○斬首刑が人間の法律から消える日がありますか。
「斬首刑、これは間違いなく、やがてなくなる。またこれの禁止こそ、人類進歩のしるしである。人類が更に進歩すれば、死刑は地上から完全に姿を消す。人間が人間を裁くということは無くなろう。私が申している事は、大分先の方まで見て申しておる」

○自己保存の法によって、人間は自分の生命を守る権利をもっています。社会から危険人物を排除する場合、この権利が適用されませんか。
「殺さずとも、危険人物から自己を守る方法は、他にもある。また更に、人は罪ある者に償いのドア-を開けておくべきである、彼の前にこれを閉ざしてはならぬ」

○死刑が文明社会から消えるものなら、進歩が十分でない時代には、死刑は必要だったのではありませんか。
「必要、これは正しい用語ではない。人間とは、何かそれ以上の事がどうしても発見できない時は、別の何かをもって必要な事と考えてしまう。進歩が進めば、人間は正邪の判断がはっきりつくようになり、無知の時代の行き過ぎを、正義の名において廃止する」

○斬首される数を抑制することは、文明進歩のしるしでしょうか。
「そんな事おかしいと思われぬか。正義の名の下に、また神の栄光の為とか称して、これまで行なわれた人間虐殺の文書を読むにつけ、諸君は反感を覚えぬか。罪人にまた被疑者に、ありもせぬ罪を告白させる為に、散々痛めつけた、そんな苦しみの記録を読んで、怒りを覚えませぬかな。諸君もその時代に住んでいたら、当たり前と思ったかもしれぬ。また、諸君が裁判官だったら同じ事をしただろう。これというのも、ある時代に正しいと思われたものは、他の時代には野蛮と思われるということ。永遠なるものは神法のみ。人間の作った法は時代の進歩と共に変化する。それは変化を重ねる。そして終には、神法と一致し調和するに至る」

○イエスは言われました<剣をとる者は、剣で滅びる>と。この言葉は返報の原理を進めるものではないのですか。殺人者を死刑にすることは、この原理の適用ではありませんか。
「しっかりしなさい。貴方はこの言葉の意味を取り違えている、取り違えている者は多いが。正しい返報とは唯一つ、神の正義である。何となれば、神が用い給うのはこの正義であるから。諸君らは全て、いつの時も、この返報を受ける。諸君らは罪を犯せばこれで罰せられる、此の世でもあの世でも。友を苦しめた者は、友が苦しんだものと同じ苦しみの立場に置かれよう。これがイエスの申した言葉の正しい意味である。イエスはまたかように申さなかったか、<汝の敵を許せ>と。また、イエスはかように祈ることを教えなかったか、貴方が貴方に背く者を許すように、神が貴方の背反を許して下さるようにと、それも、貴方が許したそれと全く同じ割合でと。これらの言葉の意味を狂いなく受け取られよ」

○神の名における死刑をどう考えたよろしいですか。
「裁きを行なうに神の名を汚すものである。かかる者達はいかに神を知らぬ者達であるか、いかに多くの償いをせねばならぬ者達であるか。斬首が神の名で行われれば罪である。これを命じる者達は多数の殺人者として、その償いをせねばならぬだろう」