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自殺の霊的知識
自殺してはならない霊的な理由
ここでは、アラン・カルデック著の[霊の書]より、初心者向けの霊的知識を紹介していきます。なぜ数ある霊的書物の中で霊の書]なのかと言えば、簡潔に述べられていて、理解し易いからです。初心者が長文を読むのはハードルが高いと思ったからです。なので、まずは簡潔な短文でご理解ください。そして霊的知識に、より興味を持たれたら、当サイト内の他の[霊の書]の項目や、他の[シルバーバーチの霊訓]等の霊的知識の項目を存分にお読みください。
アラン・カルデック著
[霊の書]の[霊の生活]より
試練の選択
○遍歴の状態にある霊が、再生に入る前に、次の人生で起こることを予見しますか。
「霊は独力で、やがて自分が受ける試練を選ぶ。霊の自由意志とは、実に、この選択の自由の中にある」
-では、懲罰として、人生の苦難を課すのは神ではないのですか。
「何事も、神の許可なしには生じない。何となれば、宇宙を支配する法則を定められたのは神であるから。諸君も右顧左眄せず、何故に神がそのような法を創られたかを探求した方がよい。神は霊に選択の自由を授けるにあたり、自分の行為とその結果に全責任をもつように委ねられた。人は何でも思いのままに出来る。前途には正道が開かれており、同じく誤りへの道も開かれている。しかし、もし彼が敗れたとしても、慰めの道は残っている、万事はそこで終わってはいないのである。しかし、神は善なるかな、彼はもう一度やり直すことも許されているのである。更に、諸君がここで心得ておかねばならぬことは、神の御意思の仕事と、諸君の意志の役割とは違うということ。もし危険が諸君の身に近付いたら、その危険を創ったのは諸君でなく、神である。諸君は自らその危険に身をさらすように選択した、それは、諸君がそれが進歩の道であると見てとったから。神はそうすることを諸君に許し給うたのである」
○もし自分の受ける試練を私共が選ぶ自由を持つとするなら、地上生活で味わう苦難は、これはすべて、私共が予め選び予測していたことなのですか。
「いや、すべてがその通りとは言えない。即ち、諸君はこの世で起こる事柄のすべてを、その細部にわたるまで選び予見したわけではない。諸君はどんな種類の試練を受けるかの選択をしただけである。この試練で生じた出来事は、諸君が選んだ一般的な状況の結果であり、またその試練に対する諸君の反応の結果である。
例えば、ある霊が悪人達の中に生まれる運命を選択するなら、彼は自分がどんな試みにあうかは分かるが、どんな行為を行うかについては一々分からない。そのような細かい行為は意志活動、つまり彼の自由意志の働きの結果である。霊が一つの道を選べば、その為にどんな種類の試練にあうかは分かる。だから大体の推移については理解できるが、一々それがどうなるかは分からない。具体的な出来事については、その時の状況やいきさつで違ってくる。霊にとって前もって予見できることは、新しい人生の骨格のみで、即ち彼の運命に決定的影響を与える事柄のみである。もし、轍が一杯ついている路に入れば、転ぶ危険があるから、誰でも慎重に歩かねばならなぬことまでは分かる。だが、どこで転ぶかは分からない。また十二分に気をつけて行けば、転ばずに済むことだってあるだろう。またもし道を歩いていて、煉瓦が頭上から落ちてきたとする、まさか諸君は、この筋書きが出来ていたとは考えはすまい」
○霊が悪人達の中に生まれることを選ぶなとということが、あり得ましょうか。
「人はその求めている試練の性質に、かなった環境に入ることが必要なのである。彼が是正したいと思っている欠点と、彼が選んで入った環境との間には、きっと相通じるものがある。例えば、もし彼が略奪という本能と闘わねばならないとするなら、彼は山賊の群の中に入る必要があるということだ」
-では、もし地上に一人も悪人がいないとすれば、霊はある種の試練に必要な環境を発揮できませんね。
「それが事実ならもう何も言うことはないのではないか。これは高級の世界、悪の近より難い善霊のみの住む世界。地上も一日も早くこのような世界になるようにされたい」
○霊が完全に到達するには、あらゆる種類の試練を経験する必要があるのですか。高慢、嫉妬、貪欲、肉欲をそそるような、あらゆる環境を体験せねばならないのですか。
