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自殺の霊的知識
自殺してはならない霊的な理由
ここでは、アラン・カルデック著の[霊の書]より、初心者向けの霊的知識を紹介していきます。なぜ数ある霊的書物の中で霊の書]なのかと言えば、簡潔に述べられていて、理解し易いからです。初心者が長文を読むのはハードルが高いと思ったからです。なので、まずは簡潔な短文でご理解ください。そして霊的知識に、より興味を持たれたら、当サイト内の他の[霊の書]の項目や、他の[シルバーバーチの霊訓]等の霊的知識の項目を存分にお読みください。
アラン・カルデック著
[霊の書]の[自由の法]より
運命
○人生には運命(それは定義通りの普通の意味ですが)がありますか。即ち、予め定められている人生の出来事のことです。もしあるなら、自由意志はどうなりますか。
「運命があるとすれば、再生の時に、それぞれの霊がこれこれの試練を担おうと決意をした、その結果があるだけである。この試練を選ぶことによって、彼は自分の為の一種の運命をつくる。その運命なるものは、彼が自分をそこに置きたいと選択をしたその状況、その当然の結果である。今ここで話しているのは、肉体的試練についてだけである。と申すのは、精神的試練や誘惑ということについては、善悪いずれを選ぶか、それに従うか拒否するか、これには選択の自由を霊が残しておくのが通例であるからである。善霊は、尻込みをする人を見れば、やって来て助けてやる。しかし、本人の意志の働きを犯すところまではしない。これに反して悪霊は-つまり未発達霊は、あれこれつべこべと不安を吹き込んでは、本人を悩ませ脅かす。しかし、そうではあっても、本人の霊がどんな選択をするか、その意志の自由は残されている」
○中には、自分の行為とは関係なしに、運命に翻弄されるように見える人がいます。この場合、この不幸は宿命の結果なのでしょうか。
「それは、本人が霊界で自ら選択した為に、受けることになった試練であろう。諸君等は自分達の失敗に過ぎない結果を、運命としてしまうことがよくある。しっかり目を開いて見なさい、そうすれば諸君等の不幸の大部分は慰めを得よう」
○一難去ってまた一難、彼等はそういう人達です。彼等が死を免れることは不可能だったように思えます。こういう場合にも宿命はないのですか。
「宿命などは存在しない、宿命という言葉通りの意味では、あるのは死の時、これである。その時が来れば、どんな形であれ、死が顔を見せれば、人はそれを避けることは出来ない」
-もしそうなら、どんな危険が身に迫っても、死の時が来ていなければ、我々は死ぬことはない、こうですね。
「そうだ、人は死ぬことはないだろう-このような例を諸君は沢山もっていよう。しかし、その時が来ていれば、人は何をもってもそれを避けえない。神は諸君の一人一人がどのようにして現世を終るかを、予め知っておいでになる。諸君の霊もこれを知っていることが多い。何となれば、諸君が自分の人生を選択する時に、それは示されるのであるから」
○死の時は避けられないとすると、危険を察知して注意しても無駄である、こうなりますか。
「いや、このような用心は、本人に迫る危険を本人が避けるようにと、与えられる暗示なのである。これは早すぎる死を避けるよう、本人に対して神慮が用いられる一つの方法なのである」
○実際に結果は及ばないのに、危険が身を脅かす、このような摂理の目的は一体何ですか。
「あなたの人生が危険にさらされている時、悪から身を転じて善に赴く為、あなた自身が望んだ警告である。危険から逃れる時、また自ら招いた危険になお心が高ぶっている間、人は真剣に考える、善霊から受ける暗示の程度に応じつつではあるが、どう自らの人生を改善していくべきかについて。悪霊が立ち去ると、人はこうすれば危険は避けられるのだと思い、心に喜びを持ち再び心の自在な活動の場を取り戻す。自ら招いた危険によって、神は諸君に思い出させる。自分の弱さを、人生の脆さを。諸君が免れた危険の原因や性質をよく調べてみるなら、諸君は多くの場合それが、自分の犯した過失や自分が逃げた責任の罰であったことに、気付くであろう。神はこのようにして人が自分の心を覗くようにと、自己改善の業を怠らないようにと、警告を与え給う」
