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自殺の霊的知識

自殺してはならない霊的な理由


 ここでは、アラン・カルデック著の[霊の書]より、初心者向けの霊的知識を紹介していきます。なぜ数ある霊的書物の中で霊の書]なのかと言えば、簡潔に述べられていて、理解し易いからです。初心者が長文を読むのはハードルが高いと思ったからです。なので、まずは簡潔な短文でご理解ください。そして霊的知識に、より興味を持たれたら、当サイト内の他の[霊の書]の項目や、他の[シルバーバーチの霊訓]等の霊的知識の項目を存分にお読みください。


アラン・カルデック

霊の書]の[来世の喜びと悲しみ]より



罪の償いと改悛


○悔い改めは地上生活中に起こりますか、死後霊界に入ってから起こりますか。
「それは死後である。だが、諸君が善悪のけじめさえはっきり分かれば、地上生活中にも起こるであろう」

○死後霊界に入ってから悔い改めた結果は、どうなりますか。
「浄化の為の、再生の願望である。霊は自分の不完全さに気付く、これが幸福を奪っていたことを。そこで、霊は新しい人生を希求する、そこで自分の欠陥の償いをする為に」

○地上生活中に悔い改めたら、どうなりますか。
「自分の過ちを償う時間があれば、地上生活中でも進歩をみる。良心の声で自分を責めつけたり、自分の欠陥を目の当たりに見る時は、人は常に進歩を見る」

○悪い本能が強すぎて、改悛できないという人はいませんか。
「既述のように、進歩は絶え間なく行われることに違いはない。今生で悪い本能ばかりの持ち主である者は、いつかの人生では善の本能の持ち主になっていよう。彼が繰り返し再生するのは、この目的を達せんが為である。全ての者、必ずや進歩を見、必ずやゴールに到達するもの。しかし、ある者の進歩は早く、他の者の進歩は遅い、それは本人の希求する力に応じている。今、善の本能のみを持つ者は、既に浄化を遂げている者、彼等は以前の人生において、悪の本能の所有者だったかもしれなかったから」

○生涯自分の罪を認めず、道を踏み違えた者は、死ねば必ずその罪を認めることになりますか。
「左様、必ずそうなる。その時激しく苦しもう。どんな悪をしたかを感じ、自分のせいでそうなった事が分かるから。だが、即座に改悛するとは限らない。強情にも、苦しみながらも、なお悪に耽る霊達がいる。だが、遅かれ早かれ、道を間違っていたことが分かり、これが分かると次いで改悛が来る。高級霊の努力があって、彼等は目を開く」

○悪い事はしないが、やる気のない霊というのがいますか。
「世の中の為になる事は何もせず、じっとしている霊達がいる。そんな場合、本人がじっとしている分だけ、本人は苦しむのである。と言うのは、どんな状態、どんな環境にあっても、進歩に繋がらねば空しいし、その状況下で、本人が舐める苦しみによって、進歩は得られるものだからである」
-彼等は自分の苦しみを、早く切り上げようとは願わないのですか。
「確かにその願いを彼等は持ってはいる。だが、苦痛を和らげるに足るエネルギーが不足しているのである。諸君等の周囲には、働くよりは餓死した方がマシだと思っている連中が沢山いないかね」

○霊には、自分で人を傷つければ、痛めつけたその結果が目に見えます。それ故、自分の堕落だとか、進歩の遅れはそっちのけに、人間を邪道に引き入れる悪事をする霊がいます。これはいかがですか。
「こんな事をするのは、改悛の遅れた霊共である。改悛しても、後になって、更に未発達の他の霊に、邪道へ引き戻されてしまう霊がある」

○私共は時折、自分の為に捧げられた祈りに、深く心を打たれている霊を見ることがあります。ところが、明らかにもっと進歩しているような霊が、祈りに冷淡でこれを頑として受け入れないことがあります。これはいかがですか。
「祈りは悔い改めた霊の場合には効果がある。思い上がって、神に反抗的で、悪行を続け、堕落の淵に沈んで行く、そういう霊には、祈りは無効である。少しでも改悛の情が兆せば、初めて効果が現れる」
〔注解〕人間は死んだからといって、すぐ変わってしまうわけではない。この事実から目を逸らしてはいけない。本人の生涯が良くなかったのは、本人が未熟だったからそうだったので、死ねば直ぐその人間が完全になるわけではない。学習、反省、苦しみを経て目が開かれるまでは、依然、行いも考え方も間違っており、偏見がある。

