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自殺してはならない理由


○S・A・G・Bにおける講演と一問一答
 「本日お集まりの皆さんは霊的実在についての知識をお持ちの方ばかりです。ですから私からその大切さ、特に今日の世界における掛け替えのない重要性を強調する必要はありますまい。
 私は可能な限り皆さんのお力になるつもりでおります。私の申し上げることのすべてに同意なさらないかも知れませんが、真実の同胞関係というのは、お互いの意見が完全に一致しなくても愛し合えるということです。皆さんは霊の力が様々な形態で顕現していることをよくご存知とはいえ、肉体に閉じ込められているが故の厄介な問題の一つとして、正しい焦点を定めることが難しいことが挙げられます。つまり霊力というものが適切な通路を得た時の影響力がいかに実感溢れるものであるかについて、共通の認識が得られないことです。
 もしも私がかりそめにも地上の住民としての義務-家族への責任及び共存共栄関係にある他人への責任-から逃れさせるようなことを口にしたら、他にどんなに立派なことを説いても指導霊として落第であることになりましょう。しかし率直に申し上げさせて頂けば-率直に言い合うことが協力の基本だと思うからこそですが-皆さん方は俗世間的な問題に関わり過ぎており、そうした問題の全ての解決の鍵である霊の力を十分に活用していらっしゃいません。
 このことを私は、私達霊団の協力者である皆さん方-我々の関係は主と従ではありません。対等の協力者です-そして地上の使節としてその任に恥じない生き方を望んでおられる皆さん方に、最大限の誠意と謙虚さをもって申し上げたいと思います。皆さんのような霊的知識を手にされた方が悩んだり、心配の念の浸入を許して取り越し苦労をするようではいけません。霊的知識があるからこそ、いかなる心配、いかなる悩み、いかなる不安にも、皆さんの精神的・身体的・霊的環境の中への浸入を許してはならないのです。心配、悩み、不安-こうしたものは援助の力の通路そのものを塞いでしまいます。
 哀悼者の悲しみの念が壁となって他界した霊を近付けなくするように、気苦労をバイブレーションに取り囲まれてしまうと精神的・霊的雰囲気が乱されて、ますます霊を近付きにくくします。皆さんは愛に動かされた霊によって導かれているのです。それは地上の血縁や愛情或いは友情によって結ばれている場合もありますが、それとは別に、かつて皆さんと同じ道を歩み、今尚皆さんを通してその仕事に関心を持ち続けている霊である場合もあります。そうした霊の更に背後には無私の博愛心に燃える高級霊の大軍が控えているのです。
 美と豊かさと荘厳さと威厳と光沢と気高さと光輝とに溢れた霊力そのものには際限というものはありません。ただ、人間が拵える条件によって制約されるのみです。どうか信念に裏打ちされた、囚われのない通路、安易に信じるのでなく、これまでに得た知識を基盤とした信念-進化の現段階では無限の知識を手にすることが不可能である以上どうしても必要となる信念に燃えた通路であって欲しいのです。
 知識を基盤とした信念に燃えてください。皆さん方の一人一人が霊の導きによって今日まで苦難と危機と困難を乗り切って来れたのです。振り返ってご覧になれば、その導きの跡が読み取れる筈です。そこで、人間的煩悩故に時には背後霊を手こずらせることはあっても、これ程のことをしてくださった背後霊が自分を見放す筈はないとの信念に燃えなくてはいけません。
 我々は霊的真理の崇高なる啓示に与った、本当に祝福された者ばかりです。それ故にこそ、その知識に伴う責任に恥じない仕方をしようではありませんか。
 過去はもう過ぎ去ったのです。これまでに犯した間違いはお忘れになることです。皆さんは間違いを犯しそれから学ぶ為に地上へやって来たようなものです。過ぎ去ったことは忘れることです。大切なのは今現在です。今、人の為になることをするのです。どんな形でもよろしい。自分の置かれた物的環境条件から考えて無理でない範囲のことを行えばよろしい。先のことをあまり考え過ぎてはいけません。皆さんが皆さんの役目を果たしていれば、私達は私達の役目を果たします。そして、そうした協調関係の中では絶対に挫折はないことをお約束いたします。
 この建物の中でどれ程のことが為されているかは、皆さんは知ることが出来ません。私達にとっては神聖な場所です。ここには愛の働きがあり、悲しみの涙が拭われて確信の笑みに変わっております。病の人は癒され、悩める魂は内なる静寂の芳香を見出しております。それを皆さん方は測り知ることが出来ません。魂へ及ぶ影響を測る秤が無いからです」

