25歳の時に、突然、何の前触れも無く、数秒のうちに死亡したが、苦しむことはなかった。裕福だったが軽薄であったために、真面目な事柄に取り組むよりも、目先の楽しみに心を奪われて生活した。とはいっても、よこしまなところは全くなく、善良で、優しく、思いやりに溢れ、愛に満ちていた。
 死の三日後に、知人によって招霊された彼女は、次のようなメッセージを送ってきた。

 「自分がどこにいるのか分かりません・・・・。混乱しています・・・・。あなたが呼んでくださったので、来たのですけれど・・・。どうして自分の家にいないのでしょう・・・・。
 家では、みんなが泣いていました。私は、ちゃんといるのに。でも、私がいることに誰も気がつかないのです・・・・。私の体は、もう私のものではありません。それがとっても冷たいのが分かります・・・。身体から離れたいのに離れられません。何度も何度も体に戻ってしまいます・・・・。まるで自分が二人いるみたい・・・・。
 ああ、一体いつになったら、何が起こったのか分かるのかしら・・・・。あちらに行かなくては・・・・。もう一人の私は、どうなってしまうのかしら?・・・・さようなら」

 肉体と霊が完全に分離していないので、自分が二人いるように感じられているのである。あまり真面目ではなく、しかも財産に恵まれていたので、色々な気まぐれを満たすことが出来た為に、軽薄さが、傾向性として、かなり強く固定されたようである。したがって、肉体と霊の分離がそれほど速く行われないのも頷ける。死後三日経っているというのに、まだ肉体に繋ぎ止められているのである。
 しかし、生前に深刻な罪を犯しておらず、心は奇麗なので、こうした状況も苦しみを引き起こすことはなく、それほど長く続くわけではない。
 この日から数日して再び招霊してみると、随分変化があった。以下が、そのメッセージである。

 「私の為にお祈りをしてくださって、どうもありがとうございました。優しい神様のおかげで、肉体と霊の分離に伴う苦しみと恐れがありませんでした。
 お母様は、諦めがつくまでは、まだまだ苦しまれることでしょう。でも、きっと元気を取り戻すことができると思います。今回のことは、お母様にとっては耐え難い不幸と思われるでしょうが、お母様が天国のことに気づくためには、どうしても必要なことだったのです。お母様の地上での試練が終わるまで、私は、ずっとお母様のおそばにいるつもりです。そして、試練に耐えられるように助けてさしあげるつもりです。
 私は不幸ではありませんが、天国できちんとした生活が出来るためには、もっともっと向上しなくてはなりません。もう一度、地上に生まれ変われるように、神様にお願いするつもりです。だって、今回の人生で無駄にした時間を償う必要があるのですもの。
 皆様、信仰を大切になさってくださいね。心から発したお祈りは、本当に効果があります。神様はよき方です」
ー自分を取り戻すまでには、だいぶ時間がかかったのですか?
 「あなた方が祈ってくださった日に、自分が死んだということが分かりました」
ー混乱している間は、苦しかったですか?
 「いいえ、苦しんではいませんでした。[夢を見ている]と思っていたのです。そして、夢が覚めるのを待っていました。
 勿論、私の人生に苦しみが無かったというわけではありません。でも、地上に生まれれば、みんな苦しみは味わうものです。私は神様のご意志に従いました。そして、神様はそのことをちゃんと見ていてくださいました。
 祈ってくださって、本当にありがとうございます。そのおかげで、自分を取り戻すことが出来たのです。ありがとうございました。
 また呼んでくだされば、いつでも喜んで降りてくるつもりです」