○地上生活でどんな死に方をするか、これを予め知っていますか。
「霊は、自分が自分の人生を選んだこと、そこである一定の死に方をすること、これを知っている。また霊は、その危険を避ける為に自分がせねばならぬ努力を予見している。更に霊は知っている、もし神のお許しがあれば、自分はそれを免れるということを」
○未だ死ぬ時ではないという確信をもって、雄々しく闘っている人々がいます。こういう確信には何か根拠がありますか。
「人は最後の時の予感を持つことがよくある。同様に、未だ死ぬ時ではないという予感を持つ。こういう予感は守護霊の為せる業である。守護霊は本人に逝く時の準備をさせておこうと思うわけで、また、特にその必要がある時、勇気を持つようにさせたいと、こう望むわけである」
○死の予感を持つ人は、持たない人よりも怖れが少ないのは、どうしてですか。
「死を怖れるのは人間であって、霊ではない。死の予感を持つ人は、人間としてよりも霊として、それについて考える。で、彼はこう悟る、これは自分にとり救いであると。こうして静かに死の時を待つ」
○定められた死の時が来たら、死は避けられないものなら、我々の人生航路で起こる出来事は、どう転んでも同じ事なのですか。
「出来事について我々は余り諸君に警告を発しない。また我々が指示を下して出来事を回避させることも少ない。我々は物質上の問題に余り興味をもたない。諸君が選んだ人生にとって、この事は殆ど重要ではないから。真実の唯一の運命とは、人がこの世に出現する時間と、去っていく時間、そこにある」
-人生の中で間違いなく起こる出来事、霊の方でもこれを変更しない。そのような出来事がありますか。
「ある。諸君が受肉以前に、自分の人生の選択をした時、諸君はその出来事を予見している。しかしだからといって、人生に起こる出来事が、文字を書くように書かれていると、思ってはいけない。一つの出来事は、諸君が自由意志で行為したことの結果であることが多い。だから、もし諸君が行為しなかったら、その事件は起きていなかったであろう。もし指を火傷するとする、こんな事は前もって定められていたのではない、本人の不注意のなせる下らぬ災難、物理的法則の結果である。神により予定されているものは、大きな悲しみ、深甚な重要な事件、本人の精神状態に影響を及ぼす出来事、これである。何となれば、それが本人の浄化と教化に効用をもつからである」
○意志と努力で、人はもしかしたら起こる筈だった事件を、起こらずに済ますことが可能ですか。また、この逆もあり得ますか。
「自分の選択した人生と、この事が矛盾せぬなら、それは可能。更に、善を為す為に、これこそ人生の唯一の目的であり、そうあるべき善を行う為に、人は悪を避けてもよい、なかんずく、大きな悪の元になりそうな事を妨害してよろしい」
○殺人者は、自分の人生選択の時、殺人者となることを知っていましたか。
「いや。本人は次のように知っていた。闘いの人生を選択することで、人を殺す危険を招くと。しかし、本人は自分が実際にそうするかしないかは知らなかった。と言うのは、その罪を犯す前の殺人者の心中には、大体間違いなく、解放状態があるから。解放状態にある本人は、それを犯す自由、犯さぬ自由、いずれかである。前もって霊が殺人することを知っていれば、罪を犯す宿命を持たされることになる。誰一人、罪を犯す宿命を負わされてはいない。どんな罪も、その他の行為と同じく、自由意志と決意の結果である」
「諸君はどうも二つの事を、それも余りにも、混同しがちである-物質生活の出来事と、精神生活の行為とを。もし、一種の運命があるとすれば、それは物質生活の出来事でのみ起こるのである。その原因は諸君の行為の手の届かぬ彼方、諸君の意志から独立している。精神生活の行為はどうかというと、こちらは人間自身から発する行為である。それも常に本人の選択の自由の結果として生まれて来る行為、これである。従って、このような行為の中に、運命のようなものはない」
○何をやっても上手くいかない人がいます。する事なす事に悪邪霊がまといついているようです。これは宿命とでも言いますか、そうではないでしょうか。
