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自殺の霊的知識

自殺してはならない霊的な理由


 ここでは、アラン・カルデック著の[霊の書]より、初心者向けの霊的知識を紹介していきます。なぜ数ある霊的書物の中で霊の書]なのかと言えば、簡潔に述べられていて、理解し易いからです。初心者が長文を読むのはハードルが高いと思ったからです。なので、まずは簡潔な短文でご理解ください。そして霊的知識に、より興味を持たれたら、当サイト内の他の[霊の書]の項目や、他の[シルバーバーチの霊訓]等の霊的知識の項目を存分にお読みください。


アラン・カルデック

霊の書]の[地上界での霊の介入]より



守護霊・守護天使


○守護や救助の目的で、特定の個人に接触する霊魂がいるのですか。
「いる。霊的兄弟である。即ち諸君等の言う守護霊である」

○「守護天使」という言葉に当るものは何でしょうか。
「高次元の守護霊のことである」

○守護霊の使命は何ですか。
「子供に対する父の使命-守護される者を正道に導き、助言を与えて助けてやり、苦しむその者を慰め、地上の試練に耐える勇気を奮い起こさせる役目である」

○守護霊は誕生の時から本人についているのですか。
「その誕生の時から、死の時までである。なおしばしば、死後も、霊界に入っても本人に付き添うこともあり、その後の数次の地上再生にも付き添うことさえある。と申しても、この数回の再生にしても、本人の霊的生命からすればほんのささやかな部分に過ぎないのだから」

○守護霊の使命は、自発的なものですか、義務ですか。
「あなたの守護霊は、あなたを守るよう義務付けられている。というのは、守護霊本人がこの仕事を受け入れたのだから。しかし、誰が誰を守護するかは、自己に共感をもつ人々の中から選ぶことを許されている。ある場合には、この仕事は喜びであり、またある場合には、それは使命ないし義務である」
-一人に付き添うことになると、その霊は、他の者達への保護は差し控えるよう、義務づけられるのですか。
「いや、しかしながら、本人はひたすらそのように手控えをする」

○守護霊は、その守護する人間に絶えず付き添っているのですか。
「霊は種々の使命遂行の為、その席を空けることがよくある。だがこの場合は、見張り役を交替してもらうことになる」

