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自殺してはならない理由


-埋め合わせと懲罰があるということは、例えば立派な行いには褒賞があるということになりますが、そういうことを裁定する神様はどこにいるのでしょうか。


 もしも埋め合わせと懲罰がなかったら、神の公正はどうやって発揮されるのでしょう。罪深い人間が聖者と同じ霊格を具えることがあってよいでしょうか。勿論、よい筈はありません。いかなることにせよ、良いことをすればそれだけ霊性が向上し、自己中心的なことをすれば、それだけ霊性を損なうのが道理です。
 良きにつけ悪しきにつけ、あなたの霊的命運を定めていくのは、あなた自身です。あなた自身のことに関して最後に責任を負うのはあなた自身です。もしも死の床にあって罪を告白し特別の信仰を受け入れればたちどころに罪が赦されて潔白の身になれるとしたら、それはまさにお笑いものであり、茶番劇と言うべきです。

-最後に責任を負うのは私であるとしても、それは生まれる時に思い通りの才能を選ばせてくれていたならば、の話です。私には選択の余地がありませんでした。

 そう言い切れる根拠はどこにありますか。

-自分でそう自覚している筈ですが・・・・

 その自覚は本来の自覚の一欠片に過ぎません。あなたはこの地上へ誕生するに際して今の意識より遙かに大きな意識によって、そう決断なさったのです(注)。ですから、それを最大限に活用しないといけません。(注-別の所で、このことは大半の人間について言えることだが、それは人間には中々得心のいかないことでしょう、とも言っている。インペレーターもそれは高級霊でも同じであると言い、唯一その自覚を取り戻せたのはイエスだけだと言っている-訳者)

-その小さな意識を活用しろということでしょうか。

 いえ、あなたが選んだ地上人生を、です。でも、あなたは幸せな方です。一番必要とする時に霊的な啓示を受けられたのですから。人生における最大の危機にもしも霊があなたの進むべき道を指示してくれなかったら、現在のあなたはどうなっていたか分かりません。
 あなたは地上のどこのマーケットでも買うことの出来ない知識を手にされた、本当に恵まれた方です。霊的実在についての知識を手にされたのです。バイブルにも〝汝の信仰に知識を加えよ〟とありますが、私は反対に〝汝の知識に信仰を加えよ〟と申し上げておきます。

 (よく指摘される問題として、来世についての通信に食い違いがあることが挙げられる。その点について質されてシルバーバーチがこう語った)

 霊の世界が無辺であること、従って当然そこに住む者による体験の多様性も又無限であることを知らなければいけません。霊界の生活には霊的に上下の段階があり、従ってそれぞれに体験の相違というものが生じるわけです。
 あなたと交信している霊は、その時の段階での自分の体験を述べているだけです。その後進歩してもう一つ上の次元の存在の場へ行けば、かつて抱いていた意見を改める可能性があるわけです。
 このように、霊界についてどういう内容のことが伝えられるかは、通信霊の進歩の程度によって違って来るわけです。ここで忘れてならないのは、地上近くで生活している霊程、これから体験することになっている上層界の高度な霊的事実を伝える能力が限られているということです。
 その霊が今生活している界層については何でも入手出来ます。が、それより高い界層のことは理解出来ませんから、伝えて来ることは必然的にその霊にとって明白なことに限られることになります。低い界へ下りることは出来ますが、高い界へは上がれないのです。
 私から申し上げる忠告はいつも同じです。霊からの通信はことごとく理性でもって判断しなさいということです。常識的に考えてどうしても受け入れ難いものは拒否なさることです。私達とて絶対に間違いを犯さないわけではありません。まだまだ完全からは程遠い存在です。完全に到達するには無限の時を要するのです。何度も申し上げているように、それは永遠に続く過程なのです。
 サークルのメンバーの方にも、或いはご招待した方にも、私はけっして〝こうしなさい〟とか〝これを信じなさい〟とかは申しません。独裁的指導者ではないからです。私達は協力者なのです。皆さんの愛さえ獲得すれば仕事は成就したも同然であるとの認識の下に私達は、真実と叡智と論理と理性と愛をもって皆さんの協力を得なければならないと考えているのです。
 私達の宗教は真理の宗教です。私達から提供するのは真理のみです。私達が真実であると理解した限りの真理、私達及び皆さんに啓示された通りの真理です。その表現の仕方は稚劣かも知れません。なぜなら私達霊団の者もあなた方と同じ人間味を残している存在であり、過ちも犯しますし、欠点もあるからです。
 しかしこれからも私達は、人生の全ての基盤となっている永遠にして不変の霊的原理であると信じるものを皆さんに説き続けます。その霊的摂理に忠実に生きている限り、絶対に危害は被らないことを断言します。
 と言って、地上生活につきものの困難と苦難と面倒なことから逃れることは出来ません。なぜなら、それは魂の進化にとって必須のものだからです。光明を味わうには暗黒を体験しなくてはなりません。太陽の有り難さを知るには雨の日を体験しなくてはなりません。人生は両極性を体験しなくてはなりません。一方だけでは他方の存在価値が分からず、物質的にも精神的にも霊的にも啓発が得られないからです。
 無限の叡智を具えた大霊はあなた方に理性という才能を賦与なさっています。何事にもそれを使用することです。たとえ霊界からのものであっても理性が反発を覚えるものは恐れずに拒否なさるがよろしい。

