以下の文章は、[霊との対話]という、霊的知識の書物から抜粋した文章です。また、自殺に関するその他の霊的知識は、[自殺してはならない霊的な理由]に書かれています。
フェリシアン氏は、裕福で、教養があり、善良な性格の、霊感の強い詩人であった。親切で思いやりに満ちあふれており、人々からたいへん尊敬されていた。
しかし、ある時、投機に失敗し、財産を全て失った。既に年を取っていたので、財産を築き直す気力も湧かず、1864年12月に、自分の寝室で首を吊って自殺した。唯物論者でも無神論者でもなかったが、少しばかり軽薄なところがあり、死後のことは気にしていなかった。
彼とは個人的に親しかったので、死後4ヶ月程経った頃に、招霊を試みることにした。
-招霊します・・・・。
「ああ、地上が懐かしい。地上でも落胆を味わいましたが、こちらほどではなかったですから。こちらはもっと素晴らしいところかと期待していたのですが、思っていたほどではなかったですね。
霊界はごちゃ混ぜの世界なので、快適に生きるためには、そこから抜け出す必要があるかもしれません。いやはや、本当に驚きました。霊界の様子を描写したら、すごいことになるでしょう。バルザックにでもお願いしなければならないでしょうが、それにしても大変な仕事になりそうです。
ところで、バルザックを見かけませんでしたね。人間の悪徳を直視して描き出したあの巨匠は、今、一体どこにいるのでしょう?私と同じように、ここにしばらく滞在してから、上の世界に行くはずなのですが。
ここは、あらゆる悪が集まった腐敗の場所です。非常に面白いので、暫く留まって観察することにします」
この霊は、「ごちゃ混ぜの世界にいる」と言っている。ごちゃ混ぜだということは、つまり、低級霊の世界だということである。
しかし、自分の死に方に何の言及もしないのは奇妙である。もっとも、生前の性格を反映しているのかもしれない。
いずれにしても、この霊が本人であるのかどうか、多少の疑いが持たれた。
-恐れ入りますが、亡くなった時の様子を教えて頂けますか?
「どんな風に死んだかですって?勿論自分で死ぬことを選んだのです。あの死に方は気に入っています。人生からおさらばするのに、どのような死に方をすべきか、随分長い間考えましたからね。
しかし、あんなふうに死んだところで、結局のところ、大したことはありませんでした。物質的な心配からは解放されたものの、霊界で、それ以上の、深刻な、辛い状況に陥ることになったのですから。しかも、それがいつ終るのか見当もつかないのです」
-(霊媒の指導霊に対して)これは本当にフェリシアン氏の霊なのですか?この能天気な話しぶりは、到底自殺した人の言葉とは思われませんが。
「確かに本人です。しかし、今彼がおかれている状況からすれば、あのように調子に乗った話し方をするのも無理はないのです。彼が、最初、空疎な言葉を連ねていたのは、自分がどうやって死んだか言いたくなかったからです。あなたに、直接、質問されたために、答えざるをえなかったようですが、随分辛い思いをしているのは事実です。彼は、自殺したことでたいへん苦しんでおり、出来るだけ、その不幸な最後を思い出したくないのです」
-(フェリシアン氏の霊に対して)あなたの死が、あなたにとってどのような重大な結果を引き起こすのかを知っていただけに、あなたの死は我々にとって非常に痛ましいものでした。また、あなたを尊敬し、あなたに愛着を覚えていただけに、あなたの死は我々には本当に辛いものでした。個人的には、たいへん良くして頂き、そのことは決して忘れておりませんし、たいへん感謝申し上げております。もし何らかのかたちでお役に立つことが出来れば、嬉しいのですが。
「ああした形をとらなければ、財政的な危機的状況から逃れることは出来なかったのです。
現在、必要としているのは、お祈りのみです。もしお願い出来るのであれば、私に付きまとっている恐ろしい者達、私を嘲笑し、罵り、バカにする者達から解放されるように祈ってください。彼等は私を『卑怯者』と罵りますが、確かにその通りなのです。人生から逃げるというのは、卑怯者以外の何者でもないからです。
私は今までの転生で、固く誓ったはずだったのですが・・・・。ああ、何という宿命だろう。
どうか、どうか、祈ってください。何という拷問だろう。ああ、苦しい!どうか私の為に祈ってください。そうすれば、私が地上に居た時に皆さんにしてさしあげた以上のことを、私にしてくださることになります。