-霊の指導によって行なわれる範囲と人間の努力によって行うべき範囲について教えてください。

 「私達も一定の法則の範囲内で仕事をしなければなりません。霊にも出来ることと出来ないこととがあるということです。その法則による制約は人間より遙かに厳格です。私がこれまで一番辛い思いをしたのは、私の愛する者が危機の最中にありながら何も手を出さずに一歩下がって控え、自分で工夫するに任せ、どちらの道を選ぶかじっと見守っているしかなかった時です。それが一番本人の為であるとの判断があったからです。助言を求められても〝ここは一つご自分の判断でやってごらんなさい。どれだけ上手く行くか試してごらんなさい。その判断はあなたの霊的進化の成就の全てが掛かっているのですよ〟と申し上げなければならないこともよくあるのです。
 私達の関心は霊的な結果です。忌憚無く言わせて頂けば、あなた方は物的な結果だけを見詰めておられることが多過ぎます。この連盟の歴史を振り返ってご覧になれば、霊の導きが決して少なくないことがお分かりになる筈です。
 私達が基本的原理の幾つかを確信をもって明言出来るのは、それらが永遠の実在に基づいているからに他なりません。もしも地球が地軸上の回転を止めるようなことがあったなら、或いは汐が満ちるべき時に満ちて来ず引くべき時に引かないようなことがあったなら、或いは又、星雲が回転のパターンから外れるようなことがあったら、私はこれ程の確信をもって説くことは出来ないでしょう。が、大霊は全知全能であり、その霊力の働きは完全無欠です。そこで私はその霊力に全幅の信頼を置く者に決して挫折はないと確信をもって申し上げるのです」

-先程あなたは、一歩控えて思い通りにやらせる他はないことがあると仰いました。その人には好きな道を選ぶ自由意志があるわけですが、もしもその人が自由に行動してそれが仕事をぶち壊すようなことになったらどうなるでしょうか。

 「自由と言ってもある一定の範囲内での話です。無制限の自由ではありません。その人の霊的成長と進化から生じる一定の条件によって制約されます。完全な自由選択が許された無制限の自由ではありません」

-本来の意味での自由意志は存在しないわけですか。

 「ある限界内での自由意志が存在するということです。その段階での判断に基づいて好きな道が選べます。そしてそれがその人の霊的進歩を妨げもすれば促進もするということです」

-仮にあなたが代わりに選択してあげたら、それがその人の進歩を妨げることになるかも知れないし促進することになるかも知れないわけですね。

 「それは有り得ることです。ただ、中々上手く説明出来ないのですが、表向きは単純そうでも、その裏面は、法則の内側に法則があり、その又内側に法則があり、その又内側にも法則があって、実に複雑なのです。しかし、神の叡智は完璧ですから、絶対に手落ちがないように、隅々までバランスが取れております」

-折角の成果をぶち壊しにするような行為も、全体の計画にとっては大して支障を来たさないということなのでしょうか。

 「とんでもないことをして成果の幾つかをぶち壊しにすることはあっても、全部を台無しにするようなことはないということです。人間の行為が及ぼす被害も多寡が知れてるということです。地上のいかなる人物にも、神の意志を完全に台無しにしたり、計画の推進を完全に阻害する程の損害を及ぼす力はありません」

-ということは、この地球上で発生する災害も全て神の計画の中で起きているということでしょうか。

 「人間はその神の計画の枠外で行動することは出来ないという意味で、そう言えます。絶対に免れることの出来ない因果律というものがあるからです。その冷厳な法則が人間に宿命的な限界というものを設けております。ぶっきら棒な言い方をすれば、地上の科学者には宇宙全体を全滅させる程の破壊力は製造出来ません。そこに限界があります」

-人間の立場から見ると悪に思えるものも全く悪ではないことがあるものでしょうか-高い次元から見れば寧ろ善と言えることが。

 「地上の人間にとって苦しみは悪であり、痛みは歓迎されませんが、実質的には必ずしもそうではありません。苦は楽と同じく神の計画の一部です。苦がなければ楽もなく、暗闇がなければ光明もなく、憎しみがなければ愛もありません。作用と反作用は同じものであると同時に正反対のものです。一つのコインの両面と思えばよろしい。善と悪は共に不可欠のものであると同時に、相対的なものです。
 地上には様々な道徳的規範があり、国によって異なります。たった一つの絶対的規範というものはありません。私達霊にとっての価値基準はただ一つ-魂にどういう影響を及ぼすかということです。魂の成長を促すものは善で、成長を遅らせるものは悪です。そこが大切な点です」