「いやそんなことはない。ご承知のように、多くの試練を受ける必要のない道を、初めからとる多くの霊がいるのだから。しかし道を誤ると、その道のもつあらゆる危険に身をさらすことになる。例えば、ある霊が富を求め、それが認められるかもしれない。この場合に、彼はその人格に応じて、貪欲家、道楽者、利己主義者、あるいは寛仁大度の人物となり、財産を活用するかまたは浪費するかである。しかし富を持った為、一切の悪で鞭打たれる者になるとは限らない」
○霊も、最初は経験もなく、無知単純なのですから、どのようにして、しっかりした人生の選択など出来得ましょうか。また、その選択に責任など持ち得ましょうか。
「揺り篭の中の幼児の為に諸君がするように、神はそのような霊の為に道を画いてやり、無経験の為に欠けているものをお授けになる。しかし、自由意志の成長につれて、徐々に自分で選択するようにしむけ給う。こういう場合、しばしばその霊は途方に暮れて、間違った道をとることがある。もし、彼が彼を導こうとしている善霊の忠告に耳を傾けないならば。人類の堕落と呼ばれるかもしれないものはこれである」
-霊が自由意志をもつようになった場合、地上界に生まれるのは、本人の選択によるのですか、それとも神が罪の償いとしてそうなされることもあるのですか。
「神はゆっくり待ち給う、決して償いを急がれはしない。しかしながら神は時にはそのような存在を課し給う。もし、霊が無知と頑固さによって、自分の為になるものに気付かぬ時、また、それが彼の浄化と進歩に役立ち、他方、彼の償いの為にもなると考えられる時」
○霊は死後すぐに、その選択をするのですか。
「いや、霊の多くは自分の苦しみが永久に続くと信じて込んでいる。これは懲罰であると、かように諸君は以前に聞いたことがあるだろう」
○霊が自分が受ける試練を決める時、何がその決め手になりますか。
「それは自己の欠陥を償うのに役立つもの、同時により早く進歩させてくれるもの、そういう試練を選ぶ。この目的の為に、ある霊は貧困の苦を自己に課して、それに耐える勇気を養おうとする。またある霊は、財産や権力の試練で抵抗力の訓練をしようと望む。これは、財や権力をもてばこれを悪用したり、またそれあるが故にかえって悪感情をもったりするので、更に危険性の多い道である。またある霊は、悪い環境と闘う運命を選んで、自己の善意を養っていこうと志す」
○ある霊は道徳心を養う為に、悪に身をさらす道を選ぶとします。しかし他の霊は同じ悪の道を選ぶにしても、別の動機から、つまりは低い自分の堕落した好みに合った環境に住みたい、またその環境なら快楽が自由に得られるからという願いから、そういう霊もいるのではありませんか。
「確かにそのようなことはある。但し、それは徳性が大変未完成な霊の中に、そういう例があるだけである。その場合も、必要な試練は自然に発生し、霊は長期にわたりその試練を受けることになる。早晩、彼等は動物的本能に耽ることは、悲惨な結果を招くということを理解するようになる。その悲惨は殆ど永遠に続くように自分には思えるものだ。また神は時として、彼等をその状態のままで放置し給うこともある。即ち彼等がついに自己の欠陥の重大性に気付き、それを改善する為に、自ら進んでそれに適した試練を感受してみようという気持になるまで」
○最も苦痛の少ない試練を選ぶのが当たり前と思えますが。
「諸君の立場からすればそう思えるだろうが、霊の立場からすれば違う。人が物質から解放されると、そういう考えはなくなって、違ったふうに考える」
〔注解〕人間は地上にあって物質の影響下にある時は、試練の辛い面だけを見て、物質的喜びに結び付く体験の方を選ぶ。しかし霊の世界に入ると、チラリと不変の至福が目に入るので、これと物質的な一時的快楽とを比較して、ちょっと苦労しさえすればこの至福が手に入ると判断する。そこで、霊は最も辛い試練を選択し、結果として辛い人生を引き受ける。これによって、迅速に幸福へ到達できることを願って。それは丁度、病人が病気が早く直る為に、苦い薬を飲むのと同じである。
○霊は、地上世界にある間に、選択をすることが出来ますか。
「人が欲求を抱けば、その意図の性質にもよるが、ある程度の影響をもつ。しかし当人が霊界に入ると、まるで違ったものの考え方をすることが多い。人は霊としてのみ自己の次の人生を選択するものである。しかしそれにも拘わらず、人は物質界に在る間に、その選択をするやもしれぬ。というのは、霊は地上に在る間にさえも、地上の物質から独立したたまゆらの瞬間をもつからである」