「宿命と呼びたければ、確かに宿命である。但し、それは本人が受肉以前に自分で選択した人生の結果である。と申すのは、彼等は失意の人生を送ることによって、忍従や辛抱を学びたいと望んだのだったから。しかし、この運命が絶対だと思ってはいけない。これは、自分で道を誤った結果、自分の知力や資質を上手く使わない結果であることが多いのだから。泳ぎを知らないで川を横切ろうとする者は、絶交の溺死の危険に立っているわけである。同じ事が、人生の大部分の出来事についても言える。自分の能力に叶った物事だけを手がける人は、概ね成功を勝ち取る。失敗の因となるものは、人間の自惚れや野心、これらは人間を正しい道から逸らしてしまう。又、自己満足の野望に過ぎないものを、天職と思い違いをさせてしまう。このような者は失敗する、それは本人の欠陥によるものである。しかるに、自分を責める代わりに、彼は自分の星を呪う」
○社会慣習の為に、余儀なく別の道を辿ることがよくあるのではありませんか。自分の職業選択が周囲の人の意見で左右されることもよくあるのではありませんか。他人の判断をわりに重視する気持の為に、自由意志の修練の障害となる、そんなことはありませんか。
「社会慣習は神ではなく、人間によって作られるもの。人がこれに従うのは、そうすることが相応しくあるからだ。またそれ故に、本人は自由意志でそれに従っているわけ、但し、それから離れたければ、離れられる場合だが。だから、ぶつくさ言うこともあるまい。人々が責めるべきは社会慣習ではなくて、自分のプライドである。このプライドの為に、人は自分の権威を傷つけるよりはと、餓死を選ぶ。自分の意見を犠牲にしたって、誰も感謝はしない。神様は彼等の空しい犠牲をよくご存知であるが」
○運の良くない人がいるかと思えば、何をやっても上手くいく、運の良い人もいます。一体何からこうなるのですか。
「多くの場合、本人が事をどう処理するか。そのやり方である。しかし、試練の種類にもよりけりである。人は成功すると成功に酔ってしまう。そして自分の運を信じ切って、最後はどんでん返しを食う。もし思慮分別があったら、食う筈のなかったどんでん返しを」
○意志や知性も関係なしに、思わぬ幸運が転がり込むことがあります。例えばサイコロ賭博のような場合、あれは何ですか。
「それは霊達の仕業である。人間として得た勝利が、霊としては失敗であることが多い。こういう僥倖(ぎょうこう)は本人の虚栄心や欲心の試練である」
○では、私共の物質上の運命をつくる、いわゆる運は自由意志の結果ですか。
「諸君は自らその試練を選択したのである。その試練が厳しく、また諸君がそれをよく耐えれば、いっそう諸君は高く向上しよう。人生をぬくぬくと利己的快楽に淫身をやつして生きる者は、進歩が停滞する臆病者である。この故に、今不幸な多数は、幸福である者達よりも、地上ではずっと偉大な者達である。何となれば、霊というものは一般に、自分に最も有効な試練を、選択するものであるから。霊達の目には、諸君等の壮麗さとか享楽の虚しさが、はっきり見えている。それだけでなく、最高に幸福な人生とは、必ずやある程度、波風のあるもの、ある程度悩み事もあるもの。ただ悲しみだけがなければ」
○良い星の下に生まれる、という言葉は、どこから出て来るのですか。
「星と人間の運命とを結び付けた、古い迷信-一部の者達が愚かにも、そのまま真理と鵜呑みにしている天象図、それから出ている」
管理人の解説
[運命]という言葉を、霊的知識の無い人々は、あたかも、予め固定された回避不能な定めのように用いる。しかし、どうやら、生まれる時と、死ぬ時以外は、柔軟性があるらしい。とはいえ、大体の人生の道筋は、生まれる前に、霊界で定めてきたらしい。
だから、今回の私の人生において、私が生まれる前の霊界で絶対に想定していなかったプロ野球のスーパースターになる、なんてことは無いし、不可能なのだ。もしも生まれてから、プロ野球のスーパースターになる予定だったのならば、もっと強靭な、運動神経抜群な体に生まれねば、それを達成することは不可能だから。華奢な体、才能のない体では、どんなに努力しても、プロ野球選手にすらなれない。まして、プロ野球のスーパースターには絶対になれないのだ。