-あなたは、成長の為のチャンスは平等に与えられると仰ってますが、私はどうも納得出来ません。魂の本質は同じかも知れませんが、その本質が発揮される能力は必ずしも平等ではありません。同じチャンスから必ずしも同じだけのものを摂取出来るとは限りません。能力の程度によって異なったチャンスが与えられるか、それともチャンスは同じでもそれを上手く活用する能力が平等に与えられていないかのいずれかだと思います。

 「いえ、私はその考えには同意出来ません。物質界に生まれて来る人間には神性の種子が宿されております。そうでなかったら生まれて来られません。生命とは霊であり、霊とは生命です。あなたにも花開くべき霊性の種子が宿っております。その開花は、成長を促す可能性をもった環境条件への反応次第で違って来ます。霊性の発達を促す為のチャンスは全ての人間に平等に与えられています。私は全ての人間が同じ霊格を身に付けることになるとは言っておりません。そのチャンスが与えられていると言ったのです。金持ちであるか貧乏であるかは関係ありません。他人の為になることをするのに地位や名声、財産といったこの世的なものは必要ありません」

-身体の機能上の不平等はどうでしょうか。

 「奇形もしくは脳に異状のある場合のことを仰りたいのでしょうか。それは別に扱わねばならない複雑な問題でして、これには宿業(カルマ)の要素が入って来ます」

-カルマの要素があるということは再生もあるということでしょうか。

 「再生はあります。しかし一般に言われている形(機械的輪廻転生)での生まれ変わりではありません。霊界には無数の側面をもった、霊的ダイヤモンドとでも言うべきものがあります。その側面が全体としての光沢と輝きを増す為の体験を求めて地上へやってまいります。これでお分かりのように、地上へ生まれて来たパーソナリティは一個のインディビジュアリティの側面の一つということになります。少しも難しいことではないのですが、人間はそれを勘違いして〝私は前世では誰それで、次は又別の人間に生まれ変わります〟などと言います。そういうものではありません。生まれて来るのはダイヤモンド全体に寄与する一つの側面です。その意味での再生はあります。地上で発揮するのは大きなインディビジュアリティのごくごく小さな一部分に過ぎません。
 かくして皆さんの仰る類魂(グループソール)というものがあることになります。つまり霊的親族関係を有する霊の集団が一つの統一体を構成しており、それが全体としての進化を目的として、色んな時代に色んな土地に生まれてその体験を持ち帰るわけです」

-インディビジュアリティがパーソナリティの一欠片なのですか、それともその反対ですか。

 「パーソナリティがインディビジュアリティの一欠片です」

-みんなグループソールに属しているとなると、仲間の良い体験の恩恵を被ると同時に、良くない体験の悪影響も忍ばねばならないのでしょうか。

 「その通りです。それが全体に寄与するのだと思えば、それも有り難い体験です」

-ということは、私が今苦しい思いをするのは必ずしも私自身のせいではないわけですね?

 「そう認識なさることで安らぎをお感じになるのであれば、そうお考えになられて結構です。一つだけ秘密の鍵をお教えしましょう。叡智が増えれば増える程選択の余地が少なくなるということです。増えた叡智があなたの果たすべき役割を迷うことなく的確に指示します。我々は自らの意志でこの道を志願した以上は、使命が達成されるまで頑張らねばなりません。あなた方はこの道を自ら選択なさったのです。ですから他に選択の余地はないことになります。
 叡智というものは受け入れる用意が出来た時にのみ与えられるものです。それが摂理なのです。私は使命を要請され、それを受諾しました。本日皆さんがこの私を招待してくださったということは、高級界のマウスピースとして、その叡智を取り次ぐという仕事において幾らかでも成功していることを意味していると受け取らせて頂きます。
 肉体的血族関係が終わっても、永遠に消えることのない霊的親族関係というものが存在します。それは永遠に続きます。結び付ける絆は物質ではなく霊です。物質は儚い存在ですが、霊は永遠です」

 《我々はここで改めて気を引き締めて仕事に邁進し、一人でも多くの人を神の照明の下に導いてあげないといけません。我々の下を訪れる魂が永遠の絆である霊による繋がりを強化するのを手助けして、無限の恩恵の可能性を秘めたその霊力の働きかけを受け止められるようにしてあげないといけません。それが我々全員が携わっている仕事の一環です。生命の原理、霊的真理の基本を忘れないようにしましょう。それさえ確保しておれば、存在の目的を成就していることになるからです》
 シルバーバーチ