第二の質問-愛する人(霊)が傍にいることを、一瞬ですが、ありありと感じることがあるという話を聞きますが、それがただの想像や気のせいではなく事実その人であるという確認はどうすれば得られるのでしょうか。

「霊的資質の一つである直観的洞察力を磨くしか方法はありません。洞察力は霊が自己を表現する手段でもあります。それが精神に刻み込まれると、今度は脳に伝えられ、そこで初めて認識されます。こうした過程で表現と認識が行われているのです。
 霊性が発達するにつれて、霊界のバイブレーションをキャッチすることが多くなります。それまでは、ほんの瞬間的な印象をキャッチするだけです。それがどの程度の真実味があるかは、本人の直観的判断力に待つほかありません。気のせいだと思うのではあれば、そう思えばよろしい。その人はそこまでの人だということです。
 精神的に、そして霊的に、地上の人間の受容力と直観力が開発されれば、霊的顕現が容易になり、同時にその顕現の度合いがはっきりしてきて、[確実]の段階に至ります。前にも申し上げたことですが、霊性の開発に近道はありません。長く、そして根気のいる過程です」

第三の質問-霊的知識の真実性を判断する基準は何でしょうか。自分自身の霊的才覚が決めるものでしょうか。

「真実性を理解する判断力を各自が発達させるしかありません。それは一気呵成にできるものではありません。霊力をグラスに注いでもらって、それを飲むというわけにはまいりません。それを身に付ける努力をしなくてはなりません。他人が代わりにやってあげるわけにもまいりません。あなた自身が一人で開拓しなくてはなりません。援助してもらうことはできますが、自分の意志で求め、自分の意志で探り、自分の意志で成就するのです」

サークルのメンバー-いつも同じ答えに戻ってくるようですね。つまり、何事につけても、当人の霊的才覚の発達がカギを握っているということです。

「そうですとも。その通りです。摂理は完璧です。摂理の働きが狂うということは絶対にありません。必ず摂理どおりになるのです。償いも完璧ですし、報いも完璧です。公正も完璧ですし、行きわたらないところは絶対にありませんし、あらゆる面で完璧です。完全なる叡智によって編み出されたものだからです。
 あなたが手にするものは、あなたの努力に相当するものだけです。あなたの霊性の進化は、それ相当の努力をした分だけです。今あなたが置かれているレベルは、これまでに努力してきた、その成果です。それより高くは上がれませんし、またそれより低いところへ下りたいとも思わないでしょう」