○残忍性は破壊本能と関係がありますか。
「残虐もその最悪のものは、破壊本能である。と申すのは、破壊は時には必要、しかし、残忍はこれを全く必要としないから。これは常に悪性の結果である」

○未開人の特性が残虐性であるというのは、どういうことですか。
「未開人においては、物質が霊よりも上位にある。彼等は動物的本能に身を委せ、肉体生命の外は顧慮せず、自己保存の方にしか頭が向いていない、故に自ずから残虐となる。それに、未発達の人間は、やはり未発達の霊に感応して、その影響を受けることにもなる」

○残忍は道徳性の欠如によるものですか。
「道義性の欠如ではなく、道義性の未発達と、かように言いなさい。道徳性は万人に備わっている。人が誰しも年を経れば、親切で慈愛をもつようになるのはこの為である。従って、道徳性は未開人にもある。しかし、それが未熟なのである、花は開かずとも、芽の中に匂いの原理が存在しているように」
〔注解〕人間には、あらゆる能力が、眠った状態で本来備わっている。その能力に適した状況が生まれるにつれ、能力が開発されていく。あまり一つの能力が過度に開発されると、他の能力が押さえられ、中和されたりする。物質性が異常に高まれば、道徳性は息を止める。道徳性が開発されていくにつれ、次第に動物性は弱められていく。

○先端を行く文明社会にも、未開人と同じ残虐性の人物がいますが、なぜですか?
「それは丁度、良く出来た果実を一杯つけた木に、しなびた実があるようなものだ。そのような者達は、洋服の外には文明らしいものは何もない野蛮人と言われよう。彼等は羊の群に迷い込んだ狼である。低級霊が、それも随分と後ろ向きの霊が、進歩を願ってずっと進んだ人々の間に受肉することがある。だが、荷が重過ぎる場合は、彼等は全くお手上げとなる」

○善人社会から悪人がいなくなる日が、やがて来ますか。
「人類は進歩している。性悪で善人の中の場違いのような人間は、次第にいなくなっていく。それは麦がから竿で打たれれば、良い麦から悪い麦粒は離れていくのと同じ事だ。しかし、彼等とて次は別の身体に再生する。次第に経験を重ねていけば、善と悪とのけじめがつくようになる。動植物の品種改良で新種が創り出されるのは、この例である。こうして完全な改善に達するのは、数世代の後である。誰しも再生を重ねてこのように歩く」