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自殺の霊的知識

自殺してはならない霊的な理由


 ここでは、アラン・カルデック著の[霊の書]より、初心者向けの霊的知識を紹介していきます。なぜ数ある霊的書物の中で霊の書]なのかと言えば、簡潔に述べられていて、理解し易いからです。初心者が長文を読むのはハードルが高いと思ったからです。なので、まずは簡潔な短文でご理解ください。そして霊的知識に、より興味を持たれたら、当サイト内の他の[霊の書]の項目や、他の[シルバーバーチの霊訓]等の霊的知識の項目を存分にお読みください。


アラン・カルデック

霊の書]の[]より


霊魂の進歩


○霊魂の本性は善ですか悪ですか。それとも、努力いかんで善にもなり悪にもなるのですか。
「努力次第である。進歩に従って、下級の段階から上級の段階へと上るのである」

○初めから、善い霊と悪い霊があるのですか。
「神はあらゆる霊魂を、等しく、単純無知、即ち知識のない状態で創造された。神はその一人一人に使命を与えられた。それは、彼等を啓発させるため、また、真理を学びつつ漸次完全へと到達させるため、最後は神のみもとに近付けるためにである。この完成こそ、霊魂にとり、永遠完全の幸福の状況である。霊魂は神によって課せられる試練を通過して知識を獲得する。この試練を素直に受取る霊は、速やかに最後の目的を達成する。そうでない霊は、この試練に愚痴をこぼし、自分の欠点のために、自分に約束されている完全と至福から程遠い処でもたついてしまう」
-上記の説明によると、次のように考えてよろしいですか。霊魂はその初めは、子供のように無知無経験であるが、人生の諸経験を経過して、歩一歩欠けている知識を獲得していくのであると。
「その通り、その例えでよろしい。わがままな子は無知と欠陥のままで停滞するが、素直な子はそれに応じて良くなっていく。ただ人間の一生はこの世限りだが、霊魂の生活は無限の彼方に続いている」

○霊の中には、永久に低い段階に止まるものがありますか。
「いや、すべての霊が完全を達成する。仮にどんなに停滞の時期が永くても、そのうちに必ず転機がくる。前にも述べたとおり公正で慈愛深い親なら、自分の子供を永久の罰に閉じ込めておくことが出来ようか。まして、至高至善公正無比の神にして、人の親に劣ると考えられるか」

○完全に向っての進歩が早いか遅いかは、霊魂自身の責任ですか。
「しかり、霊自身の進歩への情熱、及び神の意志にとれだけ素直であるか、これに応じて目的達成の時期は違ってくる。子供の場合も、わがままで怠惰な子より、素直な子の方が進歩が早いのではないか」

○霊が退歩するということがありますか。
「ない。霊は進歩の度合いに応じて、何が自分の進歩を阻害しているかを悟るものである。何か一つの試練を経過すると、その教訓を学び取り、決して忘れることはないのである。或いは一時的に停滞することはあるかもしれぬが、退歩することは決してない」

○霊が目的達成のために必要な試練を、神が免除なさるということがありましょうか。
「もし、霊が初めから完全なものとして創られていたら、完成の賜物の喜びを受けるに値しなかったろう。奮闘なくしてそれを受ける価値がどこにあろうか。又、霊の間にある不平等は、霊の個性の開発に必要なものである。更に、それぞれの霊魂が進歩の過程で果たす使命は、宇宙の調和を確保するための、神の計画の大切な要素である」

○全ての霊が悪の道を通って、善へ到達するですか。
「いや、悪の道ではない、無知の道を通ってである」

○ある霊魂は善の道に従うのに、ある霊魂は悪の道に従う。これは何故ですか。
「霊魂はすべて自由意志をもっているではないか。神はどの一つの霊魂も悪霊として創ってはおられぬ。神は単純で無知なものとして初め創り給うた、即ち、善に対するも悪に対するも同じ態度をとるものとして。悪となった霊魂は、自らの自由意志でそうなったのである」

○一番初め霊は未だ自己意識をもっていませんね、それがどうして善悪を選択する自由をもつことが出来るのですか。彼らの中に、善悪のいずれかへ誘う何か原理とか傾向があるのですか。
「自由意志は、霊が自己意識をもつに応じて現れてくるのである。もし本人の意志とは別の原因で動かされるなら、霊に自由はないと言えるだろう。彼の選択を決定させる要因は、本人の内にはなくて彼の外部に、つまり、本人の自由意志を唆すような影響の中にある。人類の堕落と原罪という形で言われるものは、この選択のことである。ある霊は誘惑に負けた、ある霊はこれに抵抗した」
-何処から、その人間に働きかける影響は来るのですか。
「不完全な霊から来る。彼等は人間にとりついて、これを自由にしたいと思っている。人間が負けると彼等は喜ぶ。サタン(悪魔)として風刺的に画かれているものは、この誘惑のことである」
-この影響は、その初源の時にだけ、その影響が及ぶのですか。
「命ある限りその影響は及ぶ。但し、彼が十分な自律心を身につけ、悪霊が憑依したくても出来なくなるまで続く」

