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自殺の霊的知識
自殺してはならない霊的な理由
ここでは、アラン・カルデック著の[霊の書]より、初心者向けの霊的知識を紹介していきます。なぜ数ある霊的書物の中で霊の書]なのかと言えば、簡潔に述べられていて、理解し易いからです。初心者が長文を読むのはハードルが高いと思ったからです。なので、まずは簡潔な短文でご理解ください。そして霊的知識に、より興味を持たれたら、当サイト内の他の[霊の書]の項目や、他の[シルバーバーチの霊訓]等の霊的知識の項目を存分にお読みください。
アラン・カルデック著
[霊の書]の[地上への再生]より
前生の記憶を失うこと
○地上に生まれてくると、なぜ過去を忘れるのですか。
「人は何事も知ることは出来ず、また知ることもないであろう。神は英知をもってこのように定め給うた。もし目を遮ってくれる幕がなければ、急に闇から光へ出てくる人のように、目が眩んでしまうだろう。過去を忘れ去ることによって、人はいっそう自己自身であり得るのだ」
○生前の記憶がないのに、どうやって生前の行為の責任をもったり、過去を償ったりすることが出来ましょうか。また前生の経験をどうやって生かすことが出来ますか。人生の苦難も、それが前生の悪行の報いであることが分かってこそ、初めて効果があるものでしょう。しかし前世を忘れてしまえば、人生はこれが初めてだと自分に思われ、同じ行為を何度も繰り返すことになるでしょう。これをもって、一体なお、神の正義と言うことが出来ますか。
「再生毎に、霊はその知性も、善悪判断の能力も進歩していく。もし霊が前生を何もかも記憶していたら、どこに彼の自由があろうか。魂が死後霊界に帰って来ると、その眼前に、過去の一切がパノラマのように見えてくる。彼はそこに自分の犯した過失を、苦しみの原因を見る。また、こうすれば過ちを犯さずに済んだであろう事情も分かってくる。こうして彼は自分が今置かれている境涯の正当さを噛み締める。すると、もう一度人生をやり直したい、今度こそ過去の失敗を償いたいと思う。過去には失敗したが、それと同じ試練をもう一度試みたい、あるいは又、進歩に役立つような試練を受けてみたいと希望する。そこで先輩の霊達に、来るべき自分の事業に援助してくれるよう頼む。彼は知っている。次の人生で自分の指導役に任命される霊は、彼が前生で犯した失敗について、何らかの直感を与えてくれることによって、失敗を償うように一生懸命努力してくれるということを。この直感とは、悪い考え罪ある欲求として、しばしば本人の心に起こるが、本人は本能的にこれを拒絶する、本人はこの拒絶を両親から受けた本性によるものとするが、本当は本人の良心の囁きによるのである。この囁きこそ、過去の追憶の囁き、過去の失敗をもう一度繰り返さないようにとの警告である。新しい人生で、不屈の意志でこの試練に耐え、誘惑に抗して失敗を犯さない者は、霊性進化を遂げ、再び霊界に戻って来た時、一段と高い境涯に入るのである」
〔注解〕もし我々が地上生活中に、前生について、自分が行った善悪いずれの行為についても、正確な記憶をもたなくても、我々は過去についての直感をもつ。それは本能的な囁きで、過去の過ちを再び繰り返すまいとする心の欲求とも言うべき意識であって、それが我々にそれを避けるようにと警告してくれるのである。
○貧乏とか病気とかのない、私共よりもっと進歩した世界の人達は、私共が感じる以上に幸福を感じていますか。幸福とは一般に相対的なもので、不幸な状態と比較して幸福だと思うものです。私共よりましだとはいっても、完全というわけではありません。従って、そういう世界の住民達にも悩みや心配事がある筈だと思います。地上でも金持達は、貧乏人のような苦しみはないとしても、それ相応の悩みがないとは申せません。つまりですね、我々には我々の幸福度の基準というものがあるように、そういう進歩した世界の住民達にも、独自の幸福度の基準があって、その尺度によって自分達を不幸と考えないのかと、こういうことです。また彼等も私共のように、自分の運命に不足を言うことはないのかと、幸福度の尺度になるような過去の悪い状況の記憶はないのかと、こういう質問です。
