それで、パン工場での仕事が終了した12月末、それでも俺は、将来の目標が何も見つからなかった。それで、その時に、『齋藤健一ドットコム』という個人のブログを開いていたのだ。そこに、思い切って、前から興味のあったグラフィックデザイナーになってみたかったなぁと書き込んだら、それなら挑戦してみなよとコメントされた。その頃、一日百人くらいは重複しない閲覧者がいたのだ。色々、悪意のあるコメントとかされていたけど、励ましや応援のコメントもあったのだ。それは、『自殺霊の自殺サイト自殺犯罪ドットコム自殺方法はポイ』経由での閲覧者が殆どだった。その自殺防止サイトに、個人のブログへのリンクを貼っていたから。
 それで、俺はそれまで、近くの公園でヤケになり、普段は全く吸わない煙草を吸ったりして、晴天の年末に、ボーっと景色を見たりして、絶望していた。しかし、それからは、家のPCに付属していたお絵描きソフトのペイントを使って、色々な広告とかロゴを作って、それをブログをアップしてみた。すると、けっこう好評だった。勿論、悪意のある書き込みをして、俺をおちょくって笑っているようなゲスもいたが。それで、俺は調子に乗って、どんどんペイントで有名企業のロゴとか広告とかを制作しました。すると、やがて、佐藤可士和と名乗る人がコメントしてきました。といっても、それはその本人も言う通り、あの本物の有名グラフィックデザイナーではありません。ただの、ネット上の仮の名らしいです。でも、その人は本当にグラフィックデザイナーをしているらしい。その人は苦労して、人生の途中からグラフィックデザイナーに転職したので、なんだか齋藤さんのことも放っておけないと思ってアドバイスしますとか言っていた。あと、君には才能がありそうだとも言っていた。それで、グラフィックデザイナーになる為のヒントとか、そういうサイトを紹介してくれました。
 それで、俺はその人の言うことをますます信用してしまいました。そして、最終的に、その人が言うには、君の運営している自殺防止サイトだが、あれは将来、君がグラフィックデザイナーになったら、あれが原因で、仕事が貰えないだろう。なぜなら、企業はああいうのを一番嫌うからだ。デザイナー本人は無色透明でなければならないとか、そんなことを熱心に主張しました。その時点で、俺はその人に相当入れ込んでいたので、本当に削除しようかと悩みました。
 でも、あの自殺防止サイトは、俺が半年もかけて熱心に熱中して制作して築き上げたサイトなのです。しかも、その後にも何度も何度も改良したし、それから十何万円もかけてSEOもしました。それまで、そのサイトにはSEO代を寄付してくれるように募集もしてたのですが、実際に数人の方が、合計5万円くらい振り込んでくださったのです。一人は三万円くらい振り込んでくださいました。また、実際に命を救われましたというメールも、けっこう貰っていたのです。そして、とある、サイトを買収する会社から、あなたのその自殺防止サイトを買いたいです、というメールも貰ったことがあったのです。その時は断りましたが。そんな経緯があり、その自殺防止サイトには愛着がありました。ずっと一緒にいた愛犬のような感じです。
 しかし、その時の俺は、本気でグラフィックデザイナーを目指していたような気持ちだったし、本気で才能があると思っていたので、俺は数日間悩んだ末、とうとう、レンタルサーバーにアップしていた自殺防止サイトのデータを消し去りました。PC内のホームページビルダーの中のデータも全て消し去りました。これで、もう二度と、元の姿には復活できなくなりました。まったくの無になりました。なんだか、とてつもない消失感でした。しかし、これで俺は一直線にグラフィックデザイナーの勉強に集中できると思いました。でも、それから数日後、どういう理由だかは忘れましたが、その佐藤可士和と喧嘩になり、そいつはもう二度と訪れませんでした。まぁ、ネット上の、互いのことを殆ど知らないような浅い関係なら、その程度でしょう・・・・俺は激しく自殺防止サイトを抹消したことを後悔しましたが、後の祭りでした。