-地上の多数の人間は、償いとか試練とかいうこともありましょうが、先ず地上的な意味の偉大さとか財を求めますね。
「その通り。人が心の充足を求めて、世界的偉大さを目指すのは本能である。霊がそのようなものを望むとすれば、世の栄枯盛衰を心に刻む、そのためである」
○霊は完全な浄化の状態に到達するためには、絶えず試練を受けていかねばならないのですか。
「左様である。しかし試練といっても、諸君が考えるようなものではない。諸君は試練といえば、物質的苦難とのみ考える。しかし霊は完全といえなくても、ある程度の浄化に達すると、もはやそういう物質的苦難は受けなくなる。それにも拘わらず、霊は自己の進歩の為の義務を遂行せねばならない。しかし、その義務には苦痛は全くない。例えば結果として自分の進歩に役立つ他者への奉仕のように」
○霊が自分で選ぶ試練の効果を見誤っていたということがありますか。
「霊が自分の力に余る試練を選んで、これに負けてしまう場合があるやもしれぬ。また何の利益にもならない試練を選んでしまうことがあるかもしれない。例えば、本人が怠惰で、ろくでもない人生を過ごそうと思うような場合。しかしそういう場合、霊界に戻って来ると、何も得るところがなかったと感じ、失われた時間を埋め合わせようと願う」
○人がその職業についた原因、甲の人生でなくなぜ乙の人生を選んだか、これは如何でしょうか。
「この回答は、諸君自身の中にあるのではないかな。現在その職業に就いていることは、既述の試練の選択の結果であるということ、また、前生涯での進歩の結果でもあるということ」
○遍歴状態下の霊が、自分の進歩に役立つ地上生活をあれこれ研究する場合、例えば、もし食人種に生まれたら、こういう生活をするだろうなどということは、どのようにして計り知ることが出来ますか。
「食人種に生まれる霊は、進歩した霊ではなく、食人種程度の霊、またはそれ以下に低い霊であろう」
-地球より低級の世界から来る霊、または食人種のような人類最低のところから来る霊が、文明人の中に生まれることが出来ますか。
「可能である。このような霊が、時として文明人の中に生まれてくる。それは、今迄より遥かに高級な状態に到達しようと試みるからである。しかしながら、彼等は場違いの状態にある。何となれば、彼等は迷い込んだ社会の信仰や慣習と、衝突する本能や慣習を身に付けて来ているから」
○文明人が、償いの為に、野蛮人の中に再生することがあり得ますか。
「ある。しかし、それはどんな償いをするかによる。自分の奴隷に残忍だった主人は、次は奴隷となり、他人に与えた苦しみを今度は自分が受けることになろう。権力を奪った者は、前生で彼に頭を押さえられていた人々に従わねばならなくなる。自己の力を濫用すれば、償いとして、上述のような人生が与えられるだろう。しかし、一方、善霊も低級な種族の中に生まれる運命を選ぶこともある。これら種族の進歩を促進させるために。この場合の再生は、使命による再生である」
管理人の解説
霊魂の進歩は、この辛い地上生活を通じてでないと、中々出来ないらしい。だから、みんな、各自の欠点を克服すべく、それぞれ別の環境・境遇に生まれるらしい。勿論、それは過去世の結果でもある。前世で殺人鬼だった者が生まれ変わって、とっても幸せな暮らしが出来る、なんてことはないであろう。その前世が殺人鬼だった者は、今回生まれ変わった肉体で、前世で何人も殺してしまったカルマを返済せねばならぬのだから。
勿論、積極的に辛い試練に身を晒す、進化した霊もいる。
地上に生きている人間からしたら、金持ちがいいとか、辛い体験なんて全く無い人生がいいとか、セレブになれたらいいなぁ~とか、とにかく、物質的に幸せな状況ばかり夢想するものだ。それは、まあ、無理もない。死ねば無になると大抵の人が思い込んでいるし、死後に生命があるだろうと思う人でも、具体的な死後の世界の知識を所有している人は、ごく稀なのだから。
だから、地上でなるべく楽をしたいと思うのは仕方がないことだ。しかし、霊界へ帰れば、そういう思いは一変するのだ。地上で楽をした期間は、まるで無駄な時間だったと。何もせずにボーっと何年も下らない生活をし続けるニートも、その時は楽かもしれないが、霊界へ帰った後、その期間のことを酷く悔やむであろう。なぜならば、その間、積極的に動いておれば、もっと色々な経験が出来たであろうから。