-私は地上はいずれ又戻って来る学校だと考えているのですが、正しいでしょうか。

 学ぶべき教訓を学ばずに終われば、それを学ぶ為に又戻って来なければならないでしょう。

 しかしこれまでのあなたの人生を振り返ってご覧になれば、万事休すと思われた時に霊の道標があなたの進むべき方角を教えてくれていることがお分かりになる筈です。霊の力はそういう形で働いているのです。あなたは決して一人ぽっちではありません。いつもあなたと血族関係にあった霊だけでなく、血縁とは別の霊的近親関係によって結ばれている霊によっても導かれております。神の子を導くことによって神に奉仕する、その手段として人間を導いているのです。

 (質問者が代わる)
-霊界でピアノを習いたい時はやはり練習が必要なのでしょうか。

 勿論です。何もしないで身に付くものはありません。霊界には各自の才能に応じて指導してくださる立派な先生が大勢います。地上において経済的理由や社会的環境の為に発揮出来なかった才能をもつ新参者は、霊界へ来てから驚く程素晴らしい機会を与えられることがよくあります。霊界では、何ものにも束縛されることなくそれを最高度に発揮することが出来ます。

-睡眠の必要がないそうですが、休息とか寛ぎの時間はありますか。

 あります。寛ぐ必要を感じたら寛ぎます。

-霊体はどうやって養いそして維持するのでしょうか。

 食べ物によって養う必要のある物質的身体ではありません。

-霊的な栄養はありますか。

 あります。摂取すべき霊的エネルギーが全て揃っています。霊は無限です。

-こうしたことは無論そちらへ行くまでは理解出来ないことなのでしょうね。

 その通りです。こちらへお出でになれば、今度は私と同じように、それを地上の人に説明する難しさを知ります。

-ここにいる私が、死後はあなたと同じ世界へ行くことは疑う余地もなく理解しております。あなたのお蔭でその事実に途方もなく大きな意味があることを知りました。その意義を地上にいる間に実現しなければなりません。又私達人間には何等かの霊的才能が宿されていて、それを地上において発達させるのが私達の義務であることも知りました。私達は地上では大体以上のように理解するのが精一杯であると考えてよろしいでしょうか。

 非物質的な霊の世界のことを物質界の言語で表現出来ないのは、あなた方の思考そのもの、あなた方の精神的概念の全てが、その言語によって規制され、意識がその三次元の地上界だけに縛られているからです。
 五感もそれ自体は素晴らしいものですが、現実にはそれが外界から摂取するものを制限し、又摂取したものの理解を制約しています。霊覚者は表面の生命活動の裏側にある大きな実在を霊覚によって認識しますが、それを伝えようとすると言語の無力さを痛感します。言語は人間が拵えたものであり、インスピレーションはその言語を超越したものだからです。

-霊界の各界層間の連絡はどのようにして行うのでしょうか。

 今も申し上げた通り、そうした質問にお答えする上で問題なのは、言語を超越した実在を言語によって表現しなければならないということです。〝界層〟という用語自体がまず問題です。皆さんは地球の表面のような所を想像なさるのでしょうが、実際はただの〝状態〟であり〝段階〟の一つです。
 霊界は段階的に上下の差があります。一つの段階は直ぐ上と下の段階と融合して繋がっており、それが限りなく続いております。明確な境界線が引かれているわけではありません。地理的な区域というものはないのです。
 ある界からそれより高い界へ一方的に通信を送ることは出来ません。が、高い界から低い界へ向けて通信を送ることは出来ます。その方法は以心伝心によります。言葉は喋りません。音声を発する為の物的な器官がないからです。思念対思念による交信です。