「この問いには二種の回答がある。先ず、お尋ねのような住民達の中、過去生の記憶が明晰正確にあって、それ故に神から授かったままの幸福が享受できる、また享受している、そういう人々の世界が存在するということ。またこれとは違って、質問のような地上より進歩した状況にありながら、多大の苦悩や不幸さえも背負っている、そういう世界もある。彼等は過去の不幸な状況の記憶がない為に、現在のより進んだ状況を、そのように感じとれないのである。しかしながら、彼等には正しくその状況が感じとれないとしても、霊界に戻った時には、正しい評価が分かるのである」
○私共は前生について、何らかの啓示を受けることが出来ますか。
「それは全く不可能である。しかし、前生で自分が何であったか、何をしたか、この事を知っている者は多い。もしあからさまに彼等にそれを話させたら、その過去生とは、奇妙な話になってしまうだろう」
○人々の中には、おぼろげな前生の記憶をもっていると、信じている人達がいます。それは思い出そうとしても、思い出せない夢幻のようなものだと、こう思っています。これはやはり幻影なのですか。
「時には本物もあるが、多くは無理につくられた幻影である。一心に想像をめぐらすと、そういう結果になることがある」
○私共の地上よりも更に進歩した物質世界では、前生の記憶は、もっとはっきりしているものですか。
「肉体の物質性が少ないから、その肉体に宿った霊には、前生の記憶はもっとはっきりしている。その世界の程度が高ければ高いほどそういうことになる」
○人の性向は過去生の反映だとする時、この性向をよく検討すれば、過去に犯した過ちが何であるかを自ら発見できる、こう考えてよろしいですか。
「ある程度までそれは可能である。だが、その霊性に及んでいる進歩とか変化を考慮に入れなければならない。本人の現在は、前生より大いに改善されたものと言えよう」
-悪化するということはありませんか?例えば、前生で犯さなかった失敗を、今生で犯すような場合に。
「これは本人の進歩いかんにかかっている。もし誘惑に勝てなければ、その結果として、新しい失敗を犯すことになろう。しかしその失敗も、退歩よりむしろ停滞とみるべきだろう。何となれば、霊には進歩や停滞はあっても、退歩ということは決してないのだから」
○現世での栄枯盛衰は、過去生の失敗の償い、また未来の為の教訓となるなら、その事から、過去生でのありようを推測することが出来るのではありませんか。
「大いにそれはあり得ることだ。過去生での失敗が、この世での罰となって現れるものであるから。しかしながら、それは絶対的というわけではない。本能はその性向として、一定の方向をとろうとする。つまり、霊が身に受ける試練とは、過去生の結果のものでもあり、また未来の為のものでもあるからである」
管理人の解説
我々は、一般的には、自分の過去の人生を思い出すことは出来ない。よく前生の記憶を携えて生まれ変わった子供の話があるが、それの信憑性も不明だ。とにかく、大多数の人にとり、前生の記憶は、明確には思い出すことは不可能だ。
しかし、今回の人生の、その性向において、過去の人生における失敗を予測することは可能かもしれない。例えば、極限まで自宅に拾ってきたゴミを溜め込んで、周囲の人々に大迷惑をかけるゴミ屋敷の住民がいる。そういう人は、そのゴミを再利用するでもなしに、ただ溜め込むばかりなのだ。もしかしたら、その人の前生で、極度に物が不足した状況下で生活していたので、今回の人生において、物に対する執着が爆発した結果、不要な物でも、何でも溜め込む性格になっているのかもしれない。
まあ、結局のところ、前生のことなど、私には一切分からない。私も相当、記憶力やお頭が低性能なので、果たして、今回の人生でこの程度の性能なのだから、前生では一体、どんな人物だったのか?と思いを巡らすことが度々ある。しかし、分かる筈もない。所詮、霊能力者に[あなたの前生はこれこれこういう人ですよ]と言われたとしても、それを証明する術などないのだ。
だから、結局のところ、今の人生における自分の欠点を一生懸命に修正するように努力しつつ、何とか人生の最期まで生きていくしかないのである。まあ、過去の人生については、死んであの世に行ってから、存分に知ることが可能なのだから。
