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自殺してはならない理由


-説教の主題となる聖句(テクスト)は何も用意なさらないのでしょうか。

 ありますよ。私のテクストは〝神は愛なり〟です。私達の世界に較べて魅力らしい魅力に欠けるこの地上へ戻って来るのは、あなた方に対して私達が強い愛念を覚えているからです。
 同時に又、霊力があなた方を通じて他の大勢の人々の為に使用される、その通路となって頂きたいからでもあります。地上には最早霊力の働きかけによる救済しかない人々が無数にいるのです。
 現代の宗教は今やその影響力をすっかり失っております。無能と不毛の中で足掻いております。神学だの教義だの、ドグマだの信条だの、儀式だの慣習だので反目し合い、それが足枷となっております。実在は〝霊力〟なのです。条件の整っている所ならどこにでも顕現する生命の根源なのです。
 我々の仕事はあなた方が想像なさる以上に進展しております。地上においてこうした形で永い間貢献出来たことを、私達霊団の者は光栄に思っております。振り返ってみると大変な成果が上がっていることを知ります。これは私にとって大いなる喜びの源泉です。
 こうして他に類のない方法で大霊の通路として働くことは、組織にせよ個人にせよ、霊力の援助なくしては叶えられるものではありません。既成宗教の中にも真摯に最善を尽くしている人が大勢いることは認めます。しかし、霊界からの援助なくしては、それは暗闇の中で手探りしている子供のようなものです。(訳者注-ここでは同じ真面目な気持ではあっても、それが意味のない儀式や慣習に縛られた中で行われている限り霊的な援助の入る余地がないことを言っている)
 聖職者を相手とした説得がもしも失敗に終わった時は(事実これまで数々の失敗がありました)、或いはもし上手く捗らない時は(事実中々思うに任せないものです)、或いはもしも手を取り合うべき同志の間で分裂が生じた時は、折角のチャンスを目の前にしながらそれを上手く手にすることが出来なかったその相手の為に涙を流してあげることです。既に種は蒔かれております。芽を出すものもあれば出さずに終わるものもありましょう。我々は、宗教界に身を置きながら真理の普及よりも己の地位の確保の方が大事と思う、その人間ならではの煩悩とも闘わねばならないのです。
 天使が時折涙を流しておられることがありますと申し上げるのは、そういう事情からです。宗教とは無縁の人なら弁解の余地もありましょうが、神に仕える身であることを自覚している筈の聖職者が人の為より先に我が身の安泰を考えるようでは、一体どこに弁解の余地がありましょう。
 しかし計画は着実に進行しております。既に地上に堅実な足場が築かれております。私達はただの通行人ではありません。少しの間だけ地上に逗留しているのではありません。永遠に影響力を行使し続けるのです。人間が自分とは一体何者なのか、いかなる存在なのか、憎しみといがみ合いを無くするにはどうすべきかを知り、肌の色、階級、宗教、及び国家の違いはあっても霊性において一つであり、霊的団結はそれを分裂させるあらゆる相違点よりも強力であることを知ることによって、自らの力で自らを救う方法をお教えしようとしているのです。
 私達の計画はきっと達成します。撤退するようなことは断じてありません。遅れることはあります。邪魔されることはあります。しかし、たとえ教会、法王、高位聖職者、主教、尊師、牧師といった宗教界のお偉方が何と仰ろうと、私達を追い返すことは出来ません。彼等こそ道を見失っているのです。
 我々もバプテスマのヨハネの如く、これから訪れる世界-平和と調和と愛と慈しみと協調と和合の支配する世界-暴力が忘れられ、全ての者が人の為をモットーに助け合い、地上世界をさながら天国に変えていく為の地ならしをしているところです。そういう世界は実現可能ですし、きっと実現します。
