ジョゼフ・メートルは、中産階級の家庭に生まれた。まずまず快適な生活に恵まれ、物質的には満足すべき環境であった。両親は、彼に、良い教育を受けさせ、やがて、彼が企業で働くものと考えていた。ところが、二十歳の時に、彼は、突然、盲目となった。そして、1845年、50歳の時に亡くなった。
 死の十年程前、彼は二つ目の苦難に襲われた。耳が全く聞こえなくなったのである。周りの人々との関わりは、触覚を通じてのみ成立した。目が見えないというだけでも、既に相当な苦しみであるのに、さらに耳が聞こえなくなったのであるから、まさに、残酷な拷問を受けているようなものであった。
 一体なぜ、このようなことになったのだろうか?今回の人生での振る舞いが原因でないことは明らかである。というのも、彼の生き方は申し分のないものであったからだ。よき息子であり、柔和な性格で、思いやりに満ちていた。目が見えなくなり、さらに耳が聞こえなくなった時も、彼は、潔く、その事態を引き受けて、一言も不満を漏らさなかった。話し振りを見れば、精神にまったく曇りがないことが分かったし、その知性は卓越したものだった。
 ある人が、「彼の霊と話をすれば、きっと有益な教訓を得ることが出来るに違いない」と考えて、彼の霊を招霊し、質問に対する次のような返答を得た。

 「友人諸君、私のことを思い出してくださって、どうもありがとう。もっとも、私との対話から教訓が引き出せると思わなければ、私のことなど思い出してはくださらなかったのでしょうが。
 いずれにしても、私は喜んで諸君の招霊に応じました。『あなた方の為に役立つことで私が幸福になれる』ということで、許可されたからです。神の正義に基づいて、あなた方に与えられた、数多くの試練の見本に、どうか私の例も加えてください。
 ご存知の通り、私は、目が見えず、また、耳も聞こえませんでした。そして、あなた方は、私が、一体何をした為に、そのようなことになったのかを知りたいと思っておられる。それを、これから明かしましょう。
 まず、『私の目が見えなくなったのは、今回が初めてではない』ということを知っておいてください。前回の転生は、今世紀の初め頃だったのですが、その時にも、私は三十の時に盲目となっております。
 この時には、あらゆる面で不摂生をした為に、身体が衰弱し、健康を損ない、その結果として目が見えなくなったのです。それは、神から頂いた贈り物を濫用したことに対する罰でした。私は多くの才能に恵まれ過ぎていたのです。
 しかし、原因が自分自身にあるということが分からずに、私は、あまり信じてもいなかった神を責めたのです。神を冒涜し、否定し、非難しました。『もし神が存在するとしたら、それは、不正で、意地の悪い神でしかない』と叫んだのです。なぜなら、こんなふうにして、自分の創造物を苦しめるからです。
 しかし、目の見えない他の人々と違って、物乞いをして生活の質を得なくて済むことに、むしろ感謝すべきだったのです。だが、そうはいきませんでした。自分中心の発想しか出来ず、数多くの楽しみを奪われたことに我慢がなりませんでした。
 そんな考えに支配され、また、信仰がなかったので、私はすっかり気難しい人間になってしまいました。すぐに苛立つ人間、一言で言えば、周りの人々にとって耐え難い人間となったわけです。それ以来、人生の目標を失ってしまいました。将来は、もう悪夢でしかなく、考える気もなくなりました。最新のあらゆる治療を受けた果てに、治療不可能と知るや、私は絶望して、人生に終止符を打ちました。つまり自殺したのです。
 だが、目覚めてみると、それまでと同じように、闇の中に置かれていたのです。しかし、徐々に、もう物質界にはいないことが分かってきました。私は盲目の霊になっていたのです。こうして、墓の彼方にも生命があるということを知ったわけです。
 その生命を消して、虚無に逃げ込もうとしたのですが、どうしても、上手くいきません。空虚の中で、行き詰まってしまったのです。
 『かつて人々が言っていたように、もし死後の生命が永遠だとしたら、俺は永遠にこのままなのか』と思いました。この考えは本当に恐ろしい考えでした。
 痛みがあったわけではありません。しかし、私の苦しみや苦悩は耐え難いものだったのです。一体、どれくらい、これが続くのだろう?それが分からない。いつ終わるか分からない時間がどれほど長く感じられるか、あなた方には分かりますか?