私も、こうして霊的知識普及の為の自殺防止サイトを今、制作しているのだが、こういうサイトを作るという決意も、別に二十歳の頃から持っていたわけではない。むしろ、若い頃など、霊的知識さえ知らなかったのだ。それが、失意のどん底を経験して、それから長い年月をかけて、色々あって、キリスト教の勉強をした後、キリスト教は間違いだと気付き、その後、家族で旅行した先の旅館の休憩室に設置してあった、誰でも閲覧可能なパソコンのインターネットでシルバーバーチの霊訓に出会い、そこから霊的知識の勉強をかなりして、今に至る、という訳だ。
しかし、すんなり、今のサイトを制作出来た訳ではない。このサイトの前にも、別の霊的な自殺防止サイトを制作していたが、訳あって削除した。今は二代目を制作中なのだ。そしてこの二代目の霊的自殺防止サイトは、一代目と比較すれば、ずっと改良されている。
私の今回の人生の目的は、インターネットにおいて霊的な自殺防止サイトを制作し、多数の自殺志願者を救うというものだと思われる。なぜならば、今、使命感に駆られて頑張って制作しているからだ。しかし、ここまで来るのに、実に紆余曲折があった。
だから、私が今しているように、自殺防止サイトを制作するように導かれてきたのは、運命といってよいと思う。なぜならば、今生の使命を果たす為に、そのように導かれてきたように感じるからだ。
しかし、今現在、私が性風俗で散財した結果、クレジットカードで莫大な借金を負っていることは、運命ではないだろう。それは、私が単に性欲に負けて、お金の管理が出来なかった結果だ。なので、現時点において、クレジットカードの借金がゼロという今も、可能性としてはあった訳だ。ただ、私は、実際には性欲に勝てなかったので、こんな借金まみれになってしまった。
まあ、仕方がない。これからも生きていくしかない。ただ、自殺防止サイトを完成させるというのは、人生における使命なので、これだけは何としてでもやり遂げねばならない。だから、頑張る。
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ここでは、アラン・カルデック著の[霊の書]より、初心者向けの霊的知識を紹介していきます。なぜ数ある霊的書物の中で霊の書]なのかと言えば、簡潔に述べられていて、理解し易いからです。初心者が長文を読むのはハードルが高いと思ったからです。なので、まずは簡潔な短文でご理解ください。そして霊的知識に、より興味を持たれたら、当サイト内の他の[霊の書]の項目や、他の[シルバーバーチの霊訓]等の霊的知識の項目を存分にお読みください。
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[霊の書]の[自由の法]より
運命
○人生には運命(それは定義通りの普通の意味ですが)がありますか。即ち、予め定められている人生の出来事のことです。もしあるなら、自由意志はどうなりますか。
「運命があるとすれば、再生の時に、それぞれの霊がこれこれの試練を担おうと決意をした、その結果があるだけである。この試練を選ぶことによって、彼は自分の為の一種の運命をつくる。その運命なるものは、彼が自分をそこに置きたいと選択をしたその状況、その当然の結果である。今ここで話しているのは、肉体的試練についてだけである。と申すのは、精神的試練や誘惑ということについては、善悪いずれを選ぶか、それに従うか拒否するか、これには選択の自由を霊が残しておくのが通例であるからである。善霊は、尻込みをする人を見れば、やって来て助けてやる。しかし、本人の意志の働きを犯すところまではしない。これに反して悪霊は-つまり未発達霊は、あれこれつべこべと不安を吹き込んでは、本人を悩ませ脅かす。しかし、そうではあっても、本人の霊がどんな選択をするか、その意志の自由は残されている」
○中には、自分の行為とは関係なしに、運命に翻弄されるように見える人がいます。この場合、この不幸は宿命の結果なのでしょうか。
「それは、本人が霊界で自ら選択した為に、受けることになった試練であろう。諸君等は自分達の失敗に過ぎない結果を、運命としてしまうことがよくある。しっかり目を開いて見なさい、そうすれば諸君等の不幸の大部分は慰めを得よう」