とにかく、私は、私の人生を生きねばならない。とりあえず、今回の私の使命は、インターネットで、霊的知識を普及させることである。だから、今、こうして一生懸命にタイピングして自殺防止サイトを制作しているのである。
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アラン・カルデック著
[霊の書]の[霊の生活]より
試練の選択
○遍歴の状態にある霊が、再生に入る前に、次の人生で起こることを予見しますか。
「霊は独力で、やがて自分が受ける試練を選ぶ。霊の自由意志とは、実に、この選択の自由の中にある」
-では、懲罰として、人生の苦難を課すのは神ではないのですか。
「何事も、神の許可なしには生じない。何となれば、宇宙を支配する法則を定められたのは神であるから。諸君も右顧左眄せず、何故に神がそのような法を創られたかを探求した方がよい。神は霊に選択の自由を授けるにあたり、自分の行為とその結果に全責任をもつように委ねられた。人は何でも思いのままに出来る。前途には正道が開かれており、同じく誤りへの道も開かれている。しかし、もし彼が敗れたとしても、慰めの道は残っている、万事はそこで終わってはいないのである。しかし、神は善なるかな、彼はもう一度やり直すことも許されているのである。更に、諸君がここで心得ておかねばならぬことは、神の御意思の仕事と、諸君の意志の役割とは違うということ。もし危険が諸君の身に近付いたら、その危険を創ったのは諸君でなく、神である。諸君は自らその危険に身をさらすように選択した、それは、諸君がそれが進歩の道であると見てとったから。神はそうすることを諸君に許し給うたのである」
○もし自分の受ける試練を私共が選ぶ自由を持つとするなら、地上生活で味わう苦難は、これはすべて、私共が予め選び予測していたことなのですか。
「いや、すべてがその通りとは言えない。即ち、諸君はこの世で起こる事柄のすべてを、その細部にわたるまで選び予見したわけではない。諸君はどんな種類の試練を受けるかの選択をしただけである。この試練で生じた出来事は、諸君が選んだ一般的な状況の結果であり、またその試練に対する諸君の反応の結果である。
例えば、ある霊が悪人達の中に生まれる運命を選択するなら、彼は自分がどんな試みにあうかは分かるが、どんな行為を行うかについては一々分からない。そのような細かい行為は意志活動、つまり彼の自由意志の働きの結果である。霊が一つの道を選べば、その為にどんな種類の試練にあうかは分かる。だから大体の推移については理解できるが、一々それがどうなるかは分からない。具体的な出来事については、その時の状況やいきさつで違ってくる。霊にとって前もって予見できることは、新しい人生の骨格のみで、即ち彼の運命に決定的影響を与える事柄のみである。もし、轍が一杯ついている路に入れば、転ぶ危険があるから、誰でも慎重に歩かねばならなぬことまでは分かる。だが、どこで転ぶかは分からない。また十二分に気をつけて行けば、転ばずに済むことだってあるだろう。またもし道を歩いていて、煉瓦が頭上から落ちてきたとする、まさか諸君は、この筋書きが出来ていたとは考えはすまい」
○霊が悪人達の中に生まれることを選ぶなとということが、あり得ましょうか。
「人はその求めている試練の性質に、かなった環境に入ることが必要なのである。彼が是正したいと思っている欠点と、彼が選んで入った環境との間には、きっと相通じるものがある。例えば、もし彼が略奪という本能と闘わねばならないとするなら、彼は山賊の群の中に入る必要があるということだ」
-では、もし地上に一人も悪人がいないとすれば、霊はある種の試練に必要な環境を発揮できませんね。
「それが事実ならもう何も言うことはないのではないか。これは高級の世界、悪の近より難い善霊のみの住む世界。地上も一日も早くこのような世界になるようにされたい」
○霊が完全に到達するには、あらゆる種類の試練を経験する必要があるのですか。高慢、嫉妬、貪欲、肉欲をそそるような、あらゆる環境を体験せねばならないのですか。
「いやそんなことはない。ご承知のように、多くの試練を受ける必要のない道を、初めからとる多くの霊がいるのだから。しかし道を誤ると、その道のもつあらゆる危険に身をさらすことになる。例えば、ある霊が富を求め、それが認められるかもしれない。この場合に、彼はその人格に応じて、貪欲家、道楽者、利己主義者、あるいは寛仁大度の人物となり、財産を活用するかまたは浪費するかである。しかし富を持った為、一切の悪で鞭打たれる者になるとは限らない」
