○霊はその形成の初期において、自己のすべての能力を具えていますか。
「いや、霊にも人間同様に幼年期がある。その初期は、霊は本能的な生活をするのであって、自分や自分の行為については殆ど意識をもっていない。知性は徐々にしか発展しない」

○霊が初めて肉体をとった時の状態はどうですか。
「人間の幼児に似た状態である。知性がやっと目を吹き始めたところで、生きることを試みているという状態だ」

○野蛮人の魂は、幼児期の魂ですか。
「どっちかというとそうだ。だが、彼等は情緒をもっているから、相当程度進歩した魂ではある」
-では、情緒は進歩のしるしですか。
「進歩のしるしである。しかし、完全のしるしではない。それは活動のしるし、また「我」を意識しているしるしである。反対に、魂が初期の段階では、知性も活力も種子としてあるだけである」

○もし、我々が現在この世で完全な生活を送ったとすれば、途中の段階を飛び越して、清浄霊の状態に到達することは可能ですか。
「それは出来ない。人間が完全と考えるものは、完全から未だ遥かに遠い。人間には計り知れないものが存在する、現在の人間が背伸びをしても無理があるものが。仮に、人間が地上の尺度で完全としても、真の絶対の完全からみれば、まだ遥かに遠い。それは丁度、早熟な子供のようなもので、早熟とはいえ、やはり大人になるためには、青年期を経過せねばならない。また完全な健康になるために、回復期を通らねばならない病人に似ている。しかもなお、霊は道徳性と同様に知識の点でも進歩せねばならない。仮にその一方だけ進歩しているとすれば、完全の頂上に達するためには、他の半面でも等しく進歩する必要がある。しかしながら、次の事だけは確かである。即ち、人が現在の生で進歩するなら、次の生存で受ける試練の時間は短くなり、またその苦痛も少なくなるということである」

○次の人生で、既に彼が到達している点よりも、低い点に下がることがありますか。
「社会的地位のような意味でなら可能だが、霊としての進歩の程度という意味でなら不可能である」

○善人の魂が、次の人生で、無頼漢となることがありますか。
「ない、霊魂が退歩することはなからだ」
-悪人の魂が善人の魂に変わることがありますか。
「もし、悔悟しているなら、あり得る。その場合、彼の次の人生は、改善の努力の賜物としての人生である」

○将来の再生によって自己改善することが確実なら、この事を知った者の中に、それをあてにして現在は怠けていようとする者も、出てくるのではありませんか。
「そういう考え方をする者は、何事においても、心からの信をもたない者である。そういう者は、永遠の刑罰という観念をもってしても、抑制することは出来ない。大体この観念は信じ難いものであるとしても、彼にその観念すら受け付けようとせぬだろう。事実、不完全な霊は、現世の間に、人生を真面目に考えてみることをしない。しかし、一旦死を経過すると違ってくる。即ち、間もなく自分が大間違いをしていたことに気付く。そして今度再生したら、反対の気持でやってみようと思うものだろう。進歩はこうして達成される。地上生活で、抜群の進歩を遂げる人があるが、それは他の者が未だ身につけていない経験を所持していることである。他の者も次第にそれを身に付けていく。迅速な進歩を遂げるか、いつまでもぐじぐじしているか、それは個々の霊いかんによる」

○地上生活の苦労を経験して、初めて霊は改善されていくものですから、地上生活とはざるやふるいのようなもので、霊界の霊達は完全に達するために、このふるいをどうしても通らねばならない、こういうわけですか。
「その通りである。彼等は地上生活の試練の中で、悪を避け善を行うことによって、自己を改善する。しかし、それには再生とそれに続く浄化を次々と数多く重ね、その努力に応じて長くもなりまたは短くもなる、数多の時間を重ねつつ、その目指すゴールに到達するのである」
-自己改善に当たり、霊に影響を与えるのは肉体ですか、それとも、霊が肉体に影響を与えるのですか。
「諸君の霊こそはすべてである。肉体は朽ちるべき着物、それ以上の何ものでもない」