スピリチュアリズム思想の真実性を信じている人のことを、便宜上、スピリチュアリストと呼ぶ。そのスピリチュアリストの英国最大の統一組織SNU(Spiritualists National Union)が掲げる七つの綱領は、大部分の会員がそれを受け入れ、座右の信条としていることであろう。
 これは心霊誌Two Worldsを創刊したビクトリア時代の女性霊媒エマ・ハーディング・ブリテンを通じて、霊界から霊言で届けられたものとされる。ある日の交霊会でその綱領についての評釈を求められたシルバーバーチは、建設的ではあるが非常に手厳しい評価を下している。

 訳者付記-折にふれて[組織]の弊害を戒めるシルバーバーチは、組織の代表を自分の交霊会に招くことは度々あったが、組織から招かれて講演したことは、私の知る限りでは皆無である。その最初となるべき1981年の世界スピリチュアリスト連盟の総会での特別講演が、その直前のバーバネルの急死によって実現しなかったのは皮肉だった。なお[サイキック・ニューズ]紙はいかなる組織からも独立した立場を取っている。


一、神は全人類の父である。
「これは、用語が適切さを欠いております。神、私の言う大霊は、皆さんがお考えになるような意味での[父]ではありません。これでは、愛と叡智の無限の力、全生命の造化の大霊を、人間の父親、つまり男性とすることになります。かくしてそこに、偉大なる男性であるところの人間神というイメージができ上がります。
 大霊には男性と女性のすべての属性が含まれます。すべてを支配する霊である以上は、必然的に生命の全表現-父性的なもの・母性的なもの・同胞的なもの-を含むことになります。ありとあらゆる側面が大霊の支配下にあるのです」

二、人間はみな兄弟である。
「ここでもまた用語が問題となります。[人間]を表す英語のmanは女性にも使えないことはありませんが、本来は男性中心の観念の強い用語です(女性はwomanという)。また、[兄弟]というのは[姉妹]に対する男性用語です。ですから、性別の観念を取り除いて、世界中の民族を一つの霊的家族とする観念を打ち出さないといけません」

三、霊界と地上界の間に霊的交わりがあり、人類は天使の支配を受ける。
「またしても表現に問題があり、定義が必要となります。[霊的交わり]よりは[霊的感応と通信]とした方がよろしい。
 次の[天使の支配]も問題があります。[天使]とは一体何なのでしょう?人間の形体をまとったことのない、翼のある存在のことでしょうか。地上の人間とは何の関係もない、まったく別個の存在なのでしょうか。この項目は表現がとても不適切です。
 霊的な支配は確かにあります。が、それは地上的な縁によってあなたと繋がっているスピリット、または特別な縁はなくても、あなたを通路として、地上と指導と支援と手助けと愛情を授けたいと願っているスピリットが行っているのです」

四、人間の魂は死後も存続する。
「この事実に例外はありません。人間の魂(個性)は大霊の一部であるが故に、地上で自我を表現するための道具だった物的身体がその役割を終えると同時に、そのまま一緒に滅んでしまうものではありません。魂は本質的に永遠不滅の存在なのです。だからこそ生き続けるのです」

五、自分の行為には自分が責任を取らねばならない
「これも、その通りです。議論の余地はありません。私たちが地上の皆さんに説き聞かせているあらゆる教えの中核に、この[自己責任]の概念があります。原因と結果の法則、いわゆる因果律を、何か魔法でもかけたように欺くことができたり、自分の行為が招く結果を誰かに背負わせて利己主義が生み出す苦しみを自動的に消してしまうことができるかに説く教えは、すべてこの項目に違反します。
 スピリチュアリズムの教えの核心に、この[核心各個の責任]の観念があります。自分がこしらえた重荷は自分が背負わねばならないという、基本的原理を知らねばなりません。それは、自分が人間的不完全さを取り除き、内部の神性をより大きく発揮させるためのチャンスであると受取るべきだということです。いかなる神学的教義、いかなる信条、いかなる儀式的典礼をもってしても、罪人を聖人に変えることはできません」