 疲れ果て、精も根も尽き果てて、私はついに自分自身に戻ってきました。
 そうすると、私を超える力が、私を支配し、重くのしかかっていることが分かってきたのです。そして、『もし、この力が私を潰そうとしているのなら、同様に、私を解放することも出来るはずだ』と考えたのです。
 そこで、その力に哀れみを乞いました。
 心を込めて祈るうち、何となく、『この辛い状況には終わりがある』ということが分かってきました。ようやく光を得ることが出来たのです。清らかな神の光をかいま見て、周りに、優しく微笑んでいる、明るく輝く霊人達の姿を見た時の私の喜びを、どうか想像してみてください。
 彼らについていこうとしたのですが、何か見えない力によって、そこに留められました。
 その時、霊人達の一人がこう言うのが聞こえました。
 『あなたが無視していた神が、あなたが神の方に向かれたことをよしとされて、あなたに光を与えることを、我々に許可されました。
 しかし、あなたは拘束と倦怠に嫌気がさしたに過ぎません。もし、あなたが、ここで、皆が享受している幸福を享受したいのであれば、その悔い改めと、よき思いが本物であることを、地上の試練を克服することによって証明しなければなりません。しかも、再び同じ過ちに陥る可能性のある条件の下でーいや、今度は、その条件がさらに厳しくなるわけですがー、そうしなければならないのです』
 私は、勿論喜んで受け入れました。そして、『今度こそ、やり遂げます』と誓ったのです。
 そういうわけで、再び地上に戻り、あなた方もご存知の通りの生活をしました。
 善良に生きることは、それほど難しくありませんでした。というのも、私はもともと意地悪な人間ではなかったからです。
 今回は、生まれつき信仰を持って人生を開始しました。したがって、神に不満をぶつけるということはせずに、二重の不自由を甘受したのです。至高の正義に命じられた償いだったからです。
 最後の十年程は、目も見えず、耳も聞こえなかった為に、全くの孤立の中で過ごしましたが、それでも絶望はしませんでした。死後の世界を信じていましたし、神の慈悲を信じていたからです。
 その孤立状態は、むしろ好ましくさえあったのです。というのも、完全な沈黙に満たされた長い夜の間、私の魂は自由になり、永遠の方へとあまがけていき、無限を垣間見ることが出来たからです。
 そして、ようやく解放が許された日、私が霊界へ還ると、そこは、壮麗さと素晴らしい喜びに満たされていました。
 前回の転生と、今回の転生を比べてみて、色々なことが分かるにつれ、私は神に感謝せざるを得なくなりました。
 しかし、前方を見ると、完璧な幸福に至るまでに、まだまだ、どれほど進まなくてはならないかが分かります。
 私は償いを果たしました。今後は功徳を積まなければなりません。今回の人生は、自分の為に役立っただけだからです。
 もうすぐ、また地上へ転生して、今度は他者の為に役立つ生き方をしたいと思っています。そうすることで、役に立たなかった人生を補えるでしょう。そうすることで、初めて、よき念いを持ったあらゆる霊に対して開かれた、祝福された道を歩み始めることが出来るのです。
 以上が私のお話です。もし、このお話を聞いて、地上にいる私の同胞達の何人かでも、啓発され、その為に、彼らが、私の落ちたぬかるみに落ちないで済んだとしたら、私は、その時、ようやく、『借金』を返し始めたことになるのです」