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 どの道も同じで、初めは簡単に出来たことが次第に難しくなっていくものである。エドワーズも最初の頃は面白いほど簡単に治っていたのが、経験を積むに連れて、手こずる患者やどうしても治らない病気に出会うようになる。
 エドワーズにとって幸運だったのは、丁度同じ時期にバーバネルを霊媒とする交霊会が円熟期にあって、毎週一回、シルバーバーチと名乗る古代霊が出現して叡智に溢れる霊言を述べていたことである。エドワーズも度々協力者のバートン夫妻と共に出席して教えを乞うている。その中からテーマをヒーリングに絞った交霊会でのQ&Aを紹介する。([A]はシルバーバーチ。[Q]はここに掲げた写真の三人で、最初はエドワーズであるが、その後は交互に)

Q「心霊治療によって治るか治らないかは患者の魂の発達程度に掛かっていると仰ったことがありますが、そうなると治療家は肉体の治療よりも精神の治療の方に力を入れるべきであるということになるのでしょうか」
A「あなた自身はどう思われますか。魂に働きかけないとしたら、他に何に働きかけますか」
 (ここでは魂=精神と受け取って構わない-訳者)
Q「まず魂が癒され、その結果として肉体が癒されるということでしょうか」
A「その通りです」
Q「すると私達治療家は通常の精神面を構う必要はないということでしょうか」
A「精神はあくまでも魂の道具に過ぎません。従って魂が正常になれば自ずと精神状態も良くなるはずです。ただ、魂がその反応を示す段階まで発達していなければ、肉体への反応も生じません。魂が一段と発達するまで待たねばなりません。つまり魂の発達を促す為の様々な過程を体験しなければならないわけです。その過程は決して甘いものではないでしょう。なぜなら魂の進化は安楽の中からは得られないからです」
Q「必要な段階まで魂が発達していない時は、霊界の治療家も治す方法はないのでしょうか」
A「その点は地上も霊界も同じです」
Q「神を信じない人でも治ることがありますが、あれは・・・・」
A「別に不思議ではありません。治療の法則は神を信じる信じないに関係なく働きます」
Q「先程治療は魂の進化と関係があるように仰いましたが・・・」
A「神を信じない人でも霊格の高い人があり、信心深い人でも霊格の低い人がいます。霊格の高さは信仰心の強さで測れるものではありません。行為によって測るべきです。
 よく聞いてください。あなた方治療家に理解しておいて頂きたいのは、皆さんは治るべき人しか治していないということです。つまり、治った人は治るべき条件が揃ったから治ったのであり、そこに何の不思議もないということです。あれほど心がけの立派な方がなぜ治らないのだろうと不思議がられても、やはりそこにはそれなりの条件があってのことなのです。
 ですが、喜んでください。あなた方を通じて光明へ導かれる人はいくらでもいます。全ての人が治せなくても、そこには厳とした法則があってのことですから、気になさらないことです。と言っても、それで満足して努力することを止めてしまっては困ります。いつも言う通り、神の意志は愛の中だけでなく憎しみの中にも表現されています。晴天の日だけが神の日ではありません。嵐の日にも神の法則が働いております。それと同じく、成功と失敗とは永延の道ずれですから、失敗を恐れたり落胆したりしてはいけません」
Q「治療による肉体上の変化は私達にも良く分かるのですが、霊的な変化は眼で確かめることが出来ません」
A「たとえ百人の霊視能力者を集めても、治療中の霊的操作を全部見極めることは出来ないでしょう。それほど複雑な操作が行われているのです。肉体には肉体の法則があり、霊体には霊体の法則があります。両者ともそれぞれに複雑なのですからその両者を上手く操る操作は、それはそれは複雑になります。無論全体に秩序と調和が行き渡っておりますが、法則の裏に(別の次元の)法則があり、そのまた裏に(更に別の次元の)法則があって、言葉ではとても尽くせません」
Q「魂の病にも色々あって、それなりの影響を肉体に及ぼしていると思いますが、そうなると、病気一つ一つについて質的に異なったエネルギーが必要なのではないかと思われますが・・・・」
A「全く仰る通りです。ご存知の通り人間は大きく分けて三つの要素から成り立っています。一つは霊(スピリット)で、これが第一原理です。存在の基盤であり、種子であり、全てがここから出ます。次に、その霊が精神(マインド)を通して自我を表現しています。これが意識的生活の中心となって肉体(ボディ)を支配します。この三者が融合し、互いに影響し合い、どれ一つ欠けてもあなたの地上での存在はなくなります。三位一体というわけです」(ここでいう精神には潜在意識も含まれる-訳者)
Q「精神と肉体とが影響し合うわけですか」
A「そうです。霊的な発達程度からくる精神状態が肉体を変えていきます。意識的に変えることも出来ます。インドの行者などは西洋の文明人には想像も出来ないようなことをやってのけますが、精神が肉体を完全に支配し思い通りに操ることが出来ることを示す良い例でしょう」
Q「そういう具合に霊的治療が魂を目覚めさせる為のものであるならば、霊界側からの方がよほどやり易いのではないでしょうか」
A「そうとも言えますが、逆の場合の方が多いようです。と言うのは、死んでこちらへ来た人間でさえ地縛の霊になってしまうケースが多いという事実からもお分かりになると思いますが、肉体をまとった人間は、よほど発達した人でない限り、大抵は物的な波動にしか反応を示さず、私達が送る霊波には全く感応しないものです。そこであなた方地上の治療家が必要となってくるのです。従って優れた治療家は霊的波動にも物的波動にも感応する人でなければなりません。
 治療家に限らず、霊能者といわれる人が常に心の修養を怠ってはならない理由はそこにあります。霊的に向上すればそれだけ高い霊波が受けられ、それだけ仕事の内容が高尚になっていくわけです。そのように法則が出来上がっているのです。ですが、そういう献身的な奉仕の道を歩む人は、必然的に孤独な旅を強いられます。ただ独りで前人未到の地を歩みながら、後の者の為に道標を立てて行くことになります。
 あなた方にはこの意味がお分かりでしょう。特別な才能にはそれ相当の義務が伴います。両手に花とは参りません」
Q「細かい点は別として、私達が知りたいのは、霊界の医師は必要とあればどの治療家にでも援助の手を差し伸べてくれるかということです」
A「霊格が高いことを示す一番の指標は、人を選り好みしないということです。私達は必要とあればどこへでも出かけます。これが高級神霊界の鉄則なのです。あなた方も決して患者を断るようなことをしてはいけません。あなた方は既に精神的にも霊的にも立派な成果を上げておられます。人間的な眼で判断してはいけません。あなた方には物事の裏側を見る眼がないのです。従ってご自分のなさったことがどれ程の影響を及ぼしているかもご存知ないようです」