 でも、一応、俺一人で、その後もグラフィックデザイナーを目指そうと努力することにしました。それで、ハロワで募集していた東京での職業訓練のグラフィックデザインコースに応募したけど、落ちた。倍率超高かったし、やはり遠かったし、俺のこれまでの経歴を見られて落とされたのだと思う。それで、一人でどうにかすることにしました。けど、やっぱり一人ぼっちではよく分からないし、グラフィックデザイナーが使うようなソフトは10万円以上するので、そのお金を稼ぐ為に、また短期の二ヶ月限定の道路工事会社のバイトをすることにしました。

 その会社は家のわりと近くにあったけど、朝は七時半からだった。それで、俺は一生懸命に働きました。あっちやれとか、あれ持って来いとか、もう、超『男』の現場で、肉体的にもキツいけど、精神的にも息つく暇がなく、とても辛かった。もうね、色々、道路工事に関する雑用をしました。それも、その時期は忙しい時期だったので、俺は14日連続で出勤などというハメになり、もうね、身体がガタガタでした。それでもなんとか、最後までやり遂げました。途中、あまりにもキツくて、四人入ったバイトのうち、一人は中途離脱してしまったが、俺はなんとか、最後までやり遂げた。
 それで、最後の給与を受け取りに、仕事辞めてからの平日にその会社の事務所に行ったんだ。その時に、俺は源泉徴収票も頼んでいたんだ。それで、実際に源泉徴収票を見てみたら、一日分、無いんだ。一日分の労働賃金が足りなかった。そこはサービス残業もかなりあったので、その分は、そこでは合計で二万円足してくれていたが、それを差し引いても、やはり一日分足りなかった。それを言えばいいものを、俺は作り笑いのニコニコ顔をしていて、言わなかった。というのも、周囲の応対した社長とか会長とか、まぁ、穏やかな雰囲気でいたし、それにもう、ここに源泉徴収票が出来上がっちゃっているし、それを俺が「あの、一日分の日給、一万円が足りないんですけど・・・」なんて言ったら、なんか険悪な雰囲気になっちゃうかなぁ〜・・・なんて要らん心配をしていたからであった。まぁ、その時の俺も、まだそういうことをはっきりと言えるような人間ではなかったのだ。ということで、内心では怒っていたのに、その時は表面上はニコニコしながら、帰りました。でも、帰途の途中、やはり、なんであんなに仕事中に怒鳴られたのに、あんなに汗水ダラダラで苦労したのに、なのに一日分が貰えないんだ!!!と憤慨しました。でも、その時はやはり言いませんでした。しかし翌日になっても、まだそのムラムラ・モヤモヤは収まらなかったので、とうとう会社に電話しました。しかし、その時は不在らしく、誰も出ませんでした。で、俺はそれ以来、電話していない。もう、これはその場で言わなかった俺が悪いということにした。そう、人間、即、その場でバシッと言わないと、もう手遅れのこともあるのだ。何でもかんでも、後からどうにか出来るような事柄ばかりではないからな。だから、俺はその教訓として、この一万円分の損は、受け取ることにした。この損が、また今後の俺の糧となるだろうから。
 
 それで、合計53万円くらい稼いだ。それで、これは一回目の給与の時に買ったのだが、グラフィックデザインといえばマックだろうということで、YAMADA電機で、マックの一番でかいデスクトップパソコンを買った。その後、グラフィックソフトも必要だということで、ネット上の簡単に低費用で入れるグラフィックデザイナースクールみたいなところに入り、ソフトと学費合計で、えーと、たしか15万円くらいでゲットした。それは、インデザインと、フォトショップと、イラストレーターでした。正規のものなので、とても高かった。そのスクール自体は、学ばなかった。なぜなら、勝手にログインして、勝手に自分一人で学ぶタイプの勉強方法だったので、それなら自分で買った参考書で学べばいいじゃんと思ったからだ。あくまで、学割で買える学生向けのソフトをゲットするのが目的だったのだ。
