○霊は生者の肉体を一時的にまとうことが出来ますか。つまり、生者の肉体に入って、本人の霊に代わって活動できますか。
「霊は諸君が家の中に入るように、肉体に入るわけではない。霊は自分と同様な長所短所をもつ本人の霊に自分を同調させ、両者が連合して活動できるようにするわけである。しかし、肉体を使って思うように行動するのは本人の霊の方であって、肉体所有者の本人の霊にとって代わるような霊は一つもない。霊と肉体とは、摂理により寿命が終るその時まで、しっかり結合されているのである」

○一般概念でいう「憑依」-一つの肉体に二つの霊が住み着くこと-はないとしても、次のようなことはあり得ますか。即ち、他の霊がとりついた為に本人の霊の意志が麻痺して、その支配を受けるということです。
「それはある。諸君が憑依と呼ぶのはこの場合である。しかしながら、この支配は本人の弱さ(注)又は自由意志が原因で起こるものであって、これ以外では決して、起こらぬことを知って貰いたい。人々はよくこの憑依と、てんかんや狂気をとり違える。後者の場合は除霊よりも医師の助力が必要である」
(注)本人の意志が強く反抗しても、憑依霊の支配下に入れられてしまう「弱さ」とは、本人の悪行に対する懲罰と償いの結果である(その悪行とは、現在の地上生活の場合も、前生の場合も、どちらの場合もある)
〔注解〕「憑依」という語は、常識では、悪魔が存在するということ、又、一つの肉体に本人と悪魔の二つの魂が共存するということ、このことを予想させる。しかし、悪魔という言葉に該当するものは存在しないし、二つの霊が一つの身体に共に住み着くということもあり得ない。だから「憑依」という言葉で常識的に言われているような事は存在しないのである。「憑依される」というのは、本人の霊が、未発達の霊に従属させられて、言いなりになっている状態をさして言う言葉である。

○人は自力で憑依している邪霊を追い払い、その支配から自由になることが出来ますか。
「固くそのつもりになるなら、くびきを振り切ることは可能である」

○邪霊はとりつき方が上手いので、本人はとりつかれていることに気付かないのではありませんか。こんな場合、第三者がその縁を切ってやることが出来ますか。この時の縁を切る方法とは何ですか。
「高潔な人間の意志力が、善霊の協力を引き寄せ、この救いの仕事に有効である。人が高潔であればある程、邪霊を追い払い、善霊を引き寄せる力は強い。しかしながら、この場合も、憑依されている本人の方で努力しなければ、どんなに力のある人でも力は働かない。何となれば、低級な欲求に仕え、他力に依存していてはどうしようもないからである。心に不純なものがある人は、どんな場合も、少しも救いの力を働かせることは出来ない。何となれば、善霊はこれを軽んじ、邪霊はこれを少しも怖れないからである」

○御祓いの文句は邪霊祓いに効果がありますか。
「少しも無い。一生懸命御祓いをやっている者を見て、邪霊共はこれをあざ笑いながら、憑依を続ける」

○善意の人が憑依されることがありますが、憑依霊から逃れる一番いい方法とは何でしょうか。
「辛抱しきれなくさせること。囁きに耳を貸さぬこと。無駄だということを思い知らすこと。何も出来ないことが分かれば、彼等は退散する」

○祈りは、憑依を解くのに有効ですか。
「祈りは助力を得るに有効な方法である。しかし祈りの言葉などは何の効果もない。神は自らを助ける者を助ける。そして、力の出し惜しみをする者を助けない。それ故、憑依された者は、邪霊を引き寄せている欠点を取り除こうと、最大の努力をすることが必要である」

○聖書に、悪魔を追い払ったとありますが、あれはどう考えたらよろしいですか。
「悪魔という言葉のとりようで、色々になる。この言葉を、人間を支配している邪霊という意味でとるなら、その邪霊の影響をなくした時、明らかに悪魔は除去されたことになる。もし病気の原因を悪魔とみるなら、病気が癒された時、悪魔は払われたことになる。言葉に含まれている意味によって、記述は真実にもなり偽りにもなる。表面に現れていることだけでものを見たり、たとえ話を事実と受取ったりすると、一番大事な真理が荒唐無稽となる。この原理を心にとめておきなさい。これは普遍的な何にでも適用できる原理である」