-すると霊界には思念のプライバシー(秘密)はないわけですか。

 ありません。私達の世界では何一つ隠すことが出来ません。全てが知れてしまうからです。だからといって、別に恥ずかしく思うことはありません。地上では誤魔化し、嘘を付き、騙すことが出来ます。名前を合法的に変えることも出来ます。が、本性を変えるわけにはまいりません。

 (招待客が自分のホームサークルに出て来る霊の中には歴史上の著名な人物の名を名乗るのがいることを述べると-)

 私達の世界では名前は何の意味もありません。地上時代の名声は何の価値もありません。魂の価値は地上時代の肩書ではなく、何を為したかによって自ら裁き、それが現在の個性を形成しているのです。霊界での唯一のパスポートは魂の発達程度です。それが衆目に赤裸々に晒されるのです。
 誤魔化すことは出来ません。嘘を付くことも出来ません。見せ掛けも通じません。こちらへ来ると地上時代の仮面が剥ぎ取られ、あるがままの姿が知れてしまいます。魂の霊的発達程度が誰の目にも分かります。
 名声が何になりましょう。子供のオモチャのようなものに過ぎません。何の価値もありません。そもそも名声はどうやって得られるかを考えてごらんなさい。お金があるとか世間的に出世したということで名が知れたに過ぎません。イエスはそういう名声は一切求めませんでした。先師、聖者、先駆者、改革者と言われる人は名声を求めたでしょうか。
 大切なのはどれだけ人の為になることをしたかであって、その人の名前ではありません。ですから、所謂有名人の名前を名乗って出る霊には気を付けた方がよろしい。判断の規準は何と名乗っているかではなくて、どういう態度でどんなことを説いているかです。
 いつもお願いしているように、もしも私の言っていることにあなた方の知性を侮辱し理性を反発させるようなところがあったら、遠慮なく拒絶なさってください。愛の心で接し真理の刻印を押されたものを説きながら、それで皆さんの魂に訴えることが出来なかったら、それは私達霊団の努力は失敗に終わったことを意味します。

 (親密な間柄だった親戚の霊がどうしても出てくれないのはどういう事情があってのことかとの質問に対して-)

 自由意志の問題です。地上へ無理にも引き戻そうとする強制力は一切働きません。こちらの世界へ来て、例えようもない楽しさと美しさと光輝を少しでも味わった者にとって、地上という所は、戻ってみたいと思う程魅力ある世界ではありません。薄暗くて、ジメジメして、これ程面白くない雰囲気はありません。こうした世界へ戻って来るのは大変な犠牲を強いられるのです。

-テレパシーによって霊との交信が出来た場合、それは霊にとって苦痛なのでしょうか。自分の所属界にいるままでは交信出来ないものでしょうか。

 それは十分可能なことです。私達としてはそちらとこちらとがお互いに半分ずつ歩み寄る形で交信出来れば有り難いのですが、残念ながらそう希望通りにはまいりません。私達の方から地球の大気圏、地上的環境、地上界のバイブレーションの中へ下りて行かねばならないのが実情です。つまり霊的なものを物的なものへ近付けなければならないのです。本当は物的なものを霊的なものへ近付けて欲しいのですが・・・・

 (質問者が代わる)
-人間が幽体で旅行する話を聞くことがありますが、私にも同じ体験があるみたいです。どういう現象なのでしょうか。

 至って簡単なことです。幽体が肉体から抜け出て、時には私達の世界へ、時には地上の遠隔の地まで旅行するのです。実は睡眠中は一人の例外もなく幽体で旅行しております。一時的に肉体を離れて私達の世界を訪れ、縁のある人達と会っているのです。これは死後の環境の変化がショックにならないように、予め準備させる為の神の配慮なのです。
 死の現象(二つの身体を繋いでいるコードの切断)を経てこちらの住民となれば(意識の中枢が幽体へ移って)地上時代の睡眠中の体験を思い出し、それから始まる素晴らしい霊界生活への準備が整います。皆さんは毎晩死んでいると言ってもよいのです。

-誰しも夢を見ます。その夢の中で親しい人と会ったことを思い出すことがありますが、本当に会っているのでしょうか。それともただの想像に過ぎないのでしょうか。或いは会いたいという願望がそういう夢となって現れるのでしょうか。