○守護される当人が指導にどうしても従わぬ時は、守護霊がその守護を放棄するということが、よくありますか。
「助言の効果がないと見てとった時、また低級霊の言うなりになってどう仕様もない時、守護霊は手を引く。しかし、本人を全く見捨てるわけではなく、言うことを聞くよう努力を続ける。本人を捨てるのは守護霊ではなく、守護霊の言葉に耳を閉ざす人間の方である。人間の方で守護霊に心を向ければ、守護霊は直ぐ戻ってくる」
「最大の不信の徒の心をもとらえて放さぬ教理がもしあるとすれば、この守護霊の存在、即ち守護天使の存在の教理であろう。あなたの傍にはいつも、あなたより優れた者がいる、その人はあなたに常に寄り添い助言を与え、進歩の坂道を登るのを支え助けてくれている。この世のどんな繋がりよりも深い縁で結ばれ、その情愛は真実、あなたの為に尽くしてくれる、その人があなたの傍に居る。こう考える時-これ以上の心の慰めがありますかな?このような存在が、神の命によってそこに在る、彼等は高貴にして労多い使命を諸君等の為に果たしてくれている。諸君等が行く処に彼等はあり、地下の牢獄、人里離れた処、らい病患者の家、どんな堕落漢の巣窟にも彼等は居る。何者も諸君等を、その見えぬ友から引き離すことをしない。その優しい刺激はそこにあり、心の奥深くで賢者の戒告は耳に聞こえる」
「この真理を、諸君等が心に更に深く刻まれんことを。必要の折には、この真理が幾度でも、諸君等を助けるであろう。悪霊共の落とし穴より、諸君等を救い出すであろう。しかしながら、最後の審判の日に、守護の天使は繰り返し諸君等に言わねばならぬ。私はきつくお前にすすめただろう、しかしお前は耳を貸そうとしなかった。私は地獄を見せなかったか、しかるにお前はどうしても其処に身を投げ入れようとした。私は真理の声を耳に聞かせようとしなかったか?それでもお前は目の前の助言に従いはしなかった、と。
 諸君の守護天使の言葉に耳を傾けよ、自分と天使等の間に信頼と愛の友ならではの、情愛の絆を築きなされ。何ものも天使の目から隠すな、彼等は神の目である。諸君は何一つ彼等を欺くことは出来ない。未来に目を向けよ、進歩向上の道を進みなされ。このとき試練の日は短くなり、幸いは更に増す。
人よ勇気を持て。全ての偏見と心の枠を取り払え。断固として、眼前に開かれている新しい道に踏み入れ。諸君等は守護霊をもつ、それに従いなされ。諸君等の終着点に狂いはない、そのゴールは神御自身であるから」
「高級霊が煩瑣(はんさ)極まりない辛抱のいる仕事に縛り付けられているなんて不可能なことだ。こう考えている人々に、次のように申したい。我々は何千万キロ離れていても、諸君等の魂に交感できると。空間など我々にとっては何ものでもない。他界に在っても、我々の霊視は諸君等と繋がりを保っている。我等は諸君の想像の及ばない特質をもつ。神は我等に力を超える責務を与え給わず。また神は地に在る諸君等を、友もなく支持者もなしに捨て置き給わなかったと、かように確信されよ。一人の守護の天使が一人の守護される者を持つ。父が子供を見守るようにその者を守護する。その子が正道を歩めば、これを喜び、その助言に耳を傾けぬ時は、これを嘆く」
「諸君等の質問で我等を煩わすことを恐れるな。逆に、常に我等と接触を保っておられよ。これにより諸君等はいよいよ強靱に、いよいよ幸福になろう。この、人と守護霊とを結ぶ交感によって、人はついに霊との媒介者となり、世界から不信を追放する者となる。教えを受取った諸君等は、今度は教える者となれ、才能ある者は、同胞等を進歩させる者となれ。これにより人はどんなに大きな仕事をする者となるか、お分かりかな。これぞキリストの仕事、神によって諸君等に課されている仕事。何故に、神は諸君に知恵と知識を与え給うたか、もし諸君等がこれを同胞等と共に分かち合わないとしたら。これぞ、永遠の至福へと導く大道を人々が進むことを助けんが為に」

○もし霊がその守護すべき者を見捨てて、もはや導かなければ、いやしくも守護霊がこの者に害を与えようとするのですか。
「善霊はなに人も損なうことをしない。彼等はとって代わる霊どものするがままに任せるのである。その時、人は損なった自分の不幸の運命を責め立てる。実際には、そうなったのは自分の悪行の結果であるのに」

○守護霊が、守護している者に害を及ぼす霊の為すがままに、任せておくなどということがあるのですか。
「邪霊達は、善霊の行為を骨抜きにしようとして集う。しかし、人間の方の気持が守護霊にピッタリと向かえば問題ないわけである。そこで守護霊の方は、その間、他の善意の助けてやれそうな人間に目をつける。つまり、本人の気持が守護霊に戻って来る間、守護霊は別の善を為す機会を利用しているというわけである」

○守護霊がその守護すべき者を、迷いの道に放り出したままにしておくのは、彼が本人を迷わせる悪霊をうまく処理できないからですか。
「それは処理できないからではない。彼がそうすることを望んでいないのである。と言うのは、降りかかる試練を通じて、本人がいっそう賢くまた良くなることを知っているからである。守護霊の方は本人の心に向かって、賢明な助言を与えている。しかし不幸なことに一向に本人の注意をひかないのである。悪霊に力を与えるものは、人間の弱さ、不注意、高慢さである。即ち、悪霊が人間を圧服する力は、人間が悪霊に対して十分に抵抗しないこと、そこから出てくるのである」

○守護霊はいつも本人と共に居るのですか。本人を放り出している時以外は、本人を目から離すことはないのですか。
「本人には、守護霊が必ずしも傍に居なくてもよい時がある」

○霊にとって、守護天使の存在がもはや必要でない時が来ますか。
「来る。自分一人で歩いて行けるほどに進歩した時、つまり、生徒が先生を必要としない時が来るように。しかし諸君等の地上生活中には来ない」

