○意志の自由は思想の自由の当然の結果でしょうか。
「全て思想はそうであるが、意識とは人間に備わる内的な想念である」

○意識の自由に防壁を立てて疎外する権利が人間にありますか。
「それは思想の自由を阻害すると同じ事、神のみが意識を裁く権利を持っておいでなのだから。もし、人間が法律で人と人との関係を規制するなら、神は自然法によって、神と人間との関係を規制なされる」

○意識の自由に反対して妨害することの効果は何でしょうか。
「考えてもいない行為をさせぬこと、偽善者を作らぬこと。意識の自由は真実の文明や進歩の特色の一つである」

○真面目な信仰は、それが間違ったものでも、尊敬に値しますか。
「真面目なものなら、また善行の実践に導くものなら、それは敬意を表すべきだ。良くない信仰とは、悪行の実践と結び付くものである」

○自分の信仰と違うからといって、悪く言うのは誤りですか。
「それは愛に反する行為であり、思想の自由をも犯す」

○社会の為に良くない信仰を妨害することは、意識の自由を犯すことになりますか。
「諸君に出来るのは行為を抑えることだけ、信仰は近付き得ぬもの」

○意識の自由に対する尊重から、有害思想の普及を黙認すべきですか。また、その自由を侵害しないようにして、間違った原理の為に道を誤っている人々を、真理の正道に引き戻すようにすべきですか。
「勿論、そうしてよいだけでなく、そうするべきである。ただ、イエスの範に従って、優しさと説得をもって、また力に頼ることなしで。力は諸君が説得したいと望む人達の悪い信仰よりも、更に悪いもの。確信は暴力によって植え付けることは出来ない」

○どの主義も自分こそ真理の唯一の表現であると申しています。私達は何によって、それがホンモノであるかどうかを見抜けますか。
「最善なるものは、偽善者を作ること少なく、真実に有徳の士を沢山生み出すもの、これである。即ち、愛の法を心を込めて、また限りなく広く実行する人々、これを生むものである。真正の教えのしるしとはこれである。何となれば、神の子等に分裂と垣根を作る教えは、まやかしと有害の類以外の何物であり得ようや」