○子供に宿っている霊は、大人に宿っている霊と同じくらい、進歩するものですか。
「それ以上のものもあり、それは前生での進歩いかんによるわけだ。霊がその実力を子供に発揮出来ないのは、子供の身体器官が未だ出来上がっていないためである。この世では肉体が霊の自己表現器官であって、肉体の状況いかんに応じて霊は行為するのである」

○子供の身体が未発達の為、霊は完全発揮ができないということは別としまして、霊がものを考える場合、霊は子供なのですか大人なのですか。
「身体が未だ子供である限り、思考器官も未発達だから、大人のように物事が通じるわけではない、その知性の幅も狭く、従って年を重ねるにつれて、物の考え方も成熟していくのである。受肉に伴う混乱は、誕生とともに直ぐ終るわけではなく、肉体の成長に伴って、漸次消散していくのである」

○子供が死ぬと、その霊はすぐに本来の力量を取り戻しますか。
「そうあるべきだ、彼は肉の被いから解放されたのだから。しかし実際のところは、霊は霊肉の分離が済むと、サッパリした気分になるに過ぎない」

○子供の状態にある間は、霊は肉体未発達の為の不自由な苦しさを感じるものですか。
「そんなことはない。その状態は必然的なものであり、自然の理であり、神の定め給う摂理の一つであるから。それは霊にとって安息の時でもあるのだ」

○幼年期を通るということは、霊にとってどんな効用があるのですか。
「地上出生の目的は霊の進歩にある。さて幼年期は、自分のことに万事鋭敏な時である、このことが霊の進歩に役立つのである」

○何故、生まれた当座の子供は泣いてばかりいるのですか。
「これは母親の気を自分の方に引き付け、よく大切に面倒を見てもらう為である。もし話せるようになる前に、笑い声ばかり立てていたら、周りの者は、赤ん坊の欲しいものに殆ど気付かずに心を使わないだろう。神の英知の美事なるこの摂理」

○成人に近付くと、若者の性格が変わるのは何故ですか。霊に変化が起こるのですか。
「霊が、本来の自己を取り戻して、再生以前の自己を示すのである」
「諸君は、子供達の無邪気さの下に隠されている秘密を知らない、子供達が今何であるか、かつて何であったか、また将来何であるかを。それにも拘わらず、諸君は子供達を可愛がり慈しむ、あたかも自分の一部分のように、また、母性愛こそは愛の中の愛と言われる程にも。異邦人さえもその子に抱くこの愛、甘い優しい情、それはどこから来るのか。今この点について、お話しておこう」
「子供等は、神によって新しい人生へ送り出される者達である。だから、神は彼等が文句をつけようがない程に、顔形の隅々に至るまで無邪気さをもって包み給う。極悪の性の子供の場合でも、その悪行も、本人もそれと気付かぬ無邪気さによって包まれている。その無邪気さの故に、子供等が過去の実際の自分以上に、優れているとは言えぬ。それは彼等がかくあるべき理想の姿である。そしてもし彼等がそうならなければ、罪は自らの上に下ることになるのみである」
「神が無邪気さを子供等に与え給うたのは、子供等の為ばかりではない。それは又、両親の為に・・・・その愛こそ、独り立ち出来ぬ子供等に必要である・・・・その両親を引き寄せる為にでもある。何となれば、もし荒々しくねじけた性質が丸見えになれば、親の愛も大いに減じてしまうから。これに反して、親が子供等を善良で優しいものと信じれば、子供に愛情を注ぎ深甚の注意をもってこれを守るのである。しかし、もはや保護や助力を必要でなくなる十五歳から二十歳くらいの間になると、本人の真の性質や個性がはっきりと現れてくる。真に善良なる者は善良のままに留まる。しかしこの場合でも、幼時には隠れていた特質や陰影が沢山現れてくる」
「神の道は、常に至善なるものを目指してい給う。本性において至純なるもの、そのことは明らかなこと、諸君もお判りのところと思う」
「次のことを心にとめておかれたい。諸君のもとに生まれる子供の霊は、あるいは諸君とは全然違った習慣の世界からやって来たかもしれない。されば、この新人は情も傾向も嗜好も全く諸君と違ったものをもっている。それがもし神の定められた道である-幼年期のふるいの過程を通らなければ、どうして諸君等の世界に調和があり得よう。この幼年期があればこそ、初めて、多種多様の世界から来た思想や特性や生命が、一つに融け合えるのである。諸君もまた、死ねば一種の幼年の状態となる。兄弟知友に囲まれて、その新世界では何もかも不案内である、慣習も、礼儀作法も、事物関係も。言葉だって不馴れで、この世とは比較にならぬ生きた言葉で、一向に自己表現など出来ぬ。
幼年期にはもう一つの効用がある。霊が地上生活をするのは、ただ進歩と自己改善の為である。若さ故の頼りなさは、地上経験を積んだ人達の助言に耳を傾けさせる。この素直さである、これによって悪い傾向は抑えられ、性格も漸次改善されていく。そうして、この改善と制御こそ、神から親たる者に委託された義務であり、聖なる使命である」
「それ故に、既にお判りであろうが、子供であることは、有用であり必要であり、欠くことの出来ぬものである。それだけでなく、これこそ神の定め給うた法の当然の成り行きであり、またこの法が宇宙を支配しているのである」