○一難去ってまた一難、彼等はそういう人達です。彼等が死を免れることは不可能だったように思えます。こういう場合にも宿命はないのですか。
「宿命などは存在しない、宿命という言葉通りの意味では、あるのは死の時、これである。その時が来れば、どんな形であれ、死が顔を見せれば、人はそれを避けることは出来ない」
-もしそうなら、どんな危険が身に迫っても、死の時が来ていなければ、我々は死ぬことはない、こうですね。
「そうだ、人は死ぬことはないだろう-このような例を諸君は沢山もっていよう。しかし、その時が来ていれば、人は何をもってもそれを避けえない。神は諸君の一人一人がどのようにして現世を終るかを、予め知っておいでになる。諸君の霊もこれを知っていることが多い。何となれば、諸君が自分の人生を選択する時に、それは示されるのであるから」
○死の時は避けられないとすると、危険を察知して注意しても無駄である、こうなりますか。
「いや、このような用心は、本人に迫る危険を本人が避けるようにと、与えられる暗示なのである。これは早すぎる死を避けるよう、本人に対して神慮が用いられる一つの方法なのである」
○実際に結果は及ばないのに、危険が身を脅かす、このような摂理の目的は一体何ですか。
「あなたの人生が危険にさらされている時、悪から身を転じて善に赴く為、あなた自身が望んだ警告である。危険から逃れる時、また自ら招いた危険になお心が高ぶっている間、人は真剣に考える、善霊から受ける暗示の程度に応じつつではあるが、どう自らの人生を改善していくべきかについて。悪霊が立ち去ると、人はこうすれば危険は避けられるのだと思い、心に喜びを持ち再び心の自在な活動の場を取り戻す。自ら招いた危険によって、神は諸君に思い出させる。自分の弱さを、人生の脆さを。諸君が免れた危険の原因や性質をよく調べてみるなら、諸君は多くの場合それが、自分の犯した過失や自分が逃げた責任の罰であったことに、気付くであろう。神はこのようにして人が自分の心を覗くようにと、自己改善の業を怠らないようにと、警告を与え給う」
○地上生活でどんな死に方をするか、これを予め知っていますか。
「霊は、自分が自分の人生を選んだこと、そこである一定の死に方をすること、これを知っている。また霊は、その危険を避ける為に自分がせねばならぬ努力を予見している。更に霊は知っている、もし神のお許しがあれば、自分はそれを免れるということを」
○未だ死ぬ時ではないという確信をもって、雄々しく闘っている人々がいます。こういう確信には何か根拠がありますか。
「人は最後の時の予感を持つことがよくある。同様に、未だ死ぬ時ではないという予感を持つ。こういう予感は守護霊の為せる業である。守護霊は本人に逝く時の準備をさせておこうと思うわけで、また、特にその必要がある時、勇気を持つようにさせたいと、こう望むわけである」
○死の予感を持つ人は、持たない人よりも怖れが少ないのは、どうしてですか。
「死を怖れるのは人間であって、霊ではない。死の予感を持つ人は、人間としてよりも霊として、それについて考える。で、彼はこう悟る、これは自分にとり救いであると。こうして静かに死の時を待つ」
○定められた死の時が来たら、死は避けられないものなら、我々の人生航路で起こる出来事は、どう転んでも同じ事なのですか。
「出来事について我々は余り諸君に警告を発しない。また我々が指示を下して出来事を回避させることも少ない。我々は物質上の問題に余り興味をもたない。諸君が選んだ人生にとって、この事は殆ど重要ではないから。真実の唯一の運命とは、人がこの世に出現する時間と、去っていく時間、そこにある」
-人生の中で間違いなく起こる出来事、霊の方でもこれを変更しない。そのような出来事がありますか。
「ある。諸君が受肉以前に、自分の人生の選択をした時、諸君はその出来事を予見している。しかしだからといって、人生に起こる出来事が、文字を書くように書かれていると、思ってはいけない。一つの出来事は、諸君が自由意志で行為したことの結果であることが多い。だから、もし諸君が行為しなかったら、その事件は起きていなかったであろう。もし指を火傷するとする、こんな事は前もって定められていたのではない、本人の不注意のなせる下らぬ災難、物理的法則の結果である。神により予定されているものは、大きな悲しみ、深甚な重要な事件、本人の精神状態に影響を及ぼす出来事、これである。何となれば、それが本人の浄化と教化に効用をもつからである」