 お二人は背後から抱擁し導いてくれる偉大なる霊力と、危機に際して必ず盾となってくれる愛の存在に気付いていらっしゃいます。あなた方は自覚しておられる以上に人々の為に役立っていらっしゃいます。ご自分ではその努力のもたらす結果が測れません。しかし活字は実に大切です。しかも今こうして私の生の声を聞いて頂いております。これが、有り難いことに、活字に一層の価値を付加することになると聞いております。
 皆さんと私達とが一丸となって地球浄化の重大なキャンペーンに携わる霊の大軍の一翼を形成しております。地上の悪を懲らしめ、暗闇を減らし、より多くの愛をもたらし、人間同士、そして又人間と共にこの天体を共有している動物に対しても慈悲の心を向けさせるようにする仕事です。
 お互いの協力によってこれまでに成し遂げた成果を私達は心から喜び、これから更に多くの魂に自由をもたらしていく仕事にも自信をもって臨んでおります。それが自分の住む世界へ貢献をさせてあげる所以となるからです。
 数から言えば私達は比較的少数かも知れません。しかし背後に控えてくださっている力は宇宙最強の力です。これに刃向かえる者はいません。これを打ち負かせる者はいません。その働きを阻止出来る者はいません。いかなる団体も組織も、霊力が地上の人々に光明をもたらすという計画の成就を阻止することは絶対に出来ません。
 私はたった今、私の本来の住処である上層界から戻って来たところです。こうして地上的手段で交信している時の次元よりも遙かに高い次元で気分一新と元気回復を求めてまいりました。同時に、神の意志の地上への顕現という大業を担当する神庁の高級神霊による審議会に出席してまいりました。計画が首尾よく進捗しており、見通しも明るいとのお言葉を頂戴すると、とても元気付けられます。
 そうして新たな気持でこれまで通りの仕事に戻って来るわけです。それは地上に美と荘厳さを少しでも増す為に、霊こそ実在であること、その霊に無限の神の資質が宿されていることを教えることです。その結果として貪欲と利己心と分裂と暴力-要するに地上天国の建設の妨げとなっているもの全てを地上から駆逐することです。
 この暗く侘しい地上世界、明日はどうなるかという不安に満ちた世界に戻って来て私達に断言出来ることは、この地上にも徐々に霊の光が差し込み、その力が隅々まで浸透しつつあり、明日のことで取り越し苦労するには及ばないということです。
 幸にして霊的実在についての知識を手にした者は、いかなる程度であっても悲観の念を心に宿すことがあってはなりません。霊力は地上世界のいかなる力よりも強力です。それを人間が遅らせることが出来ます。邪魔することは出来ます。妨害することは出来ます。しかし、定められた計画の成就の為の霊力の地上への降下を阻止することは出来ません。
 既に可能な限りの数の橋頭堡が地上各地に敷設されており、地盤はしっかりと固められております。霊力の灯台にも例えられるべきものも築かれており、道を失った人々の為に間断なく光を放射しております。その霊力の通路であるあなた方及び他の大勢の人々の下に、その灯台の明りを頼りにした人達がこれからも訪れて来ることでしょう。
 霊の秘められた力、生命力、エネルギーの大きさをどう表現したら分かって頂けるか、その言葉が見当たらないのが残念です。人間に正しく理解して頂く為の用語がないのです。本日お話したことでも、出来ればお伝えしたいことのほんの一欠片に過ぎません。
 霊力は無限です。が、そこからどれだけのものを受け取るかは、あなたが現在までに到達した霊格の程度によって決まります。その受容力を少しでも増すことを心掛けることです。そうすれば、それだけ多くの霊力を流入し、その驚異、その美しさ、その安らぎ、その治癒力を発揮してくれることになります。