六、地上での行為は、死後、善悪それぞれに報いが生じる。
「これまた用語の意味が問題です。人間の容姿をした神様が立派な玉座に腰掛けていて、こいつには賞を、こいつには罰を、といった調子で裁いていくかに想像してはなりません。そんな子供騙しのものではありません。
 原因と結果の法則、種蒔きと刈り取りの原理が働くまでのことです。自動的であり機械的です。必ず法則どおりになっていくのです。あなたが行ったことが必然的にそれ相当の結果を生み出していくのです。褒賞も罰も、あなたの行為が生み出す結果にほかなりません」

七、いかなる人間にも永遠の向上進化の道が開かれている。
「生命は、霊的であるがゆえに永遠なのです。誰であろうと、何であろうと、どこにいようと、あるいは、現在既に到達した進化の段階がどの程度であろうと、これから先にも、永遠へ向けての無限の階段が続いているのです。不完全さを無くするためには永遠の時が必要です。完全というのは、どこまで行っても達成されません。どこまで行っても、その先にもまだ達成すべき進化の段階があることを認識することの連続です。無限に続くのです」

続いて質疑応答に入る。

-あなたから見て、われわれ人間が心掛けるべき信条として一つだけ選ぶとしたら、どういうことを説かれますか。無理な注文かも知れませんが・・・

「いえ、無理ではありません。実に簡単なことです。既に何度も説いていることです。[自分に為しうることを精一杯行う]-これです。転んでも、また起きればよろしい。最善を尽くすということ-これがあなた方人間に求められていることです。
 霊的真理の自覚が深まるほど、それだけあなたの責任も重くなります。自覚していながら、知らなかったとシラを切ってみても、無駄です」

-スピリチュアリズムの綱領の中には動物についての教えもあってよいはずだと思うのですが・・・

「その通りです。私もそう思います。私だったらこう表現します-[全人類は、地上で生活を共にしているあらゆる生物と隣人に対して責任がある]と」

-ジャーナリストが霊媒やスピリチュアリズムを軽蔑する記事を書いたりした場合、そのジャーナリストはこの地上生活中に何らかの罰が当るのでしょうか。

「罰が当るというようなことは、そちらの世界でもこちらの世界でもありません。すべては原因に対する結果という形で進行するだけです。罰は間違った行為の結果であり、種蒔きと刈り取りの関係です。
 問題は[動機]に帰着します。つまり、そのジャーナリストは自分の記事の内容を本当にそう信じて書いたのか、それとも正直とか公正とか真理探究といった高尚な問題の範疇に属さない、何か別の単純な動機から書いただけなのかといった要素が結果に影響します。蒔いたタネが実を結ぶのです。
 その結果がそちらの世界で出るかどうかの問題は、また別の問題です。出る場合もあれば出ない場合もあります。それに関わる霊的原理によって決められることです」

-台風のような自然災害によって死亡した場合、それが偶発事故による死ということになるのでしょうか。それともやはりそれがその人の運命だったのでしょうか。

「もしもその[偶発事故]という用語が、因果律のリズムの範囲外でたまたま発生したという意味でしたら、私はそういう用語は使いたくありません。事故にも、それに先立つ何らかの原因があって生じているのです。原因と結果とを切り離して考えてはなりません。
 圧倒的多数の人間の地上生活の寿命は、予め分かっております。ということは、予定されている、ないしは運命づけられている、ということです。同時に、自由意志によってその[死期]を延ばすことができるケースも沢山あります。そうした複雑な要素の絡み合いの中で人生が営まれているのですが、基本的には自然の摂理によって規制されております」

-人間が動物の肉を食することは霊的にみて間違っているというのであれば、なぜ動物が動物を食い殺すことは許されているのでしょうか。なぜ神は肉を食べなくても済むようにしてくださらなかったのでしょうか。

