○睡眠中に霊が解放されるというのは、私共が同時に二つの生活をしているということを示していると思います。肉体の方は外的な生活、魂の方は霊的な生活、ということですか。
「魂の開放中は、霊の生活の方が肉体の生活よりも優先している。しかし厳密に言うと、それは二つの生活ということではない。むしろ一つの、即ち同一の生活の二面ということである。何となれば、人間とは二重生活を生きているものではないから」

○よく知り合っている仲の二人の人が、睡眠中に交流するということがありますか。
「ある。又、覚醒中には面識のない人達同士で語り合うこともある。諸君は間違いなく、他国に友人達をもっているかもしれない。睡眠中に友人達を、身内の者を、知人を、自己のためになる人々を、諸君が訪問するという事実は実に多いのである。毎晩、実は諸君はこれをやっている」

○夜中の訪問は一向にその記憶がないのですが、その効用は一体何ですか。
「この訪問した時の直観は、覚醒中にも諸君の中に残っている。この直観は後日、理由もなしに自動的に、ふと心に観念として蘇ることがある。その感じは睡眠中の霊交に起源があるのである」

○意志の働きによって霊的訪問が出来るでしょうか。例えば、寝る前に次のように自分に言い聞かすことによって、「今晩これこれの人に会って、これこれについて語り合いたい」と。
「そのようなことはある。人が眠りにおちる、霊の方は別の生活に入る。しかしながら、霊は本人がこうと決めた計画には中々従わぬことが多い。というのは、人間の生活は霊が肉体から離れると、霊の行動には殆どかかり合わないからだ。しかし、ある程度進歩した人の場合は、上記の言葉はその通り実現される。そうでない人の場合は、霊の行動は全然違ったものとなる。つまり霊は感情の赴くままに行動したり、あるいは何もしなかったり、ということである。それ故、たまたま計画どおりに目的のその人を訪れることもある。だからと申して、本人が覚醒時に意志したが故に、必ずそうしたのだということではない」

○多数の人々が、睡眠中に、互いに訪問しあったり、集まったりが出来るのですか。
「出来る。交友の結び付きは、新しきも古きも、親しみのある霊魂達を互いに惹きつけるのである」
〔注解〕「古い」という言葉は、他界での交友の結び付きと解すべきである。我々は目覚めた時、霊的交流をしたような一種の感覚を思うことがある。が、その出所については一向に分からない。

○死んではいない友人を、死んでいると思い込んでいれば、その人は霊として友人に会うことが出来ますか。またその結果、友人が生きていることを知ることが出来ますか。この場合、彼はこの事実を目覚めてからも、直感として持ち続けることが出来ますか。
「できる。霊としてこの友人に会い、その健在を知ることが出来る。もしこの友人が死んでいるという思い込みが、当人の罪の償いの為そう思い込んでいるのでなければ、友人の健在の印象は覚醒後も残るだろう。逆に、罪の償いの為なら、死の印象の方が残っている」