こうした地上と霊界の二重生活が滑稽な錯覚を生んだことがある。ある日オートバイで当てもなくドライブをしていた時、ふと『家のプールの様子を見てこよう』という考えが過り、さらに『今日は日曜日で交通規制がないから思い切り飛ばしてやろう』と思った。が、後でプールは霊界の家にしかないことに気づいた。
 心理学の専門家に言わせれば、これは一種の『精神分裂』であろう。そして事実、人間には物的精神と霊的精神の二つが同居しているのである。私はむしろこの両者が分裂しないで死後もなお物的精神のみーつまり死んだことに気づかず地上的意識のみで延々と何十年何百年と地上と同じ場所で暮らしている人を数え切れないほど見ている。この種の人はいつの日か、もう一つの自我、すなわち霊的側面が目を覚まして、それまで無視してきた指導霊の導きに耳を傾けるようになるまで、蝸牛にも似た進化の歩みを続ける他はない。
 私はよく霊界でオートバイに乗るが、『あちら』では決して故障することがない。前に飛行機で山を超えようとしている光景を紹介したことがあるが、あれと同じで、オートバイが『走る』と思い込むだけで走るのである。霊界に置いてある私のオートバイに背後霊がよくイタズラをすることがある。ある時は、まっ黄色に塗ったバス位の大きさの見苦しいサイドカーがそのオートバイに取り付けてあった。実は当時私は地上で小型のオートバイを乗り回しており、それとあまりに対照的なので滑稽に思えた。私としてはサイドカーを付けることによってスピードが落ちることだけはご免こうむりたい心境だった。が、それは一種の予言でもあった。その年のうちに私はサイドカーを取り付けることになったのである。
 霊界でのドライブは意念操作であるが、私の場合は操縦の手順を一通り行わないとダメである。前に紹介した飛行機の操縦も地上の習慣で『こうすれば飛ぶ』という期待、つまり一種の信念で飛ばしていた。もしも自分の身体を飛ばしてみろと言ったら、馬鹿を言うなと言い返したことであろう。
 が、高級霊になるとそうした操作は一切不要である。私はある時霊界の運転の名手のドライブに同行したことがあるが、まさに電光石火のスピードを出すことが出来た。私にとって新たな勉強になったが、気分のいいものではなかった。言ってみればフィルムを早送りするようなものである。辺りの景色は何も見えず、曲がり角も弾丸の勢いで蛇行し、目眩がして不快さえ催した。
 こうした高く速い波長は私の遅い波長の身体にとって『スリル』を味わうという段階を超えた体験で、終わった時はホッとした。どうやらその間その名手は自分のオーラで車と私を包んでしまうらしい。だから低い波長の環境でもそれほどのスピードが出せるのである。それがその体験の教訓だったと信じている。