○なぜ神は霊が誤った道へ走ることを許し給うのですか。
「神が霊に許し給うた選択の自由こそ、神の英知を示すものである。これによって霊は自己の行為の功罪の責を負うものとなる」

○ある霊は初めから断固として正しい道を歩み、ある霊は悪の道に沈むとすると、この両極端の間には、多様な霊の道程があるということですか。
「そのとおり、霊には数限りない辿るべき違った道程がある」

○誤った道を選ぶ霊は、終局には、他の霊と同様高い境涯に到達できますか。
「できる。但し、その道程は他のものに比し遥かに長い」

○神の目よりする時、悪の道に永く沈んで、その後向上を達成した霊は、価値が薄いとされますか。
「そのような霊も、神は、他の霊と同様によみし給い愛を注ぎ給う。彼等は悪の誘惑に負けた為に、一時、悪霊の仲間に入っていたにすぎず、その堕落以前は、他の霊と同様に、善にも悪にも中立であったのだ」

○霊の知的受容力はすべて同じですか。
「霊はすべて等しく創られている。しかし自分が何処から来たか、これを知らない。何となれば、自由意志が羽ばたく必要があるからだ。彼等は徳性と同様、知性においてもおおよそ進歩を遂げる」

○かの天使、大天使、天使長と呼ばれる霊は、他の霊とは違った特別のものですか。
「いや同じである。未完成から出発した霊が、進歩の最高域に到達し、あらゆる面の完全を自己一身に身につけたのである」

○天使達は進歩のあらゆる過程を経てきたのですか。
「既に述べた色々の段階を彼等も通って来ている。ある天使は素直に自己の使命の道を歩いたので、速やかに今日の段階に達したが、ある天使は同じこの段階に達するのに、更に永い年月を要している」

○ある者は初めから完全で優れた者として創られたという考えが、もしも間違いなら、そういう考え方が全ての民族の伝説の中にあって然るべきと思うのですが、いかがでしょうか。
「地上世界は、永遠の昔から在ったわけではない。地上世界が始まる以前に、既に多数の霊は至高の段階に到達していた。従って、地上の者達は、これら完全な霊は初めから、その同じ段階に在ったのだと自然に思うようになったのである」

○悪魔は実在しますか。
「もしも悪魔があるとすれば、それは神の製作物であろう。しかし神の立場に立つとき、永遠に呪われた悲惨なものを創造したということは正しいことだろうか。もし悪魔がいるとするなら、それは、地上の低い世界に、同様に低い他の世界に、それはあろうというもの。彼等は人間の偽善者である。彼等は公正な神を残忍で呪うべきものであると言い、神は忌むべきものとして、いい気になっている連中のことである」




管理人の解説

 魂とは、初め、どの魂も同一に、無知なものとして作られた。その後、各自の自由意思の行使の結果、ある霊は悪の道に沈殿し、長く悪人や極悪人に留まる霊になった。無論、逆に当初からあまり躓きの道には入り込まずに、淡々と善の階段を上って、スイスイと進歩向上の道を辿った善霊もおろう。

 だから、大勢殺害するような政治の指導者もおれば、自分の命を顧みずに、弱き者を救うような聖人も、この世にはいる訳だ。要は、平気で大虐殺するような人物の魂というのは、今回の人生も含めて、過去の人生において、何ら善の道を選択しなかった、ということだ。

 逆に、聖人のような清い心の持ち主は、過去の人生において、善悪の分岐路に差し掛かった時に、常に善の道を選択したから、聖人と呼ばれるような清い心の段階にまで成長したということだ。勿論、はるか昔には、その聖人も、悪を働いたかもしれぬ。しかし、それでもその後、改心して善の道を志した結果、今、聖人になれているのだ。とにかく、今、この段階において、善か悪かは、つまり過去の人生の積み重ねの結果と言える。

 まあ、でも、普通の人間は、ある程度、善にも傾くし、悪にも傾くという段階だと思われます。私も、度々、悪の誘惑に晒されます。まだ全然、悪の勧誘をきっばしと跳ね除けられるような、そんな強靭な善の精神力なんて、ないのです。私も未だ、この世で厳しい修行中なのです。

 まあ、でも、自殺せずに生きていくというのが、とりあえず、この世に肉体をまとって生きている人間が最低限に守る規律ですね。だから私も、人生の最期の時が来るまでは、悪の道に染まらずに、生き抜きたいと思います。



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