○罪の償いが行われるのは、地上生活中ですか、死後霊界に入ってからですか。
「地上生活中は、本人の受ける試練の形で、償われる。霊の世界にあっては、低い霊にありがちの精神的苦痛、これにより償われる」

○地上生活に誠心誠意悔悟すれば、それで十分に、生活の誤りを消し去り、本人に神の愛が回復できるのではありませんか。
「改悛によって、霊の改善には役立つが、犯した悪行の償いはなされねばならない」
-もしそうだとしますと、もし本人の霊が[償いの行為は必ずする訳だから、改悛の必要はない]と、こう言ったら、その結果はどうなりますか。
「本人が悪い考えを重ねていけば、その償いは長引き、苦痛も大きくなろう」

○私共は現世において、自分の誤りを償うことが出来ますか。
「出来る。その誤りを償うことによってである。しかし、ほんの少しを失うだけで償えるとか、不用なものを、自分の死後に贈ることで、償えると思ってはならぬ。神は、格好だけの償い、胸の中だけの償い、労を伴わない償いを評価なさらない。自分の為にその懊悩がどんなに深かろうと、他者の為に失う小指一本にも及ばない、悪行を吹き消すには」
「悪は善によってのみ償われる。償いの行為が、人間の名誉や利害に現実に影響を与えねば、価値はない」
「死んだ後になって、本人が不正入手した富を返却したとて、どうして本人の名誉回復になろうか。本人は既に利益を得た後の祭り、本人にとって富は無用」
「他人に犯した過ちが消えていなければ、少々贅沢を止めるとか、下らぬ楽しみを控えるくらいで、何の為になろう」
「人の前では自分の誇りを大事にしておいて、神の前でへりくだっても、実際、何の益になろう」

○自分の財産を、自分の死後、有効に利用するよう保証しておくことは、評価していいのではありませんか。
「その行為に益はないと申せば、正しくはあるまい。何もせぬよりはマシなのである。難を申せば、死後贈与するそれだけのことなら、それは気前が良いと申すより、利己的動機からそうすることが多い。本人は何も失わずに、善行をする名誉を持ちたいというわけである。生時に、自己を犠牲にして善を行う者には、二つの利点がある。一つ、自己を犠牲にする功、もう一つ、自分が原因を作った幸福を目にする喜び。だが、利己心がこう囁く『お前が人に物を与えれば、その分だけ、お前の楽しみを削っているのだぞ』と。この利己心の声の方が、無私や愛の囁きより、普通はずっと説得力がある。だから、人は、自分の持っている物は、自分の立場を守る為に必要なものだと、こう自分に言い聞かせて保有し続ける。与える喜びを知らない者は、憐れである。彼は最も純粋にして最大の喜びの一つを、持っていないからである。神は人間に、不安で危険な、富という試練を与え給うた。だが、奉仕がもたらす幸福を、その見返りとして、彼の手の届く所に、この世においても置き給うたのである」

○死の直前になって、自分の悪事を認めたが、償いをする時間のない者はどうなりますか。この場合、改悛だけで十分でしょうか。
「改悛は本人の立ち直りを促進するものとなろう。だが、それで彼が放免されるわけではない。彼には来世がないというのだろうか。その来世は、彼に対して閉ざされることはないのである」



管理人の解説

 つまり、改悛せねば、いつまで経っても、苦しみ続ける、ということだ。そして、罪の償いも遅々として進まぬ、ということだ。まあ、強情を張っても、損ばかりである、ということだ。

 私も、今回の人生で数々の過ちを犯した。けど、他者に損害を与えるような形の過ちというのは、犯してはいないつもりだ。勿論、神の目からしたら、色々と発生しているかもしれぬが。しかし自分の目からすれば、私が陥った過ちというのは、自分が損する形式の過ちばかりだ。つまり、性欲を満たす為に風俗に行きまくって借金を抱えるとか、そういうふうに、自分が損することばかりだ。なので、他者に損害を与えるような形ではない。その点は良かった。

 まあ、平気で他人の人生をぶっ壊すようなことをする者が、人助けの霊的自殺防止サイトを制作する訳がないよな。だって、こんな人助けのサイトをいくら一生懸命に制作したって、金が儲かる訳でもなし、恋人が出来る訳でもなし、現世利益のみの視点から眺めれば、全く損ばかりなのだから。

 でも、他者に損害を与えるようなことはしていないし、人助けにはなっているしで、まあ、いいか。結婚も子育ても、このサイト制作が終了すれば、出来るからな。それまでは、自己犠牲で頑張ります。


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