導するサークルに参加するのが一番望ましい。
 そのサークルにきちんと出席するうちに、これなら今までにも瞬間的に体験したことがあるぞという自覚を覚えて、自分の可能性に自信が湧いてきた。その後さらに、そうしたサークル活動とは別に、自宅で肘掛け椅子でゆっくりと寛いでいる時の方がさらに好い結果を生むことが分かってきた。それが次第に霊界との自然でしかも素敵なコンタクトへと導いていき、それが私にとって何ものにも代え難い、内的な幸福感と満足感とを与えてくれることになった。『幸いなるかな悲しむ者、その人は慰めを得ん』という聖書の言葉が私において現実となったのである。
 初期の頃はベッドに入って完全に寛いでいる時などに私の背後霊の姿を見るようになった。そして寝入ってからまるで実際の体験のように思える鮮明な夢を見るようになった。
 私は真剣に求める者は必ず睡眠中に霊的体験を得させてもらえると信じている。日中の物的精神の習性が霊的精神に反映するのである。つまり物的精神の殻を破って霊的真理を求めようとする精神活動が霊的精神にも同じ活動を生むのである。このことを私の背後霊は後に『黄金の粒を探し求めるようなもの』と表現したが、まさにその通りである。かくして人間側が真剣に求めようとすることが背後霊の働きかけを容易にするのである。
 そのうち、ある日のこと、肘掛け椅子に座って何かを霊視してみたいと思っているうちに、私の身体が大きな霊の腕に抱かれるような感じがした。私を抱いたその霊は空中高く上昇し、中空に止まってからこう言ったー『あなたはなぜそう霊視したがるのですか。なぜ霊の声を聞きたがるのですか。なぜ物質化現象を見たがるのですか。あなたにはそんなものよりはるかに素敵な能力があるのですよ!』そう言い終わるなり、椅子に戻された。
 この体験は強烈だった。私の背後にそれほどの溢れんばかりの愛情をもった霊がいてくれていることが私の想像を超えたものだったからである。私は物質化現象よりも素敵な霊的体験とは一体何がありうるだろうかと考えた。その回答は間もなく与えられることになる。『霊界旅行』が始まったのである。