それよりも、今回の、今生きている人生において、死後に霊界に帰った時に、あの世の高級霊に褒められるような立派なことを、今、しよう。徳を積むということが、結局は死後に、より良い世界に入る秘訣なのだから。
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アラン・カルデック著
[霊の書]の[地上への再生]より
前生の記憶を失うこと
○地上に生まれてくると、なぜ過去を忘れるのですか。
「人は何事も知ることは出来ず、また知ることもないであろう。神は英知をもってこのように定め給うた。もし目を遮ってくれる幕がなければ、急に闇から光へ出てくる人のように、目が眩んでしまうだろう。過去を忘れ去ることによって、人はいっそう自己自身であり得るのだ」
○生前の記憶がないのに、どうやって生前の行為の責任をもったり、過去を償ったりすることが出来ましょうか。また前生の経験をどうやって生かすことが出来ますか。人生の苦難も、それが前生の悪行の報いであることが分かってこそ、初めて効果があるものでしょう。しかし前世を忘れてしまえば、人生はこれが初めてだと自分に思われ、同じ行為を何度も繰り返すことになるでしょう。これをもって、一体なお、神の正義と言うことが出来ますか。
「再生毎に、霊はその知性も、善悪判断の能力も進歩していく。もし霊が前生を何もかも記憶していたら、どこに彼の自由があろうか。魂が死後霊界に帰って来ると、その眼前に、過去の一切がパノラマのように見えてくる。彼はそこに自分の犯した過失を、苦しみの原因を見る。また、こうすれば過ちを犯さずに済んだであろう事情も分かってくる。こうして彼は自分が今置かれている境涯の正当さを噛み締める。すると、もう一度人生をやり直したい、今度こそ過去の失敗を償いたいと思う。過去には失敗したが、それと同じ試練をもう一度試みたい、あるいは又、進歩に役立つような試練を受けてみたいと希望する。そこで先輩の霊達に、来るべき自分の事業に援助してくれるよう頼む。彼は知っている。次の人生で自分の指導役に任命される霊は、彼が前生で犯した失敗について、何らかの直感を与えてくれることによって、失敗を償うように一生懸命努力してくれるということを。この直感とは、悪い考え罪ある欲求として、しばしば本人の心に起こるが、本人は本能的にこれを拒絶する、本人はこの拒絶を両親から受けた本性によるものとするが、本当は本人の良心の囁きによるのである。この囁きこそ、過去の追憶の囁き、過去の失敗をもう一度繰り返さないようにとの警告である。新しい人生で、不屈の意志でこの試練に耐え、誘惑に抗して失敗を犯さない者は、霊性進化を遂げ、再び霊界に戻って来た時、一段と高い境涯に入るのである」
〔注解〕もし我々が地上生活中に、前生について、自分が行った善悪いずれの行為についても、正確な記憶をもたなくても、我々は過去についての直感をもつ。それは本能的な囁きで、過去の過ちを再び繰り返すまいとする心の欲求とも言うべき意識であって、それが我々にそれを避けるようにと警告してくれるのである。
○貧乏とか病気とかのない、私共よりもっと進歩した世界の人達は、私共が感じる以上に幸福を感じていますか。幸福とは一般に相対的なもので、不幸な状態と比較して幸福だと思うものです。私共よりましだとはいっても、完全というわけではありません。従って、そういう世界の住民達にも悩みや心配事がある筈だと思います。地上でも金持達は、貧乏人のような苦しみはないとしても、それ相応の悩みがないとは申せません。つまりですね、我々には我々の幸福度の基準というものがあるように、そういう進歩した世界の住民達にも、独自の幸福度の基準があって、その尺度によって自分達を不幸と考えないのかと、こういうことです。また彼等も私共のように、自分の運命に不足を言うことはないのかと、幸福度の尺度になるような過去の悪い状況の記憶はないのかと、こういう質問です。
「この問いには二種の回答がある。先ず、お尋ねのような住民達の中、過去生の記憶が明晰正確にあって、それ故に神から授かったままの幸福が享受できる、また享受している、そういう人々の世界が存在するということ。またこれとは違って、質問のような地上より進歩した状況にありながら、多大の苦悩や不幸さえも背負っている、そういう世界もある。彼等は過去の不幸な状況の記憶がない為に、現在のより進んだ状況を、そのように感じとれないのである。しかしながら、彼等には正しくその状況が感じとれないとしても、霊界に戻った時には、正しい評価が分かるのである」