○私共に働きかける霊の行為は不可解に思える面がありますが、何故ですか。守ってくれるのなら、何故いつも守り続けてくれないのですか。
「もし諸君が彼等の支持をあてにすれば、自分で動こうとはしないだろう。それでは諸君の霊性の進歩はない。進歩の為に人はおのおの経験を必要とする、しばしば己が犠牲においてである。人間は自力を発揮することが大切、そうでなければ、一人歩きを許されていない子供に等しい。諸君の幸福を願う霊達の行為は、自由意志によって諸君を歩かせる、これが定まったコースである。もし自己責任がなければ、人は神に至る道を前進することはない。人は、その守護する者の姿を目にすることなく、自力を発揮する。しかし守護霊の方は、当人の姿を見守っており、時を分かたず呼びかけている、危険に気を付けよと」

○守護霊は、守護すべき者の指導がうまくいけば、それによって自ら得るものがあるのですか。
「それはやり甲斐のある仕事である。守護霊本人の進歩と幸福に役立つ。彼は自分の労苦が、成功と勝利の栄冠で報いられているさまを見て歓喜する。丁度、生徒指導で成功をおさめた教師のように」
-成功しなければ、責任をとるのですか。
「いや、左様なことはない。全力を奮ってそれをしている限り」

○自分の守護している者が、間違った道を進んでいるのを見て、守護霊は胸を痛めますか。その悲しみは、その喜びの邪魔になりませんか。
「その誤った道を進むさまを見て悲しむし、その者を憐れに思う。しかし、この苦しみは地上的な性質の苦悩とは違う。彼は知っている、悪にはその正される日があることを。今日出来なかった事は、明日は為されることを」

○私共は守護天使の名前を知ることが出来ますか。
「名前など無に等しいもの、その名をどうやって知るのかね?自分の知らない霊魂は、存在しないとでも思うかね?」
-それでも、どこの誰だか知らなければ、どうやって私共は守護霊に呼び掛ければいいのですか。
お好きな名を付けなされ-読者が共感し崇敬している、どなたか優れた霊魂の名を付けなされ。諸君の守護霊はその名を呼べば答えてくれる。善霊は全て兄弟であり、相互に皆が助け合っているから


○有名人の名をもつ守護霊達は、皆その名に値する人達なのですか。
「そうではない。しかし、その名の人達と心の通じ合っている霊達であり、しかも多くの場合、その人達の求めに応じてやって来る。諸君等は名前を求める、それ故に、彼等は断じて諸君等の心をそそる名前をつける。諸君等も自分で命令を実行できない時は、諸君の名で仕事をしてくれる、代役を送りますな」

○霊界に入れば、自分の守護霊を認めることが出来ますか。
「出来る。それは多くの場合は、地上誕生以前に知っていた霊魂であるから」

○守護霊は全て、高級な霊達ですか。平均的な進歩段階の霊も割合にいるものですか。例えば、父親がその子供の守護霊になることが出来ますか。
「父親が守ることはあるかもしれない。しかし守護ということになると、ある程度の進歩段階が必要条件となる。更に、神により認められる力と徳がなければならぬ。自分の子供を守る父親の場合は、更に高位の霊の助言を必要とするだろう」

○恵まれた状況下で他界した霊は皆、生き残っている人の中、愛する者の守護者となるのですか。
「必ずしも自由自在には活動できない現在の状況からして、彼等の力量は大なり小なり制約されている」

○未開人(凶暴・残忍な人)や、道義心の低い人達にも、守護霊はついているのですか。そうだとすれば、進歩した人々の守護霊と同じくらいに高いレベルの守護霊なのですか。
「誰しも守護してくれる霊をもっている。しかし、その役どころは夫々の目的に釣り合っている。人は読み書きを始めたばかりの子供に、哲学博士をつけたりはしない。守護する霊の進歩度合いは、守護される霊の進歩の度合いに釣り合っている。あなたを守る霊が高い霊だとしても、あなたはあなたより低い霊の守護者となる。守護する者の進歩は、あなた自身の進歩に返って来る。神はどんな霊に対しても、その本質、その進歩の程度以上のものを要求されない」

○自分の子供を守ってくれる父親が再生すれば、続けてその子供を守るのですか。
「この場合、その仕事は難しくなる。しかし、再生の前に、彼は心の通じ合っている霊に、この仕事の遂行を助けてくれるように頼む。但し、最後までやれない役割を霊達は引き受けない」
「霊は肉体をとった場合、特に鈍重な物質世界に再生する霊は、身体が足手まといとなって、十分に他者に奉仕が出来ない。必要な援助を一人では与えられない。そのため進歩不十分で守護の努めを果たせない者は、複数の高級霊に助けてもらう。一人の霊で上手くいかぬ時は、いつでも他の霊に交替して助けてもらえるように」

