○正義の感情というものは、天性のものですか、それとも獲得された観念ですか。
「諸君の感情は、不正の観念に対し、自然に反発を覚える、正義の感情はかように天性のものである。精神の発達で確かに正義の感情は発展する。しかし、精神の発達が正義の感情を創り出すわけではない。神はこれを人間の心中に置き給うた。それ故に、諸君は素朴で原始的な人々の間にも、知的に進歩した民族より、更に確かな正義をもつ民族を見るのである」

○もし正義が自然の法とすれば、なぜ人によって受取り方が違うのですか。同じ事を甲は正義とし、乙は不正義と思います。
「それは、正義の感情に人間の感情が混入して、品格を落とすからである。天与の感に感情が混入すれば、物事は歪んで見える。そのような事が多い」

○正義はどのように定義したらよろしいですか。
「正義は、他者の権利の尊重、この中に在り」
-その権利とは何か、これを定義して下さい。
「二つある、人間の法と自然法。人間はその性格と慣習に合わせて法律を作った。この法律で権利を定めたが、それは開化発展と共に変化していくものであった。今日では、諸君の法は完全から程遠いとはいえ、もはや中世で権利としたものをそうとは認めていない。諸君の目には奇怪に見えても、当時は正義であり当然だったのである。それ故、人間の定めた権利は必ずしも正義に適ったものではない。しかるに、この権利によって社会関係が規定されたりもする、個人的生活には、良心の裁きにのみ従うべきものが多々あるというのにである」

○人間の法に定められた権利とは別に、自然法に従うと、正義の基盤は何ですか。
「キリストは申された、あなたが人からしてもらいたいと望むことを、人にしなさいと。神は人間の心の中に、全ての正義の真正の規準として、次の願いを置き給うた、自分の権利を尊重してもらいたい、誰しもがその胸に感じる者として」

○人間が社会に生きる上で、何か特別に必要な義務がありますか。
「左様、その第一は、他者の権利を尊重することである。これを尊重する者はいつも正義であろう。地上では、正義の法を多くの者が実行しない地上世界では、諸君は報復に頼る。そしてこの事が人間社会に混乱と揉め事を起している、社会生活は権利を与える。そしてそれに応じた義務を課す」

○人間は自分の権利について幻想を持ちがちです。どこまでが本当の自分の権利なのか、それを教えてくれる何かがありますか。
「同じ状況にある隣人の立場に立って、隣人は自分の対してどう認めるか、それが権利の範囲である。この逆も同じである」
-各人が隣人の権利を自分の立場から計るとすれば、権力者に従属していればどうなりますか。そんな原理では、無政府的となり何もかも滅茶苦茶になりませんか。
「自然権はピンからキリに至るまで万人に同様である。神は一部の人を上等の土くれで飾られたわけではない、神の目から全ての人は平等である。自然権とは永遠である。人間が定めた権利は、人間の制度で滅びる。しかし、人は各々はっきり自分の力量や無力さを感じるものであり、また、その知徳の故に尊敬できる人へ、一種の恭順の意識を持つものである。で、次の一時は大事なことだが、自己を優者と思う者は、人が自分に従ってくれるこの権利に対して、自分も義務を心得ているということ。このように、権威に優者の英知が伴うところ、不従順もないということ」

○純粋に正義を実践する人物の人格は何と申したらよいですか。
「イエスの範に従う者、これ真の正義の士と言えよう。彼こそ正義そのものである、隣人愛を実践する者である」