「そういうご質問は私にではなく大霊にお尋ねになって頂けませんか。大霊の無限の叡智が全大宇宙のあらゆる側面に責任をもっております。人間は、身体的進化の点では、この地上における全創造物の頂点に立っています。他の創造物よりも進化しているということは、それらの創造物に対して先輩としての責任があるということです。
 進化の階梯において高い位置にあるということは、その事実に付随して生じる諸々の意味合いを知的に、そして霊的に理解できるところまで進化しているということを意味します。より高い者がより低い者を援助し、より高い者はさらにその上の者から援助を受ける-かくして、霊的発達というものは自己滅却(サービス)の精神と、思いやりと、慈しみを増すことであり、それが霊の属性なのです。
 人間は動物を食する為に地上に置かれているのではありません。身体的構造をみてもそれが分かります。全体としてみて、人間は肉食動物ではありません。
 動物界にも進化の法則があります。歴史を遡ってごらんなさい。有史以前から地上に生息して今日まで生き延びている動物は、決して他の動物を食い荒らす種類のものではないことがお分かりになるはずです。
 ですから、これは人間の責任に関わる問題です。人間が進化して、その当然の結果として霊性が発揮されるようになれば、イザヤの言葉(旧約聖書・イザヤ書第十一章)が現実となります。すなわち狼が子羊と共に寝そべり、仲良く安らかに暮します。人間も、その霊的原理を実行に移せば、みんな仲良く平和に暮せるようになるのです」

-核エネルギーも、それが善用されるか悪用されるかは、地上界の人間の責任ということになるのでしょうか。

「核エネルギーをどう利用するか-善用するか悪用するかは、もちろん深刻な問題です。戦争のための必要性に駆られて発明されたものが、実は霊的にはまだ正しく使いこなせない巨大なエネルギーだったことに、その深刻さの根があります。
 知的な発明品が霊的成長を追い越したということです。科学も、本当は霊的に、倫理的に、あるいは宗教的にチェックを受けるべきなのに、それが為されなかったところに、こうした途方もない問題が生じる原因があります。人類は今まさに、莫大な恩恵をもたらすか、取り返しのつかない破壊行為に出るかの選択を迫られているのです。
 これはまた、自由愛の問題に戻ってまいります。これには逃れようにも逃れられない責任が伴います。大霊はその無限の叡智によって、地上の人間のすべてに、精神と霊と、モニターとしての道義心を賦与しておられます。もしも自由意志がなければ、人間はただのロボットであり、操り人形にすぎないことになります。
 自分の行為への責任の履行なしには、神の恩恵は受けられません。その責任が課せられている人にしか解決できない問題というものがあるということです。
 核への恐怖が一種の戦争抑止力としての役割を果たしているという意見も出されるに相違ありません。確かに物的観点からすればそうかも知れません。が、いずれにせよ、人間に為し得る破壊にも、限界というものがあります」

-責任の問題ですが、生まれつき知性が正常でない者の場合はどうなるのでしょうか。自分で物事が判断できない人の場合です。

「道義心による警告に反応できない場合は、それだけ責任の程度が小さくなることは勿論です。脳の機能の異常による制約を受けているからです。神の公正は完璧です。そういう人にも向上進化の手段が用意されております。地上生活は、永遠の生命の旅路のホンの短いエピソード(語り草)にすぎないことを忘れてはなりません」

-自分の遺体を医学の為に提供した場合に、何か霊的な影響がありますか。

「動機さえ正しければ、その提供者の霊には何ら影響は及びません」

-あなたはイエスのことを[ナザレ人]とお呼びになります。別のサークルの指導霊のホワイトイーグル(注)は普通に[イエス]と呼んでいるのですが、何か特別の理由があるのでしょうか。

(注 シルバーバーチがバーバネルを霊媒として語り始める少し前から、女性霊媒グレイス・クックを使って語っていたインディアンで、クックが1979年に他界した後、娘のジョーン・ホジソンを通して今なお語り続けている-訳者)

「同志の一人であるホワイトイーグルには彼なりの考えがあってのことでしょう。私はただ混乱を避けるために[ナザレ人]と呼んでいるまでのことです。地上の人々は忘れてしまったか、或いはご存知ないようですが、Jesus(イエス)という名前は当時ではごく一般的な男性名で、たくさんのイエスがいたのです。そこでThe Nazarene(ナザレン)と言えば[あのナザレのイエス]ということで、はっきりします。それでそう呼んでいるまでのことです」

-瞑想によって意識を高め、霊界の高い階層とコンタクトを取る方法があるのでしょうか。

「通常の意識では届かない界層と一時的に波動を合わせる瞑想法は色々とありますが、ご質問の意味が、通常の霊的意識の発達の過程を飛び越えて一気に最高級の程度まで霊格を高めることができるかというのであれば、それは不可能です。
 霊的進化はゆっくりとしたものです。それを加速する特別の方法というものはありません。階段を一つずつ上がっていくしかありません。途中の階段を幾つも飛び越えて近道をするというわけにはまいりません。成長というものはなだらかな段階を踏んでいくものです。そうでないと本来の進化の意味をなしません」