 いえ、実際にその人と会っておられるのです。といって想像力を見くびってはいけません。厄介な面もありますが、豊かな創造性も秘めております。純粋にして最高の形態で発揮された時の想像力は驚異的な働きをします。未開発の能力を花開かせていく創造的な力となります。
 夢の全てが霊的体験というわけではありません。潜在意識に蓄積した観念の反映に過ぎないこともありますし、夜遅く食べた物の反応に過ぎないこともあります。

-その違いは分かるものなのでしょうか。

 分かります。食べた物や潜在意識のせいである場合は霊的な効用がありません。実際に霊界の愛する人に会った場合は精神的並びに霊的な温もり、充足感を覚えます。その違いは明確に分かります。
 もっとも、その違いを見分けるには能力の発達が要請されます。物質的な印象に過ぎない場合は肩にずっしりと重たさを感じますが、霊的な体験の場合には蝶に口づけをされたみたいな気分がいたします。

 (質問者が代わる)
-霊界では一個の霊が数ヶ所で同時に仕事をすることが出来ると聞いています。これはグループソールの原理と関係したことなのでしょうか。つまり一個のダイヤモンドの複数の相の一つ一つが行うことが、あたかも一つの相が同時に行っているように思えるのでしょうか。

 霊界では様々な霊相を表現することが出来ますが、一個の霊が複数の相を別々の場所で同時に表現することは出来ません。一度に一つの場所にしか存在出来ません。
 ただ、地上の人間のように物的条件による距離の制約は受けません。例えば地上の距離にして何千マイルも離れた所へでも、行きたいと思えば一瞬の間に行くことが出来ます。
 それはダイヤモンドの一側面、つまりグループソールの一個の単位であることとは何の関係もありません。その側面が全体としての進化に寄与する為の体験を獲得する為に地上へ誕生します。

-その結果ダイヤモンドが全体としてより立派なものとなるわけですね。

 そういうことです。一段と深い霊的覚醒と発展が得られるからです。各側面が地上での体験によって霊性を高めるのです。地球も本質的には霊的進化の場としての存在価値を有しているのです。そうでなかったら存在しない筈です。

-地上で意識しているような時間は無いのでしょうか。

 ありません。地上の時間というのは昼と夜と四季を生じさせている地球の自転と公転によって支配されております。私達は地球の回転の影響を受けません。従って昼とか夜とか春夏秋冬の区別がありません。時間は私達にとっては存在しません。強いて言えば〝永遠の現在〟の中に生きております。

-〝永遠の過去〟でもあるわけですね。

 私達にとっては過去も未来も、共に永遠の現在です。皆さんの睡眠中のことをお考えになれば、さほど理解の困難な話ではないと思います。睡眠中は一時的に物的束縛から解放されています。ですから夢の中ではそういう束縛を受けないで、途方もない距離を行き来出来ます。いつもの時間の観念が無視されています。永い夢の出来事も数分の内に起きております。

-この世では時間に縛られているかに思えても、霊界では時間というものが存在しないのですね。

 時間そのものには過去も未来もありません。時間は永遠の現在の中に存在しています。過去と未来はあなたと時間との係わり方一つによって生じているに過ぎません。(別のところで時間を無限に回転する輪に例え、今触れている所が現在で、既に触れた所が過去、これから触れる所が未来ですと言っている-訳者)
 皆さんは三次元の世界に生きておられます。私達は地軸の回転、つまり昼と夜を生じさせる回転する球体とは無縁です。永遠の光の中で生活しております。これをどう説明すればよいのでしょう。肉体のような物質的身体がありませんから眠る必要がありません。睡眠を必要とする身体を持っていないのです。休息を必要とする時は、元気が回復するまで休止するだけです。
 私達の世界は、皆さんには到底想像出来ない程豊かで美しい世界です。皆さんの聴覚を超えたオクターブの世界、皆さんの視覚の限界を超えたスペクトルの世界がどうして説明出来ましょう。どうにもならない程説明が難しいのですが、それでも実在しているのです。
 物質の世界に生まれて来た以上は物質の法則によって制約を受けざるを得ません。が、皆さんも霊なのです。魂が宿っているのです。それはいかなる物的なものよりも上です。霊が主人であり物資は召使です。霊は不変の実在であり、物質には永続性はないのです。
 その霊が去ると肉体は脆くも崩れてチリと化します。形体を変えてしまいます。そして二度と同じ形体には戻りません。一方、真実のあなたである霊は生き生きと輝いた姿を見せております。心臓だの肝臓だの肺だのによって生かされているのではないのです。
 肉体に生きるエネルギー、或いは生命を維持する上で必要なもの全てを供給しているのは霊なのです。