 (ドイツへの移民に失敗した英国人ジャーナリストにシルバーバーチがこうアドバイスした)

 あなたは教訓を学ぶ為に地上世界に来ているのです。たとえ判断の誤りから挫折することがあっても、そこから多くの教訓を学ぶことが出来ます。挫折から絶望へと進んで何も学べずに終われば、それはその人の責任です。あなたの場合は大丈夫です。その内道が開けます。

-私はかつて住み慣れた国(ドイツ)へもう一度行きたいと思ったのです。しかし、同じ川に同じ水は流れていないことを知りました。仕事がどうしても見つかりませんでした。結局私は、思いが叶い快適な場所に落ち着きながら、なかおつ惨めな思いをさせられることが有り得ることを思い知らされました。

 問題は、あなた程の霊的知識を携えた者は霊的砂漠の中では生きて行けないということです。砂漠ではオアシスを見つけることはとても困難です。しかし事態はけっして取り返しがつかないという程のものではありません。あなたが巻き込まれた事態は今日の一般的な事態より遙かに困難なものでした。(その背景説明がないので何を指しているのかが曖昧であるが、多分政治的なことを言っていると思われる-訳者)そうした中であなたは霊的な導きを得て、無事切り抜けて来られました。そして、かつては不可能だった自由の中で自我の開発を志す場を見出されました。
 元気をお出しなさい。クヨクヨしてはいけません。取り越し苦労はお止めなさい。心配しても何にもなりません。心配の念は霊界から届けられる援助の通路を塞ぎます。自信を持つのです。道はきっと開けるという確信をもつのです。いつの日か、苦い体験だったがお蔭で精神的並びに霊的に成長したから悔いはない、と言える日が来ることでしょう。

-確かに大変勉強になりました。

 同志の方にはいつも申し上げていることですが、信仰に知識を加えることから出発して、最後は知識に信仰を加えることで終わります。地上はおろか霊界においてすら、存在する知識の全てを手にすることは不可能です。知識は大霊と同じく無限であり、いつまで経っても蓄えを増やし続けることの連続です。
 首をうなだれてはいけません。後ろを振り向いてはいけません。前を見るのです。過去の頁は既にめくられ、二度と元へは戻せないのです。生命の書は常に新しい頁をめくるのです。その日その日の為に生き、昨日の為に生きてはいけません。明日刈り取る収穫の種を蒔くのは今日なのです。

-国外へ出ることによって私はそれまでの流れの外に出てしまったわけです。元の流れに戻るのは容易ではありません。霊的知識を広めるという、私が望んでいる仕事を始める方法があるでしょうか。