-三位一体説をどう思われますか。

「私は[霊]と[精神]と[身体]による三位一体しか知りません。キリスト教神学でいうところの三位一体説-創造主が男性神つまり[父]で、その息子が贖い主としての特別の[子]で、それが[聖霊]によって身ごもったとする説には根拠はありません」

-Witchcraft(魔法・魔術・妖術)をどうお考えでしょうか。

「まず用語の定義をはっきりさせないといけません。一般の通念としては、相手の心身に危害を及ぼす目的をもって、不気味な手段によって邪悪なエネルギーを行使するということのようです。
 しかし語源を辿ってみますと(witchはwise[賢い・知恵のある]の女性形で、それがcraft[術]と結び付いたもの)、結局は[賢い術、及びそれを使う人]という意味です。それが[魔法使い]と呼ばれるようになったのですが、もともとは霊能者のことでした。形式はよほど原始的だったことでしょうが、その術には一種類ないしは複数の霊的能力が伴っておりました。
 当時は無知と迷信が蔓延っておりましたから、次第に誤解されるようになりました。時には国家権力や宗教を覆す策謀があるのではないかとの嫌疑で罰せられたり、拷問にあったり、処刑されたりしました。しかし本来は霊的能力を使って病気治療や人生相談の相手をする人でした」

-死刑廃止論が多いようですが、何の罪もない人間を巻き添えにしたテロ行為が多発している現状を考えると、尋常な防止手段では効果がないように思えます。そうした罪もない犠牲者を出さない為にも、死刑という厳しい処罰も考慮すべきではないでしょうか。

「死刑制度のお蔭で一般の人々の生命が守られたという明確な証拠でもあれば、あなたの御意見も一理あることになるでしょうが、そういう事実があるとは私には思えません。原則として人間が人間の生命を奪うのは間違いです。なぜなら、人間には生命を創造する力はないからです。
 私は、死刑制度によって事態は少しも改善されないと信じます。殺人行為を平気で行う者が、絞首刑その他の処刑手段に怯えて行為を思い止まるようなことは、まず有り得ないと考えます。いずれにせよ、死刑に処することは正義からではなく報復心に駆られているという意味において、間違いです。
 いかなる場合においても、生命の基本である霊的原理から外れないようにしなくてはなりません。殺人者を殺すことによって、殺された人は少しも救われません」

-これから犠牲者となるかも知れない罪なき人々を救うことにならないでしょうか。

「ならないと思います。これまで永い間同僚達と話し合ってきた挙句の結論として私は、地上社会の司法と行政が、霊的存在としての最高の知識に基づいたものとなるべきであることを、ここで強く訴えるものです。国家による殺人では問題の解決にならないということです。
 生命は神聖なるものです。そのことをあらゆる機会に訴えないといけません。地上の人間としてはこれしかないと思えることも、全体像のごく一部としてしか見ていないものです。霊的にはゃんとした埋め合わせと懲罰とがなされているのです。大霊をごまかすことはできません。すなわち、無限の知性と無限の叡智から編み出された摂理が、無比の正確さをもって働くのです。
 そのことに十二分に得心がいくようになってはじめて、地上の社会組織が改められていきます。テロ活動を行う者には、その間違いを思い知らせるような体験をさせられる仕組みになっているのです。それを野蛮な手段で片付けてはいけません。地上的生命を奪うような手段は絶対に許されません。生命の絶対的原理に照らした手段に訴えないといけません」

-今の時代になぜ暴力沙汰が絶えないのでしょうか。

「振子と同じです。因襲的なものや伝統的なものに対する不満が、今の時代に至って爆発しているのです。それに加えて、物量第一主義の台頭が貪欲と強欲と自分中心主義を生み出しております。
 しかし、振子は大きく振れたあと、必ず元に戻ります。そして、前よりは進歩した形で調和をもたらします。物質中心の思考が人類の意識を支配しているかぎり、それが生み出す不快な結果が自動的に生じます」