○意志と努力で、人はもしかしたら起こる筈だった事件を、起こらずに済ますことが可能ですか。また、この逆もあり得ますか。
「自分の選択した人生と、この事が矛盾せぬなら、それは可能。更に、善を為す為に、これこそ人生の唯一の目的であり、そうあるべき善を行う為に、人は悪を避けてもよい、なかんずく、大きな悪の元になりそうな事を妨害してよろしい」
○殺人者は、自分の人生選択の時、殺人者となることを知っていましたか。
「いや。本人は次のように知っていた。闘いの人生を選択することで、人を殺す危険を招くと。しかし、本人は自分が実際にそうするかしないかは知らなかった。と言うのは、その罪を犯す前の殺人者の心中には、大体間違いなく、解放状態があるから。解放状態にある本人は、それを犯す自由、犯さぬ自由、いずれかである。前もって霊が殺人することを知っていれば、罪を犯す宿命を持たされることになる。誰一人、罪を犯す宿命を負わされてはいない。どんな罪も、その他の行為と同じく、自由意志と決意の結果である」
「諸君はどうも二つの事を、それも余りにも、混同しがちである-物質生活の出来事と、精神生活の行為とを。もし、一種の運命があるとすれば、それは物質生活の出来事でのみ起こるのである。その原因は諸君の行為の手の届かぬ彼方、諸君の意志から独立している。精神生活の行為はどうかというと、こちらは人間自身から発する行為である。それも常に本人の選択の自由の結果として生まれて来る行為、これである。従って、このような行為の中に、運命のようなものはない」
○何をやっても上手くいかない人がいます。する事なす事に悪邪霊がまといついているようです。これは宿命とでも言いますか、そうではないでしょうか。
「宿命と呼びたければ、確かに宿命である。但し、それは本人が受肉以前に自分で選択した人生の結果である。と申すのは、彼等は失意の人生を送ることによって、忍従や辛抱を学びたいと望んだのだったから。しかし、この運命が絶対だと思ってはいけない。これは、自分で道を誤った結果、自分の知力や資質を上手く使わない結果であることが多いのだから。泳ぎを知らないで川を横切ろうとする者は、絶交の溺死の危険に立っているわけである。同じ事が、人生の大部分の出来事についても言える。自分の能力に叶った物事だけを手がける人は、概ね成功を勝ち取る。失敗の因となるものは、人間の自惚れや野心、これらは人間を正しい道から逸らしてしまう。又、自己満足の野望に過ぎないものを、天職と思い違いをさせてしまう。このような者は失敗する、それは本人の欠陥によるものである。しかるに、自分を責める代わりに、彼は自分の星を呪う」
○社会慣習の為に、余儀なく別の道を辿ることがよくあるのではありませんか。自分の職業選択が周囲の人の意見で左右されることもよくあるのではありませんか。他人の判断をわりに重視する気持の為に、自由意志の修練の障害となる、そんなことはありませんか。
「社会慣習は神ではなく、人間によって作られるもの。人がこれに従うのは、そうすることが相応しくあるからだ。またそれ故に、本人は自由意志でそれに従っているわけ、但し、それから離れたければ、離れられる場合だが。だから、ぶつくさ言うこともあるまい。人々が責めるべきは社会慣習ではなくて、自分のプライドである。このプライドの為に、人は自分の権威を傷つけるよりはと、餓死を選ぶ。自分の意見を犠牲にしたって、誰も感謝はしない。神様は彼等の空しい犠牲をよくご存知であるが」
○運の良くない人がいるかと思えば、何をやっても上手くいく、運の良い人もいます。一体何からこうなるのですか。
「多くの場合、本人が事をどう処理するか。そのやり方である。しかし、試練の種類にもよりけりである。人は成功すると成功に酔ってしまう。そして自分の運を信じ切って、最後はどんでん返しを食う。もし思慮分別があったら、食う筈のなかったどんでん返しを」