 それで、けっこう貯金は減りました。あと、また風俗に行ってしまい、また減った。残りで、俺は人生で初めて、自分でスーツを買った。洋服の青山に行って、スーツ二着とワイシャツ二枚、ネクタイピン、あと靴も買った。二着とも縞縞のスーツだった。合計で八万円くらいだった。それで、ほとんど貯金は無くなりました。
 それから、また無職になった。で、俺は当初の目的の、グラフィックデザイナーになるべく、ソフトの勉強本を買ったのだが、これがまったく分からない。いや、少々は分かるが、すぐに忘れてしまう。やはり俺の知能と記憶力は、とても乏しかった。なので、今度は、誰でも金さえ払えば入校できる、東京にある、グラフィックデザインを学べる学校に体験授業を受けに行きました。で、そこでは一時間くらいごく簡単な授業をした後、個別に担当者との面談をして、学費の話になりました。で、色々と、ローンも組めますよとか薦められたのだが、なんだか俺はもう、なんというか・・・そこで学んでも、あんまり意味ないんじゃないかと思っていた。また、金の面でも、もう現時点で金はほとんど無かったし、また長期間にわたってローンを払い続けるのも気が引けたので、この時は、お断りした。まぁ、というよりも、やんわりと、考えておきますみたいな言い方で、その場を逃れた。後日、やはり電話がかかってきたけど、俺は断った。だって、その体験授業でしていたごく簡単な授業でさえ、みんなは出来るのに、俺はチンプンカンプンだったから・・・もうね、俺の知能は、80年代のPCのCPUにも劣るのではなかろうか・・・。だから、なんだか、それからというもの、勿論、家でも分厚い本を読みながらソフトを実践していたのだが、まず初期段階でチンプンカンプンなんだ。本当にもう、理解能力が無かった。そんな感じで、いくら努力しても進歩が見られないので、段々と、やる気が失せていき、とうとう、完全にグラフィックデザイナーになりたいなどという夢は捨て去りました。はぁ・・・努力して、努力に比例して成果がどんどん表れてくるのならば、それは楽しいし、やり甲斐があるだろうが、俺はそうじゃないからな。どんなに努力しても、すぐに忘れてしまうし、そもそも初期段階で覚えられないし、理解出来ない。本当に、俺の脳みその基本スペックは低い。

 そんな感じでした。で、いつまでも無職でいる訳にはいかず、すぐにハロワに行きました。すると、国の失業者対策の、海岸清掃の期間雇用の求人を発見したので、それに応募しました。倍率は三倍だかだったかな、とにかく高かったけど、俺は面接を受けたら、なんと受かった。だから、そこに行くことにしました。新しく買ったスーツを着て行ったのが良かったのかな。でも、私服で来ていた人も多かった。やっぱり面接はスーツだな。

 ちなみに、前述の齋藤健一ドットコムは、自殺霊の自殺サイト自殺犯罪ドットコム自殺方法はポイを閉鎖した一ヶ月後くらいに、追従して閉鎖した。なんだか、毎日の様子をブログにアップしても、意味ないんじゃないかと思ったからだ。もう自殺防止サイトも閉鎖しちゃったし、もう、なんか空疎な感じがして、止めちゃいました。ツイッターもやっていた時期があったが、有名人でもない俺が呟いたところで、誰も見ないし、俺自身も特に面白くないので、止めました。
 今、過去のリンク先から自殺霊の自殺サイト自殺犯罪ドットコム自殺方法はポイを辿ると、そこは一応、ホームページは開く。ただ、それは俺がそのサイトのドメインを放棄した後、誰かがそのドメインを取得し、俺のサイトを真似た形で新たに開いたもので、俺とはもう、一切無関係だ。なんか、今はもう、そっけなくなっているが。あと、齋藤健一ドットコムのドメインの方は知りません。