英国国教会による偏見

 さてエドワーズが英国各地で公開治療を催して驚嘆と感動の渦を巻き起こしているうちに、国教会と医師会から嫌がらせの横槍が入るようになった。
 一年あまりを掛けて二百回にも及ぶ物理実験を繰り返して死後の生命の実在に不動の確信を身に付けていたエドワーズは、霊的治療の源は霊界にあること、その治癒エネルギーが自分という媒体を通して患者に注入されること、或いは現代医学の医師の眼に奇跡としか思えない結果が生じることにも、それなりの原理・原則があること、つまり霊的治療にも法則があるのであって、決して神が直接関与しているわけではないとの認識に辿り着いていた。
 考えてみると人間は、こうして外的環境との接触の為に感覚が五つ備わっている身体で生活していることを当たり前と思っている。しかし、医学者の正直な告白によると、[見える]ということ、或いは[聞こえる]ということ一つを取り上げてみても、どういう仕組みになっているということは分かっていても、なぜそれで見えるのか、なぜそれで聞こえるのかは、今もって分からないという。
しかも、それがたった一個の直径一ミリ程の細胞が分裂を重ねた結果、現在のような全機能をそなえた統一体となっているのである。その間、親は何の関与もしていない。ただ性欲に駆られて精子と卵子の出会いの場を用意しただけである。全ては眼に見えない何らかの働きかけでそうなったということである。
 その「何らかの働きかけ」をここでは便宜上「神の手」と呼んでおこう。その神の手にとって、自らこしらえた人間の身体の異状、いわゆる病気を治すのは何の雑作もないことであろう。機械を組み立てた技術者が、その故障箇所を発見して修理するのが雑作もないのと同じであろう。
 これを黒住宗忠は「天照大神の御神徳」と表現している。短絡的ながら当らずといえども遠からずである。地球人にとっては太陽神が事実上の宇宙神であるから、そう表現してもあながち間違いとは言えないし、日本人にとって何の抵抗も感じられない。かんながら的な精神構造がそう然らしめるのかも知れない。
 ところが英国に限らずキリスト教国の人間にとってGod(ゴッド)の働きとはキリスト神の働きを意味し、それはゴッドの唯一の御子イエスを通じてしか得られないことになっている。神学でそう規定してある。従って、奇跡的治癒はキリスト教会でしか生じないことになる。
 そうなると、キリスト教徒でもなく聖職者でもないエドワーズが起こしている奇跡的治癒は神の仕業ではないことになる。それは悪魔の仕業であるとの教えを受けているある女性が心配して寄せた忠告(?)の手紙に、エドワーズは次のような返事を書き送っている。

 お手紙を読んだ私の脳裏に、史上最大の治療家がこの地上におられた二千年前のことが浮かんでまいります。そうです、イエスのことです。あのイエスが行った治癒は悪魔の仕業だったのでしょうか。あのイエスが見せた強力な治癒力は今もこの地上に存在し、道具となる人間を通していつでも働きかけるのです。


英国医師会からの嫉妬

エドワーズは初めのうちは自宅で治療するだけで、後に英国中で精力的に行ったデモンストレーション(公開治療)は全く行わず、ただ依頼されてスピリチュアリズムの講演をする程度だった。
 それが、時あたかも日本が敗戦を迎えていた頃のことである、ロンドンのある団体からの要請で、さほど多くない聴衆を前にしてスピリチュアリズムの話をしていた時、ふと、奇跡的治療をみんなの前で実地にやって見せようという[抑え難き衝動]を覚え、次の瞬間には「皆さんの中に関節炎を患っている方はいませんか」と尋ねていた。
 会場のあちこちから手が挙がった。全部というわけにもいかないので、その内の数人に壇上に上がってもらって治療したところ、全員がたちどころに完治してしまった。そしてそのニュースが新聞の大見出しになり、方々から要望が寄せられて、エドワーズも治療を交えての講演を真理普及の絶好のチャンスとして、積極的に打って出ることにした。
 それがやがて医師達の反感を買うことになる。同じく病気を治す仕事である以上、自分達かどうしても治せずに苦慮し、時には「不治」の宣告まで下した患者が、僅か数秒か一、二分で治ってしまっては医師として面子が立たないと思うのは、無理からぬことだった。
 一例を挙げると、フィリップという名の四歳の男の子が、小児麻痺で正常な歩行が困難だった。公開治療の当日もキャリバーという鉄製の支持器を左脚に付けていて、壇上に上がるのに母親の手助けが必要だった。
 エドワーズはフィリップを抱くような格好で背骨に両手を置いた。すると数秒後には左脚を自分で動かし始め、一分後にはエドワーズに両手を持ってもらって歩き始めた。エドワーズは母親にキャリバーを外させた。すると更に歩き方が自然になり、普通の子と変わらない足取りでそこら中を歩き始め、靴の音が五月蝿いので母親が脱がせた程だった。
 このフィリップは三歳の時にポリオに罹ったのであるが、実はその日、先天性のポリオの姉セルマも一緒に来ていた。その姉も一瞬の治療で治ってしまった。何百人もの会衆がその奇跡的治癒にどよめいたのだったが、そうした事実を聞かされた主治医のノエル・スミスは「二人はこれまでいかなる治療にも反応を示していない。小児麻痺の治療法は一つしかなく、それが医学的根拠に基づいたものであることを証明するのが私の義務だ。二人が治ったのは脊柱のズレを叩いて元に戻しただけで、全く医学的根拠のない、古臭いカイロプラクティックの危険な技がたまたま上手くいっただけだ」
と決め付け、心霊治療家はアクの強い性格をしているから、それに幻惑されて治ったかに錯覚しているだけ、と述べたという。
その一部始終を新聞で読んだエドワーズは同じ新聞でこう反論している。