○守護霊の外に、一人の人に一つの悪霊が付き添っているものですか。本人に悪を唆したり、これによって本人に善と悪の闘いの機会を与える為にです。
「[付き添う]という言葉が適切ではない。実際のところ、悪霊達は機会がありさえすれば、諸君を正道から外らせようと努力している。しかし悪霊が人に憑くのは、自分の言うことを聞かせたい為に、自由意志で憑くのである。この場合、善霊と悪霊との間に闘いが起こる。いずれが勝つかは、人間の方で、どちらに従うのかの自由意志によって決まる」

○私達には、守ってくれる霊が何人かいるのでしょうか。
「誰しもその周囲に、色々の進歩度合いの、愛情によって結ばれた霊がいる。またこれと同じく、悪を唆す邪霊達がいることも同様である」

○一人の人に共感している霊達は、使命の故に働きかけるのですか。
「場合によっては、一時的な使命を帯びていることがある。しかし一般的には、単にその本人と善悪いずれにしろ、気持の上で同じものがあるから、引き寄せられているに過ぎない」
-それでは、その共感する霊とは、善霊か悪霊のどちらかということですね。
「その通り、人間は常に、本人に共感する霊達によって取り囲まれている。どんな人物、性格の人でも皆こうである」

○[親しい霊達]とは、[共感する霊達]や[守ってくれる霊達]と同じものですか。
「守ってくれる霊といい、共感する霊といい、その数は大変に多い。これらにどんな名を付けようとお好きなように。しかし[親しい霊]ということになると、家族の知人達とでもいうところである」
〔注解〕人に接触をもつ霊について、上記の説明と霊の本質から観察する時、下記のように推論できる。
 守護霊とは、生涯を通じて本人の進歩向上を助ける為に、一人に一人ずつ付き添っている霊のことである。その進歩の程度は、守護される者よりも必ず高い。
親しい霊達とは、本人に接触する期間は様々だが、力の限界内で(小さな事の方が多いが)、何か役に立つ為についている。一般に好意をもっているが、時にはそうでないことも、くだらぬ場合もある。彼等は人間生活の日常の些事にかかり合いをもち、守護霊の命令ないし許可の下に働くだけである。
 共感する霊達とは、本人と、善悪いずれにしろ波長が通じ合って、引き寄せられている霊達である。その接触期間は状況によって様々である。
 悪霊とは、本人を邪道に引き込むことを目的としてついている。不完全にして邪悪な霊である。特別の使命があってそうしているわけでなく、個人的動機で働いているのである。そのしつっこさは、本人がこの霊と通じ合う度合いで決まってくる。悪邪霊の誘惑にのるか、これをはねつけるかは、本人の自由である。

○害を加えることが目的で、あるいは正道に導くことを目的として、ある人物に接触する人間達を、何と考えたらよろしいですか。
「人々の中には、実際、ある種のいかんともし難い魅力を他者に働かせる者達がいる。この影響が悪い事の為に使われる時、その原因は悪霊から出ている。悪霊は、目指す犠牲者をいっそう上手く屈服させる為に、悪人達を利用するのである。神はこのことを諸君等の試練の為に許し給うている」

○善霊にしろ悪霊にしろ、私共の日常生活で更に緊密に接触したい目的で、肉体をとって生まれるということがありますか。
「しばしばそういうことがある。しかしそれよりも、目指す本人と共感する人間に、この使命を委託することの方が多い」

○保護と助力の目的で、一家族の全員についている霊がありますか。
「そのような霊も中にはいる。一緒に住んでいて愛情で結ばれた家族についている霊だが、その家族が仮に栄えても、その霊の守護のせいではないが」

○霊は共感によって個人につきますが、同じ目的で結ばれた団体につくことがありますか。
「霊は好んで、自分に似た者達のいる所へ行くもの。その方が一層確実に影響を受けてもらえるから。人は個人の場合でも、協会・都市・国家の一員の場合でも、その性向に応じて霊を引き寄せる。それ故、協会・都市・国家はその特色に応じて、何らかの進歩した霊の助言を受けている。もし団体の精神が優れていれば、個人の場合と同様、邪霊を遠ざけ善霊を引き寄せる。善霊は集団の廉直さを高め、逆に邪霊は集団に悪感情をまき散らす」

