以下の文章は、[迷える霊との対話]という、霊的知識の書物から抜粋した文章です。また、自殺に関するその他の霊的知識は、[自殺してはならない霊的な理由]に書かれています。

●自殺した映画女優の警告
1920年にフランスで自殺した映画女優のオリーブ・Tは、アルコールとタバコの中毒症状があった上に、霊的感受性が強かったことが誘因となって、邪霊に唆されたのだった。それから間もなく、まだ精神状態が混乱している中で招霊されて、どうにか真相に目覚めた。
 それから二年余り後に同じく映画女優のバージニア・Rを招霊会場に案内してきたオリーブが、その二年間の反省と体験を元に、特に若い女性に対して、次のような警告のメッセージを述べた。

 1922年4月19日
 スピリット=オリーブ・T

[前回ここでお世話になって以来、霊界で得ることが出来た素晴らしい体験のお礼を述べなければと思って、やって参りました。
 人生についての正しい教訓は幼少時から教え、真実の意味での生命を理解するように導いてあげるべきだと思います。生命の実相を映像の形で説いてあげたらどうでしょう?それをスクリーンに映し、死というものは存在しないことを教え、すべての人を待ち構えている美しい死後の世界のことを教えてあげれば、地上世界はずっと違ったものとなることでしょう。
 私も、女優としての仕事柄、一種の架空の世界に生き、人様を楽しませることを心掛けました。が、近頃の若い女の子が、遊び半分の人生に陥っていくのを見て、気の毒に思います。楽しいかもしれません。でも、束の間のことです。人間には必ず、ささやきかける声、というものがあります。『良心』です。どんなに打ち消そうとしても、どこまでもついてまわります。そういう浮かれた人生を送っている若い人達に、その愚かさを教えてあげられたら、と残念でなりません。
 より高い生命の世界が存在することを教え、その真実味を実感させてあげることが出来たら、と思うのです。自分の為でなく、人の為に生きることが大切なのです。そういう人生の基本原理を教え、間違った教義を教えてはいけません。
 地上世界の障害の一つは、アルコールとモルヒネの乱用です。そうしたものが少年少女を悲劇へと追いやっています。大人達は、ただいけないと咎めるばかりで、有効な手段を講じようとしません。結果的には、ますます彼らを悩みへと追いやっております。なぜかといえば、法律で禁じても、欲しいものはなんとしてでも手に入れるものなのです。禁じられる程、スリルがあって痛快なのです。
 それに付随して、もう一つ別の要素があります。それは、ウィスキーのような度の強いアルコール類には、様々な感情が絡んでくるものだということです。気難しい評論家は一方的にアルコールを目の敵にして魔物扱いしますが、それがかえって過敏な若者を刺激して、酔うと様々な感情が湧いてきて荒れ狂うようになり、ますます悩みへと落ち込んでいきます。
 人間はもっと、神の顕現である森羅万象の素晴らしさを学ばなくてはいけません。神は全存在の背後の生命であり、人間こそ、それを荒廃させている悪魔なのです。私が『人間』と言う時、現在の地上の人間だけを言っているのではありません。過去から現在に至るまでの『人類』のすべてのことを言っているのです。神は自由意志をお与えになったのですが、人間はそれを乱用しているのです。
 キリストの教えの本当の意味を理解しないといけません。アルコール党は『ワインはキリストがこしらえたんじゃないのか』とか、『それをみんなに分け与えたじゃないか』とか言って弁解しますが、ワインとは生命のことだということを理解しておりません。大半の人が、それをワインそのものだと思っているのです。
 神についても正しく理解しないといけません。神を怖がってはいけません。白い玉座に腰掛けた人間的存在ではありません。全生命の根源である霊的存在なのです。身の回りにあるものすべてが、霊的生命の顕現なのです。人間の言う『善なるもの』に存在価値があるように『悪なるもの』にも存在意義があります。悪を知らなければ善を知ることも出来ません。人生の教訓を学び、叡智を獲得し、不滅の生命の存在を悟るのは、現実の人生体験を通してのみ可能なのです。
 私が、死後、霊界へ来て真理を見出し、救われることになったのも、苦しい体験を味わっていたからです。良心の呵責という火の洗礼を受けて、私は霊的に浄化されたのです。私は真理に飢えておりました。だからこそ、いったん真理を見出したら、邪念というものが全てなくなったのです。黄金は火の精錬過程を経て初めて見出せるのです。良心の呵責を経て、私は自分自身の中に神を見出したのです。外にあるのではありませんでした。
 自己の中に神を見出し、そして得心することです。他人を裁く前に自分自身をよく知ることです。そうすれば、他人を裁けなくなります。すべての人を友とし、すべての人に善行を施し、どこにいても善行を心掛けることです。自我(エゴ)の垣根を取り払うことです。
 エゴが頭をもたげ、怒りやアルコール、その他もろもろの愚かなことに負けそうになるごとに、自分に、こう言って聞かせるのですー『絶対に腹を立てまい。いかなる誘惑にも負けないぞ』と。そして、仲間達にはおかまいなく、さっと『回れ右』して、我が道を行くのです。すると怒りもどこかへ消えてしまいます。そのように、言いたいことも我慢するということを繰り返すことにより、心に調和が生まれるのです。
 怒りの情念の中にある時は、後になって言わなきゃよかったと後悔するようなことを、つい言ってしまうものです。そして、その言葉がいつまでも心から消えないのです。ですから、怒りの念が湧き出るのを覚えた時は、そんなものには負けないぞと自分に言って聞かせ、回り右をして、『自分は自分を克服するのだ。もっと高いものを求めるのだ。つまらぬものには負けないぞ。お前(怒り)なんかには入らせないぞ』と言って聞かせるのです。
 あの時の私は怒りに燃えていました。それは私の死を意味していたのです。どういうことをしたかー自殺したのです。本気で自殺するつもりではなかったのです。が、その後の私が怒りの中にあったことが、死に繋がったのです。手遅れにならないうちにエゴを克服することです。度を超えないうちに怒りを抑えるのです。
 あの時の私は、怒りの念に押し流されてしまったのです。その結果はどうなったかー自殺していたのです。目が覚めて、自分のしたことに気づいた時、地団駄を踏んで後悔しました。それが、ただの怒り、つまり利己主義の絡んだ怒りからやってしまったことだったのです。
 自我を克服しましょう。もしも怒りの念に襲われた時は、こう言うのですー『さがれ、サタンめ!
と。そして、心の中で回れ右をすれば、それで、取り憑こうとしていた邪霊を閉め出すことになるのです。私がもしそうしておれば、あのようなことにはならなかったであろうに、と悔やまれてなりません。
 もしも私が、地上の人々に歩むべき正しい道について語り、生命の実相とイエスの教えの本当の教訓、それに、心がけ次第で私達みんながいかに多くの善行を施すことが出来るものであるかを、映像の形でスクリーンに映し出してあげることが出来たら、多くの犯罪者が心を入れ替えて、善男善女となってくれることでしょう。
 オリーブ・Tでございます。さようなら」