○私共は前生について、何らかの啓示を受けることが出来ますか。
「それは全く不可能である。しかし、前生で自分が何であったか、何をしたか、この事を知っている者は多い。もしあからさまに彼等にそれを話させたら、その過去生とは、奇妙な話になってしまうだろう」
○人々の中には、おぼろげな前生の記憶をもっていると、信じている人達がいます。それは思い出そうとしても、思い出せない夢幻のようなものだと、こう思っています。これはやはり幻影なのですか。
「時には本物もあるが、多くは無理につくられた幻影である。一心に想像をめぐらすと、そういう結果になることがある」
○私共の地上よりも更に進歩した物質世界では、前生の記憶は、もっとはっきりしているものですか。
「肉体の物質性が少ないから、その肉体に宿った霊には、前生の記憶はもっとはっきりしている。その世界の程度が高ければ高いほどそういうことになる」
○人の性向は過去生の反映だとする時、この性向をよく検討すれば、過去に犯した過ちが何であるかを自ら発見できる、こう考えてよろしいですか。
「ある程度までそれは可能である。だが、その霊性に及んでいる進歩とか変化を考慮に入れなければならない。本人の現在は、前生より大いに改善されたものと言えよう」
-悪化するということはありませんか?例えば、前生で犯さなかった失敗を、今生で犯すような場合に。
「これは本人の進歩いかんにかかっている。もし誘惑に勝てなければ、その結果として、新しい失敗を犯すことになろう。しかしその失敗も、退歩よりむしろ停滞とみるべきだろう。何となれば、霊には進歩や停滞はあっても、退歩ということは決してないのだから」
○現世での栄枯盛衰は、過去生の失敗の償い、また未来の為の教訓となるなら、その事から、過去生でのありようを推測することが出来るのではありませんか。
「大いにそれはあり得ることだ。過去生での失敗が、この世での罰となって現れるものであるから。しかしながら、それは絶対的というわけではない。本能はその性向として、一定の方向をとろうとする。つまり、霊が身に受ける試練とは、過去生の結果のものでもあり、また未来の為のものでもあるからである」
管理人の解説
我々は、一般的には、自分の過去の人生を思い出すことは出来ない。よく前生の記憶を携えて生まれ変わった子供の話があるが、それの信憑性も不明だ。とにかく、大多数の人にとり、前生の記憶は、明確には思い出すことは不可能だ。
しかし、今回の人生の、その性向において、過去の人生における失敗を予測することは可能かもしれない。例えば、極限まで自宅に拾ってきたゴミを溜め込んで、周囲の人々に大迷惑をかけるゴミ屋敷の住民がいる。そういう人は、そのゴミを再利用するでもなしに、ただ溜め込むばかりなのだ。もしかしたら、その人の前生で、極度に物が不足した状況下で生活していたので、今回の人生において、物に対する執着が爆発した結果、不要な物でも、何でも溜め込む性格になっているのかもしれない。
まあ、結局のところ、前生のことなど、私には一切分からない。私も相当、記憶力やお頭が低性能なので、果たして、今回の人生でこの程度の性能なのだから、前生では一体、どんな人物だったのか?と思いを巡らすことが度々ある。しかし、分かる筈もない。所詮、霊能力者に[あなたの前生はこれこれこういう人ですよ]と言われたとしても、それを証明する術などないのだ。
だから、結局のところ、今の人生における自分の欠点を一生懸命に修正するように努力しつつ、何とか人生の最期まで生きていくしかないのである。まあ、過去の人生については、死んであの世に行ってから、存分に知ることが可能なのだから。
それよりも、今回の、今生きている人生において、死後に霊界に帰った時に、あの世の高級霊に褒められるような立派なことを、今、しよう。徳を積むということが、結局は死後に、より良い世界に入る秘訣なのだから。
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