○協会・都市・国家などの集団は、固有の守護霊をもっているのですか。
「もっている。これら団体は個性の集合体であるが、一つの共通の目的を追求し、上方へ向う性向をもつものであるから」

○集団の守護霊は、個人についている守護霊より、その進歩の程度は高いものでしょうか。
「個人の場合と同じく、集団の進歩程度に見合っている」

○芸術の修業をしている者を導く守護霊は、芸術の進歩を促進出来ますか。
「自分に祈りを捧げてくれる者で、助力に値する者を導く、特殊の守護霊達がいる。彼等は助力に値せぬ者は導かぬ、導いてもそこから何も生まれないから。盲人に見せることは出来ず、耳の悪い者に聞かせることは出来ないのだから」
〔注解〕古人達はこれら守護霊に特殊の神格を与えた。詩神とは、美術や科学の守護霊と同じく、守護霊の諷喩的擬人化である。それは丁度家庭の守護神のようなものである。芸術・諸産業・都市・国家には守護神がいる。彼等は呼名は違っても、高級の守護霊なのである。




管理人の解説

 唯物論者達は、日常生活において、自分が何かを決断する時の要素は、自分自身の思考の他に、他人の言動があるだけと考える。しかし、本当は、守護霊も含めた、様々な霊が、本人の思考・決断に影響を及ぼしている。

 例えば、昔、秋葉原無差別殺傷事件があった。その犯人は、二十代中盤の男であった。トラックで路地に突っ込み、その後、ナイフで人々を無差別に刺し殺した事件だ。霊的な観点から眺めれば、その事件にも、深く霊は関わっている。

 まず、悪霊は、そいつが極悪なことをするように仕向ける。そして、ナイフを買わせるように、思考を促す。しかし、そこで拒否することも出来たのだが、この男は悪霊の誘惑に負けて、殺人用のナイフを購入してしまった。その後、トラックで歩行者天国のような場所に突っ込もうとするのだが、なぜか最初のチャンスでは突っ込まずに、もう一周グルっと回ってから、突っ込んだらしい。どうも、最初の時は迷って、止めたようだ。

 その時、霊の視点からは、その者の守護霊も含めた善霊が、必死に[こんなことは止めなさい!]と促していた。対して悪霊は、[やっちまえよ、殺せ、殺せ!]と促していた。結果的に、男は悪霊の誘惑に負けて、二回目で実際に突っ込んだ、という訳だ。もしも、直前に善霊の囁きに従って、実行を中止しておれば、無名のままで、今頃、何かしらの仕事をしながら家族を持っていたかもしれぬ。でも、その時に悪霊の囁きに負けてしまったが故に、死刑確定で、今は刑務所暮らしである。

 勿論、囁きといっても、実際に善霊や悪霊の声がまともに聞こえる訳ではない。しかし、感情の揺らぎとしては、水面の波紋の如く、影響されるのだ。そこで悪の誘惑に勝てるか、善の声に従い悪事を止めるか、それは、その者次第なのだ。

 あと、先日、ペルー人の30歳の男が、日本国内で六人の日本人を殺害した。報道では、その男は[悪魔の声が聞こえた]と言っていたらしい。実際には悪魔は存在しない。もしも悪魔がいるのならば、神は永遠に悪の存在を創造したということで、善を良しとする神が、そのような存在を創造する訳がないのである。だから、悪魔はいない。

 が、悪霊は存在する。それは、肉体から脱却した、元人間の霊である。丁度、この世の極悪人が、そのまま改心せずに死刑などで死ねば、悪霊となる。そいつが、このペルー人に囁いたのだろう。しかしこのペルー人は霊的知識など微塵も所有していないので、[悪魔だ!悪魔だ!]と勘違いしたのだろう。統合失調症とは、実は霊が深く関わった病気らしい。

 そのことが、ウィックランド博士の著書[迷える霊との対話]にも、詳しく実例が掲載されている。人間の思考には、本人が思っている以上に、自分以外の様々な霊の影響が及んでいるのだ。

 


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