○意志や知性も関係なしに、思わぬ幸運が転がり込むことがあります。例えばサイコロ賭博のような場合、あれは何ですか。
「それは霊達の仕業である。人間として得た勝利が、霊としては失敗であることが多い。こういう僥倖(ぎょうこう)は本人の虚栄心や欲心の試練である」
○では、私共の物質上の運命をつくる、いわゆる運は自由意志の結果ですか。
「諸君は自らその試練を選択したのである。その試練が厳しく、また諸君がそれをよく耐えれば、いっそう諸君は高く向上しよう。人生をぬくぬくと利己的快楽に淫身をやつして生きる者は、進歩が停滞する臆病者である。この故に、今不幸な多数は、幸福である者達よりも、地上ではずっと偉大な者達である。何となれば、霊というものは一般に、自分に最も有効な試練を、選択するものであるから。霊達の目には、諸君等の壮麗さとか享楽の虚しさが、はっきり見えている。それだけでなく、最高に幸福な人生とは、必ずやある程度、波風のあるもの、ある程度悩み事もあるもの。ただ悲しみだけがなければ」
○良い星の下に生まれる、という言葉は、どこから出て来るのですか。
「星と人間の運命とを結び付けた、古い迷信-一部の者達が愚かにも、そのまま真理と鵜呑みにしている天象図、それから出ている」
管理人の解説
[運命]という言葉を、霊的知識の無い人々は、あたかも、予め固定された回避不能な定めのように用いる。しかし、どうやら、生まれる時と、死ぬ時以外は、柔軟性があるらしい。とはいえ、大体の人生の道筋は、生まれる前に、霊界で定めてきたらしい。
だから、今回の私の人生において、私が生まれる前の霊界で絶対に想定していなかったプロ野球のスーパースターになる、なんてことは無いし、不可能なのだ。もしも生まれてから、プロ野球のスーパースターになる予定だったのならば、もっと強靭な、運動神経抜群な体に生まれねば、それを達成することは不可能だから。華奢な体、才能のない体では、どんなに努力しても、プロ野球選手にすらなれない。まして、プロ野球のスーパースターには絶対になれないのだ。
私も、こうして霊的知識普及の為の自殺防止サイトを今、制作しているのだが、こういうサイトを作るという決意も、別に二十歳の頃から持っていたわけではない。むしろ、若い頃など、霊的知識さえ知らなかったのだ。それが、失意のどん底を経験して、それから長い年月をかけて、色々あって、キリスト教の勉強をした後、キリスト教は間違いだと気付き、その後、家族で旅行した先の旅館の休憩室に設置してあった、誰でも閲覧可能なパソコンのインターネットでシルバーバーチの霊訓に出会い、そこから霊的知識の勉強をかなりして、今に至る、という訳だ。
しかし、すんなり、今のサイトを制作出来た訳ではない。このサイトの前にも、別の霊的な自殺防止サイトを制作していたが、訳あって削除した。今は二代目を制作中なのだ。そしてこの二代目の霊的自殺防止サイトは、一代目と比較すれば、ずっと改良されている。
私の今回の人生の目的は、インターネットにおいて霊的な自殺防止サイトを制作し、多数の自殺志願者を救うというものだと思われる。なぜならば、今、使命感に駆られて頑張って制作しているからだ。しかし、ここまで来るのに、実に紆余曲折があった。
だから、私が今しているように、自殺防止サイトを制作するように導かれてきたのは、運命といってよいと思う。なぜならば、今生の使命を果たす為に、そのように導かれてきたように感じるからだ。
しかし、今現在、私が性風俗で散財した結果、クレジットカードで莫大な借金を負っていることは、運命ではないだろう。それは、私が単に性欲に負けて、お金の管理が出来なかった結果だ。なので、現時点において、クレジットカードの借金がゼロという今も、可能性としてはあった訳だ。ただ、私は、実際には性欲に勝てなかったので、こんな借金まみれになってしまった。
まあ、仕方がない。これからも生きていくしかない。ただ、自殺防止サイトを完成させるというのは、人生における使命なので、これだけは何としてでもやり遂げねばならない。だから、頑張る。
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