-心臓移植は霊的観点からみてどうなのでしょうか。

「何事も動機が大切です。勿論地上的生命を永らえさせること(救命)を目的としているケースもあることは認めますが、一つの実験が別の実験への勇気を生み、それがいつしか[救命]という目的から逸れていきます。
 それに関連してもう一つ言わせて頂きたいことは、動物を使って行う残酷な実験には、霊的観点からみて何一つ価値は見出せません。残酷性の中から人間の健康のカギは見出せません。人間のエゴから行う実験で大自然の秘密は解明されません。
 私は臓器の移植には賛成できません。実は、輸血にも賛成できないのです。あくまで私個人としての意見ですが、肉体的生命の維持(死なないようにすること)が第一の目的であらねばならないとは考えません。
 私の考えでは、人間としての正しい生き方-霊的に、精神的に、そして物質的にどういう生き方が好ましいかを教えることこそ、第一の目的であるべきです。心の持ち方が自然の摂理にかなっていれば、自ずと品行も方正となり、身体も健康となるはずです。それを臓器を取り替えることで解決しようとしても無駄です。最良の解決法は自然の摂理にかなった生き方に戻ることです。
 そしてもう一つ指摘しておきたいことは、人間は同胞への思いやりと同時に、この地球という同じ天体上に生息している動物への思いやりも持たねばならないということです。大霊は動物を人間の物的生命を引き延ばす為の実験材料として地上に送っているのではありません」

-ということは、心臓移植は結局は成功しないと明言してよいでしょうか。

「うまくいくケースもあるでしょうけど、私が申し上げているのは、移植手術という手段は霊的観点から見て方向を間違えているということです。人間の幸福の一環としての健康に人生を捧げている人達のすることではないということです。臓器移植で健康は回復できません。本来健康とは調和状態のことです。臓器移植は一時的に身体に継ぎはぎ細工をするようなものです」

-人体は他人の臓器を拒否するように出来上がっているのでしょうか。

「最も大切で、しかも極めて単純な事実を知っておかないといけません。あなた方人間は、肉体と精神と霊とが最初から一体となって生まれて来ているということです。三者は分離できないのです。他と置き替えることも出来ません。全体として一個の存在を形成しているのです。健康である為にはその三者が一体性・調和・リズム・協調性を保たないといけません。ですから、健康を回復させるのは薬ではありません。医術でもありません。これらは一時しのぎの気安めにすぎません」

-一時しのぎと知りつつも臓器移植を望む背景には、死への恐怖があるのではないでしょうか。

「地上人類の無知がそうした恐怖心を生むのです。死というものを、できることなら逃れたい恐ろしい化け物のように考えています。死ぬのが怖いのです。
 が、死は自然の摂理の一つの過程にすぎません。不老長寿は地上生活の目的ではありません。地上界はトレーニングの場です。いずれは行くことになっている次の段階の生活にそなえて勉強する学校です」