 ノエル・スミス氏はセルマの脊柱が正常になったという事実そのものに何の異議も唱えていない。彼女は生まれながらにして脊椎に障害があった。それが僅か数秒で正常になった。それも衣服を着たまま、そして何の痛みも感じずにである。スミス氏はこの事実をどう説明されるのであろうか。
 そもそも、あれ程の脊椎の異状が、叩いたりカイロプラクティックの技で正常に戻ったとするスミス氏は、明らかに間違っている。衣服をきちんと身に付けた状態で僅か数秒で治るということは有り得ないことである。更に、私は叩くということはしていないし、カイロプラクティックについては一片の知識もない。
 肝心なのは、セルマは医学によって「不治」と見なされていたという事実である。もしも何らかの方法で背骨が真直ぐになるのであれば、なぜこれまでそうしなかったのか。セルマの歩行が改善されたのは全会衆の眼に明らかだった。
 次にフィリップのケースであるが、私の治療を受けるまでの状態は次の通りである。
一、片脚が使えず、歩行が出来ず、従ってベッドに寝たきりで、不治の小児麻痺として入院を断られていた。
二、診断の結果キャリバーが必要とされ、私のところへ来る二週間前からそれを付けていた。
三、それを付けても片脚を引き摺って歩き、もう一方の脚もよじれていた。
 私のもとに連れて来られた時のフィリップは以上のような状態だった。壇上に上がるのにも母親の手が必要だった。それが数秒後には左脚が動くようになり、私が母親に言ってキャリバーを外させた。すると-
一、少年は麻痺していた左脚で立つことが出来た。
二、正常な歩行が出来るようになった。
三、私の手を握り締めながら階段を歩いて下りた。
四、もう一方の脚のよじれも消えていた。
五、その後の一時間ばかりは、キャリバー無しで元気よく跳ね回っていた。靴の音がやかましいので母親が脱がせた程だった。
 以上のことをスミス氏はどう説明されるであろうか。新聞記事によると私の強烈な個性がそうさせたと仰ったようであるが、その程度の学説で、生まれつきの小児麻痺の子と三歳になってから小児麻痺になった子が完治した事実を片付けて、果たして大丈夫なのだろうか。


「病は道の入り口」

 エドワーズの追求はまだまだ続くのであるが、これくらいで十分であろう。
 そもそもエドワーズが事実上ほぼ三十年にも及ぶ治療家としての生涯を通じて、国教会や医師会を相手に論争を挑み続けたことには、別の意図があった。新聞や雑誌での反論にせよ大ホールでの講演にせよ、それがスピリチュアリズムの真理を、その論争の相手よりも第三者の一般の人達に理解してもらうチャンスと考えたのである。
 実は国教会の内部にも、医師会の内部にも、エドワーズに味方する人は決して少なくなかった。従って、いつまでも屁理屈を言って反論する頑迷固陋(がんめいころう)の輩を相手にしなくてもよかったのである。が、エドワーズはその一段上に照準を当てていたということである。
 ここで思い起こすのが黒住宗忠の「病は道の入り口」という言葉である。病気はただ治ればよいというものではない-そこを入り口として神の摂理を学ぶことこそ大切であることを説いているのであるが、これは古今東西を通じて類を見ない、簡にして要を得た明言というべきであろう。
 その為に宗忠は治療は治療として次々と病者に手当をした後で、必ず「講話」をしている。宗忠自身のメモを見ると、毎日どこかに呼ばれて治療と講話をしている。夕方と晩に二度の日もある。もしも前章の古記録にあるような霊的現象が伴っていたら、もっとスピリチュアリズム的な展開があって、話の内容に具体性が加味されていたことであろう。まだ時期が熟していなかったということであろうか。
 ここでスピリチュアル・ヒーリングをスピリチュアリズム的に解剖してみよう。