一日のうちのいつということなしに体験し始めた霊的交信は、初心者の私にとってびっくりさせられることが多かった。背後霊達は私をありとあらゆる手段を使ってその存在を自覚させ、援助し、教育しようとしているようであった。大体において座り心地のいい椅子にでも腰掛けている比較的静かな時を狙って霊視や霊聴の形をとることが多かった。
 が、普通の日常行動をしている最中でも突如として背後霊の存在を認識させ、難題を解いてみせることをすることもあった。そうしたことは霊能養成会に参加しているスピリチュアリストには珍しくないことであるが、ご存知ない読者もおられることであろうから、二、三例を挙げてみよう。
 私の家にコンクリートで池をこしらえた時のことである。出来上がった日の夕方それに水を満たしておいたところ、翌朝見るとすっかり水が抜けている。コンクリートは厚目にしたつもりだったので、私の落胆は一通りでなかった。家に入って腰を下し、頭の中で背後霊にどこが悪いのか教えてほしいと頼んでみた。すると目の前に池が霊視され、その片隅から水が漏れているのが見えた。
 私は早速外へ出て、その霊視された片隅を点検したが、他の隅と少しも変わったところはない。その時ふと、ポケットナイフで突いてみよう、という考えが浮かんだ。早速試してみるとナイフが簡単に突き刺さった。コンクリートを塗る時に空気を含んで、そこのところが卵形に薄くなっていたことが分かった。塗り直すことで簡単に修復出来たが、背後霊の助けがなかったら恐らく欠陥は見つからなかったと思われる。
 年も押しつまったある日のこと、冬に備えて庭の手入れをした後、道具を点検すると、移植用のコテが行方不明であることが分かった。深く掘り起こした時、一緒に埋めてしまったらしい。やむなくそのままにして、翌年の春になり苗床を手入れしようとしてコテがないのに気づいた。その瞬間である。いつもの指導霊の存在を感じ、そのコテの埋められている場所がピンときた。苗床の一つの片隅へ一直線に歩いて行き、少し掘り起こすと出てきた。
 私の人生でも特に忙しく立ち働いた時期のことであるが、私への警告の手段として自動車の排気音のような大きな騒音の中でもはっきりと聞き取れる程の声を聞かせてくれた。
 例えばオイルパイプが外れているとか、道具箱が開けっ放しになっていて今にも盗まれそうになっているとか、テールライトが外れかかっているとか、死角になっているコーナーから車がやって来ているといったことだった。
 ある時その警告を無視したことがあった。どこをどう点検しても落ち度が見当たらないのである。車は調子良く走っていた。そして素晴らしい直線の幹線道路へ出た時に、もう一度警告があった。が、なおも無視して二、三マイルも突っ走ったところでエンジンが弱くなり、ついに止まってしまった。調べてみるとオイルタンクが空になっていた! 
予言もよくあった。椅子に腰掛けて寛いでいる時によくあった。あまり頻繁に起きるのでノートにメモしたことがある。
 ある夜そのうちの一つが実現した。妻と近所の人と三人が玄関で立ち話をしていた時のことである。数件先の家が火事になった。私はその近所の人が私の予言について何も知らないことを忘れて、うっかりこう言ってしまったー「やっぱり私が見た部屋から出火しましたね」
 それを聞いて、それはどういう意味かと尋ねるので、やむを得ず説明した。するとその人は軽蔑の笑みを浮かべたが、ノートを持ち出してきて書き込んである火事としの出火場所のメモを見せた。それを見た瞬間その人の表情が変わった。
 そんなことがあって私は、同じく近所で起きる次の出来事の予言をその人に見せざるを得なくなった。二日後その人の奥さんがやって来て、興奮しながら「やはり起きました!」と言う。一瞬何のことか分からずに私は「何が起きたんですか?」と聞くと、「せんだって見せて頂いたメモのことですよ 」と答えた。