霊界での体験を重ねていると、単なる推測による判断を超えて、そこの住民の生の精神活動の中へ深く入り込んでいく。その結果として私が得た教訓を集約すると、基本的な霊的真理は霊界へ来てから学ぶよりも地上において学んでおく方がはるかに効果的だということである。
 不思議に思う方がいるかも知れないが、事実、地上において築いた精神に霊的要素が欠けていると、霊界入りしてからも空のままなのである。そのハンディがどの程度の期間続くかは、『記憶がこしらえる世界』の見出しのところで幾つか例をあげたつもりである。
 高い界層へ行くほど知識を多く、かつ幅広く入手出来るようになることは既に述べた。それは、高い波長になるほど高い指導を受け易くなるからである。ある時私は霊界入りしたばかりの人が明るい境涯で静かに座って体力の回復を待っているところを見かけ、その人達の思念とコンタクトしてみた。どうやらそれは『自分はこんなに幸せと楽しさに浴するだけのことをしてきたのだろうか』ということだった。
 実は平凡な生活の中でもそれだけのことはしていたのである。神の摂理に決して誤りはないのである。心が友愛に満ち、他人への思いやりの情を失わない限り、たとえ霊とか宗教とかに縁がなくても、霊界へ来ると自動的に同じ波長の境涯へと引き寄せられていくのである。そこは当然明るい境涯であろうし、そこでさらに霊力と知識とを身につけて、進歩も楽しみ容易なものとなることであろう。といって、後に残していく親友や友人との縁が切れる心配は無用である。なぜなら高き者が低き者へ手を差し伸べることは常に可能だからである。
 ここでご注意申し上げなければならないのは、私の霊界での体験は主として英国とヨーロッパに関連したものばかりであることである。これは勿論私の思考形態と生活習慣によるわけである。人間各自にそれぞれの波長があるごとく、各国、各民族にもそれぞれの波長がある。それを思うと『神の創造的思念』の広大さは人間的創造力を超越する。
 霊界の先輩達はそれを『大数学者であり同時に大芸術家である』と表現しているが、確かにそう表現する他に用語がないであろう。