○霊も、最初は経験もなく、無知単純なのですから、どのようにして、しっかりした人生の選択など出来得ましょうか。また、その選択に責任など持ち得ましょうか。
「揺り篭の中の幼児の為に諸君がするように、神はそのような霊の為に道を画いてやり、無経験の為に欠けているものをお授けになる。しかし、自由意志の成長につれて、徐々に自分で選択するようにしむけ給う。こういう場合、しばしばその霊は途方に暮れて、間違った道をとることがある。もし、彼が彼を導こうとしている善霊の忠告に耳を傾けないならば。人類の堕落と呼ばれるかもしれないものはこれである」
-霊が自由意志をもつようになった場合、地上界に生まれるのは、本人の選択によるのですか、それとも神が罪の償いとしてそうなされることもあるのですか。
「神はゆっくり待ち給う、決して償いを急がれはしない。しかしながら神は時にはそのような存在を課し給う。もし、霊が無知と頑固さによって、自分の為になるものに気付かぬ時、また、それが彼の浄化と進歩に役立ち、他方、彼の償いの為にもなると考えられる時」
○霊は死後すぐに、その選択をするのですか。
「いや、霊の多くは自分の苦しみが永久に続くと信じて込んでいる。これは懲罰であると、かように諸君は以前に聞いたことがあるだろう」
○霊が自分が受ける試練を決める時、何がその決め手になりますか。
「それは自己の欠陥を償うのに役立つもの、同時により早く進歩させてくれるもの、そういう試練を選ぶ。この目的の為に、ある霊は貧困の苦を自己に課して、それに耐える勇気を養おうとする。またある霊は、財産や権力の試練で抵抗力の訓練をしようと望む。これは、財や権力をもてばこれを悪用したり、またそれあるが故にかえって悪感情をもったりするので、更に危険性の多い道である。またある霊は、悪い環境と闘う運命を選んで、自己の善意を養っていこうと志す」
○ある霊は道徳心を養う為に、悪に身をさらす道を選ぶとします。しかし他の霊は同じ悪の道を選ぶにしても、別の動機から、つまりは低い自分の堕落した好みに合った環境に住みたい、またその環境なら快楽が自由に得られるからという願いから、そういう霊もいるのではありませんか。
「確かにそのようなことはある。但し、それは徳性が大変未完成な霊の中に、そういう例があるだけである。その場合も、必要な試練は自然に発生し、霊は長期にわたりその試練を受けることになる。早晩、彼等は動物的本能に耽ることは、悲惨な結果を招くということを理解するようになる。その悲惨は殆ど永遠に続くように自分には思えるものだ。また神は時として、彼等をその状態のままで放置し給うこともある。即ち彼等がついに自己の欠陥の重大性に気付き、それを改善する為に、自ら進んでそれに適した試練を感受してみようという気持になるまで」
○最も苦痛の少ない試練を選ぶのが当たり前と思えますが。
「諸君の立場からすればそう思えるだろうが、霊の立場からすれば違う。人が物質から解放されると、そういう考えはなくなって、違ったふうに考える」
〔注解〕人間は地上にあって物質の影響下にある時は、試練の辛い面だけを見て、物質的喜びに結び付く体験の方を選ぶ。しかし霊の世界に入ると、チラリと不変の至福が目に入るので、これと物質的な一時的快楽とを比較して、ちょっと苦労しさえすればこの至福が手に入ると判断する。そこで、霊は最も辛い試練を選択し、結果として辛い人生を引き受ける。これによって、迅速に幸福へ到達できることを願って。それは丁度、病人が病気が早く直る為に、苦い薬を飲むのと同じである。
○霊は、地上世界にある間に、選択をすることが出来ますか。
「人が欲求を抱けば、その意図の性質にもよるが、ある程度の影響をもつ。しかし当人が霊界に入ると、まるで違ったものの考え方をすることが多い。人は霊としてのみ自己の次の人生を選択するものである。しかしそれにも拘わらず、人は物質界に在る間に、その選択をするやもしれぬ。というのは、霊は地上に在る間にさえも、地上の物質から独立したたまゆらの瞬間をもつからである」
-地上の多数の人間は、償いとか試練とかいうこともありましょうが、先ず地上的な意味の偉大さとか財を求めますね。
「その通り。人が心の充足を求めて、世界的偉大さを目指すのは本能である。霊がそのようなものを望むとすれば、世の栄枯盛衰を心に刻む、そのためである」