しかし、私がこんなに何度も敗れた試練が、目の前にどうしようもなく立ちはだかっています。いずれ、また、同じ試練に直面しなければならないのです。そんな力があるでしょうか?ああ、どうしてこんなに何度も同じような人生をやり直さなくてはいけないのでしょうか?どうしてこんなに長い間戦い続けた挙句、事件に巻き込まれて、意に反して敗北しなくてはならないのでしょうか?ああ、絶望的な気持になります。
だから、力が必要なのです。お祈りは力を与えてくれるということですので、どうか、皆さん、私のために祈ってください。私もまた祈ります」
この自殺は、どこにでもあるような極めて平凡な状況においてなされたが、背後には特別な事情が潜んでいた。つまり、自殺したこの者の霊は、過去世において、何度も同じような状況で自殺していたのである。そして、これからも、そうした状況に抵抗できなければ、やはり何度でも自殺することになるだろう。
我々が地上に転生するのは、あくまでも向上するためなのであって、その目的が果たせなければ、何のために転生したのか分からなくなる。戦いに勝利を収めるためには、何度でも転生して挑戦する以外にないのである。
-(フェリシアン氏の霊に対して)いいですか、私がこれから言うことを、注意深く聞いてくださいね。そして、私の言葉についてよく考えて下さい。
あなたが宿命と呼んだものは、あなたの弱さ以外の何ものでもありません。宿命などは存在しないのです。というのも、宿命が存在するとしたら、人間は自分の行為に責任が取れないからです。
人間には自由意志があり、そして、それこそが、人間の最も大切な特権なのです。神は、人間をロボットとして創ったのではありません。この自由意志があるからこそ、失敗もすれば、成功もするのです。そして、成功を続けていって完成された時、人間は最高の幸せに到達出来るのです。
慢心している者だけが、自分の地上の不幸を運命のせいにします。実際には、自分の怠慢のせいで不幸になっているに過ぎないのですが。まさに、あなたの今回の生き方がその好例でした。
あなたは、世俗的には、幸福になるための条件をすべて揃えていました。機知、才能、財産、世評などなど。致命的な悪徳は持っていませんでした、というよりも、むしろ、尊敬に値する美徳を沢山備えていたのです。どうして、そうした状況が突然危ういものになったのでしょう?それは、あなたが無用心だったからに他なりません。
不必要に財産を増やそうとせず、もっと慎重に振舞ってさえいれば、そして、既に持っていたもので満足してさえすれば、あなたが破産することなどあり得なかったのです。あれは、宿命でも何でもありません。なぜなら、避けようと思えば避けられたことだからです。
あなたの試練は、自殺への誘惑をあなたに与える一連の状況を克服することにあったのです。残念ながら、あなたは、生き生きとした精神を持ち、高い教育を受けていたにも関わらず、そうした状況を乗り越えることが出来ませんでした。ですから、未だにその弱さを引き摺っているのです。この試練は、あなたも既に予感しているように、これからの転生で繰り返されるはずです。次の転生でも、おそらく、自殺したいという思いにあなたを駆り立てる一連の出来事と戦う必要が出てくることでしょう。そして、それは、あなたがついにそれらに勝利を収めるまで続くのです。
あなた自身が作り出した運命を非難したところで仕方がありません。それよりも、たった一度、過ちを犯しただけで、否応無く罰するのではなくて、何度でも立ち直る機会を与えて下さる神の善意を讃えましょう。あなたは永遠に苦しむわけではないのです。しっかり償いさえ果たせば、苦しみはそこで終るのです。
霊界において強く強く決意し、神に対して誠実に悔い改め、高級諸霊に心からお願いするのです。そうすれば、地上においてあらゆる誘惑を跳ね返す力が与えられるはずです。
この試練に勝利を収めさえすれば、あなたはどんどん進化して、素晴らしい幸福を手に入れることが出来るでしょう。というのも、他の面では、あなたは既に相当進化しているからです。ですから、もう一歩、前進しさえすればよいのです。
私達もお祈りによって支援いたしましょう。しかし、あなたご自身がまずその気にならなければ、我々の祈りも効果を発揮しません。
「ありがとうございます。ご忠告、本当にありがとうございます。私にはどうしても必要な忠告でした。私は、精一杯、無理をして、不幸だと思われないように振舞っていたのです。
私は、今後、あなたの忠告を大いにいかし、次の転生に備えたいと思います。今度こそ、勝利を収めるようにいたしましょう。ああ、早く、この忌むべき状態から抜け出したいものです」