 あなたには果たし切れない程沢山の仕事が用意されております。ただ、前にも一度申し上げたことで、改めてここで繰り返させて頂きたいことがあります。皆さん方のように霊的知識を手にした方でもうっかりすると忘れがちなことですが、私達霊界の者はあくまでも私達にとって都合のよいタイミングで私達の方法でしか仕事が出来ないということです。
 言い換えれば、あなた方の都合に合わせてあなた方の方法でするわけにはいかないということです。地上へ働きかけるには、極めて微妙で繊細な影響力、この上なく複雑な取り扱いを必要とするバイブレーションを行使しなくてはならないからです。
 ところが人間は何かとせっかちである為に、往々にしてその性急さが、本来ならもっと楽に叶えられる筈の条件を阻害して、結局は実現を遅らせることになります。私達から要請したいのは受容性に富み、確信に満ち、冷静でのどかな精神、それに、とにかく自分にとって一番良いものがもたらされるのだ-但しその機が熟した時に、ということを一点の疑念もなく洞察出来る能力です。
 それにしがみつくのです。焦ってはなりません。地上世界の一番困った点は、何かにつけてせっかちであることです。
 私達が皆さんを目覚めさせる迄にどれだけの時を費やしたかご存知でしょうか。霊に関わることは〝早く片付ける〟ということが不可能なのです。無限なる叡智が案出した摂理に従わねばならないのです。
 もう一度繰り返します。真理は何度繰り返し述べてもよいでしょう。私達は私達のやり方で私達のタイミングで事を運びます。あなた方の都合に合わせて行うわけにはいかないのです。
 霊的に見てどうなることが自分にとって一番良いかは、人間自身には正しく判断出来ません。人間の祈りを聞いておりますと、その願い通りにしてあげたら霊的にはとんでもないことになると思われるものがよく見られます。そこで私達の判断に基づいて皆さんにとって一番良い形で援助します。指導してあげます。けっして裏切りません。見放しません。見捨てるようなことはいたしません。
 霊の威力についてはこれまで数々の証拠をお見せして来ました。私達と歩みを共にして来られた方には、霊力がどれだけのことを為しうるかをよくご存知の筈です(訳者注-『霊訓』のインペレーター霊団と同じように、シルバーバーチ霊団も高等な思想を説く前に霊の威力を見せ付ける為の手段として、物理的心霊現象を演出して見せている。これはスピリチュアリズム思想の歴史的な発展全体についても言えることで、最初は目に見える現象的なものが盛んに行われ、それが次第に精神的なものへ移行し、そして現在では思想的教訓が主流となっている)。
 私達は地上世界の為の仕事を請け負っております。数からすれば決して多いとは言えませんが、この仕事の為に私達を派遣したのは上層界の霊団なのです。その高級神霊は幾億と知れぬ人間に慈愛に満ちた影響力を行き亘らせる為に、私達を通じて霊力を行使し続ける任に当たっております。
 地上には暗黒と疑念と当惑と絶望の中で生きている魂が多過ぎます。私達はそういう人達に手を差し伸べねばならないのです。神の愛の存在を教えてあげなければならないのです。精神的に生まれ変わって豊かな生き甲斐ある人生を送る、その原動力となる霊力の存在を知らしめなくてはならないのです。
 しかし私達は着実に困難を突破し、新たな地点に橋頭堡を築きつつあります。これまでに成就し得た成果を喜び、皆さんの援助があればこれからもそれ以上のことが為し得ることを知ってください。
 霊的知識を携えた者に楽な仕事はありません。知識が増えれば増える程、ますます困難に遭遇するものと覚悟してください。こんなことを言うから私は人気が出ないのでしょうね。
 しかし、内在する霊的資質を顕現せしめる為には、幾つかの困難を覚悟し、それを挑戦目標として歓迎し克服して行かねばならないのです。もしも霊的知識を授かった者が安易な仕事しか授からないとしたら、それは神の公正を愚弄することになります。ですから、いかなる困難に出会っても絶望してはなりません。自分の内部にも背後にも、それを克服するだけの力が存在することを確信して、それを一つの挑戦として迎え撃つのです。
 我々が従事している仕事は実に重大な意義があります。数こそ少数派ですが、背後に控える力は絶大です。それが地上へ顕現するにつれて神の計画に組み込まれた役割を果たしてまいります。現時点でそれがどれ程の成果を挙げているかは、皆さんにはお分かりになれません。地上にはそれを計量する道具がないのです。しかし、魂が感動を覚え、精神が開かれていく人が着実に増えつつあります。
 地上の先輩の一人が〝子供は無限の可能性の宝庫である〟と述べています。皆さんも無限の可能性を秘めていらっしゃるのです。が、地上では普通そのほんの一欠片しか発揮されていません。もしも高級界との波長が合い、霊力をふんだんに受けることが出来れば、思いも寄らなかったことが成就されるのですが・・・・
 私は霊的知識に照らして楽観的な福音を説いております。霊的な知識を携えた者には悲観的になる根拠はどこにも見当たりません。人生の出来事には一つ一つ目的があります。幸運・偶然・奇跡といったもので動いているのではありません。改正も廃止もない永遠不変の摂理によって動いているのです。
 神は完全です。その神の無限の叡智と愛を超えるものは、この宇宙には存在しません。その叡智と愛をあなたも預けるのです。全てではありません。受け入れ能力が増すにつれて、それだけ多くの叡智と愛を頂くことが出来、それだけ生活が豊かで、雄大で、高潔なものとなってまいります。
 私がお届けするのは永遠の実在を基本とした崇高な真理です。神はけっして裏切りません。大自然の摂理はこれからも作用を止めることはありません。いかなる危機が迫りつつあっても、いかなる問題に遭遇しても、あなたの内部にそれを克服する力が秘められていることを忘れてはなりません。同時に、それ以上の強力な力が背後に控えているのです。それを呼び寄せることも出来るのです。
 困難に悩まされた時は-それは人間として避け難い宿命です-地上の喧騒から身を引いて瞑想の世界へ入ることです。そこで霊的意識を広げ、辺りに漂う光輝を存分に吸い込むのです。
 私は何一つ新しいことは申し上げておりません。真理には真新しいものはないのです。その表現の仕方が色々あるだけです。

-決断に迷った時は導きを求めるべきでしょうか、それともあくまで自分の意志で判断すべきでしょうか。私達は時として大きな決断を迫られることがあります。そんな時に思い切って突進すべきか、自然に道が開けるのを待つべきかで迷うのです。とても難しいことがあります。

 閉め切られたドアを忙しく叩いてはいけません。自然に開くのを待つのです。宇宙全体だけでなく一人一人の人間にも、きちんとした計画(プラン)があります。そのプランが実行に移されていくのです。
 ここにおいでの皆さんには何度も申し上げていることですが、私達はそのプランの下に、私達のやり方で私達のタイミングで事を運ぶしかないのです。人間側の都合に合わせるわけにはいかないのです。
 その理由の一つは、人間には自分にとってどうなるのが一番良いかが判断出来ないからです。物質的に、精神的に、そして霊的にあなたに何が一番望ましいかを判断するには、私達の方が有利な立場にあります。
 待つのです。きっとドアは開かれます。これまでも幾度となく開かれて来ております。