○霊は完全な浄化の状態に到達するためには、絶えず試練を受けていかねばならないのですか。
「左様である。しかし試練といっても、諸君が考えるようなものではない。諸君は試練といえば、物質的苦難とのみ考える。しかし霊は完全といえなくても、ある程度の浄化に達すると、もはやそういう物質的苦難は受けなくなる。それにも拘わらず、霊は自己の進歩の為の義務を遂行せねばならない。しかし、その義務には苦痛は全くない。例えば結果として自分の進歩に役立つ他者への奉仕のように」
○霊が自分で選ぶ試練の効果を見誤っていたということがありますか。
「霊が自分の力に余る試練を選んで、これに負けてしまう場合があるやもしれぬ。また何の利益にもならない試練を選んでしまうことがあるかもしれない。例えば、本人が怠惰で、ろくでもない人生を過ごそうと思うような場合。しかしそういう場合、霊界に戻って来ると、何も得るところがなかったと感じ、失われた時間を埋め合わせようと願う」
○人がその職業についた原因、甲の人生でなくなぜ乙の人生を選んだか、これは如何でしょうか。
「この回答は、諸君自身の中にあるのではないかな。現在その職業に就いていることは、既述の試練の選択の結果であるということ、また、前生涯での進歩の結果でもあるということ」
○遍歴状態下の霊が、自分の進歩に役立つ地上生活をあれこれ研究する場合、例えば、もし食人種に生まれたら、こういう生活をするだろうなどということは、どのようにして計り知ることが出来ますか。
「食人種に生まれる霊は、進歩した霊ではなく、食人種程度の霊、またはそれ以下に低い霊であろう」
-地球より低級の世界から来る霊、または食人種のような人類最低のところから来る霊が、文明人の中に生まれることが出来ますか。
「可能である。このような霊が、時として文明人の中に生まれてくる。それは、今迄より遥かに高級な状態に到達しようと試みるからである。しかしながら、彼等は場違いの状態にある。何となれば、彼等は迷い込んだ社会の信仰や慣習と、衝突する本能や慣習を身に付けて来ているから」
○文明人が、償いの為に、野蛮人の中に再生することがあり得ますか。
「ある。しかし、それはどんな償いをするかによる。自分の奴隷に残忍だった主人は、次は奴隷となり、他人に与えた苦しみを今度は自分が受けることになろう。権力を奪った者は、前生で彼に頭を押さえられていた人々に従わねばならなくなる。自己の力を濫用すれば、償いとして、上述のような人生が与えられるだろう。しかし、一方、善霊も低級な種族の中に生まれる運命を選ぶこともある。これら種族の進歩を促進させるために。この場合の再生は、使命による再生である」
管理人の解説
霊魂の進歩は、この辛い地上生活を通じてでないと、中々出来ないらしい。だから、みんな、各自の欠点を克服すべく、それぞれ別の環境・境遇に生まれるらしい。勿論、それは過去世の結果でもある。前世で殺人鬼だった者が生まれ変わって、とっても幸せな暮らしが出来る、なんてことはないであろう。その前世が殺人鬼だった者は、今回生まれ変わった肉体で、前世で何人も殺してしまったカルマを返済せねばならぬのだから。
勿論、積極的に辛い試練に身を晒す、進化した霊もいる。
地上に生きている人間からしたら、金持ちがいいとか、辛い体験なんて全く無い人生がいいとか、セレブになれたらいいなぁ~とか、とにかく、物質的に幸せな状況ばかり夢想するものだ。それは、まあ、無理もない。死ねば無になると大抵の人が思い込んでいるし、死後に生命があるだろうと思う人でも、具体的な死後の世界の知識を所有している人は、ごく稀なのだから。
だから、地上でなるべく楽をしたいと思うのは仕方がないことだ。しかし、霊界へ帰れば、そういう思いは一変するのだ。地上で楽をした期間は、まるで無駄な時間だったと。何もせずにボーっと何年も下らない生活をし続けるニートも、その時は楽かもしれないが、霊界へ帰った後、その期間のことを酷く悔やむであろう。なぜならば、その間、積極的に動いておれば、もっと色々な経験が出来たであろうから。
とにかく、私は、私の人生を生きねばならない。とりあえず、今回の私の使命は、インターネットで、霊的知識を普及させることである。だから、今、こうして一生懸命にタイピングして自殺防止サイトを制作しているのである。
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