《とっておきのエピソード8》

イエスと無言の対面をしたエドワーズ

 スピリチュアリズムと関わったエドワーズの人生は、大きく三段階に分けることが出来る。第一段階は物理霊媒のジャック・ウェバーを使ってスピリチュアリズムの本質を理解し、また背後霊団から霊的治療が今生の使命であることを知らされて、試行錯誤の中でヒーラーとしての道を歩み始めるまで。
 背後霊団の指導的役割を担っているのが、英国人外科医で消毒法の完成者といわれるリスターと、フランス人化学者で狂犬病予防接種法の発見者であるパスツールであることは、既にその頃に知らされていたようである。
 第二段階がその頃に巡り合った同じく心霊治療家のバートン夫妻の協力を得て、治療所での治療は無論のこと、英国全土に出向いてデモンストレーションを催した最も実り多い時期で、二十五年間も続いている。
 第三段階がバートン夫妻が私的な事情でエドワーズのもとを離れ、代わってレイ・ブランチが奥さんのジョーンと共に協力者となって、1976年にエドワーズが他界するまで一緒に過ごした時期。
 さて、これから紹介するエピソードはバートン夫妻との出会いの直後にエドワーズが体験した霊的啓示で、エドワーズの生涯を決定づけるものとなった。
 1946年7月のデモンストレーションの日だった。例によって壇上に上がった不自由な体の人達が次々と正常になっていくのを見て、会場からどよめきと拍手が止まなかった。その中にバートン夫妻もいて、奇跡的治癒を目の当たりにしていた。
 その日の予定が終って会場から出て行く途中のことである。奥さんのオリーブ・バートンがエドワーズに声をかけて挨拶して、「あれほどの奇跡的治癒をやってのけながら最初から最後まで《神》Godという言葉をお口になさらなかったのは、何か意図があるのでしょうか」と尋ねた。
 これはエドワーズが生涯にわたって何度も聞かれた質問だった。無論これといって特別な意図はない。クリスチャンでもなくキリスト教について特別の知識もないエドワーズが、そうした奇跡を神の御業とするはずはない。スピリチュアリズム的な原理を十分に理解していたから、当然それを摩訶不思議なことと思うはずもない。
 といってその場でそんな難しい話をするわけにはいかないと思ったのであろうか、直接それには答えずに、「ほかにも色々とお話したいことがあるので一度私の治療所(サンクチュアリ)にいらっしゃいませんか」と誘った。
 それがきっかけで夫妻はその後サンクチュアリを何度か訪ねるようになるのであるが、その度にエドワーズは二人と自分とが霊的近親関係(アフィニティ)であることを感じるようになり、出来れば三人で一緒に仕事をやってみたいと思うのだった。しかし、その頃のエドワーズは既に失望と批判と反抗の嵐の中に立たされており、その大変さを思うと、容易にお願いするわけにもいかないと自分に言い聞かせていた。
 そんな日の続くある午後のことだった。その日の治療の予約を終え、三人は一服する為に治療室に隣接した休憩室に集まり、紅茶を飲みながら、その日届いた手紙に目を通していた。
 その時である。エドワーズはなぜか落ち着かない衝動を覚え始めた。手紙を読んでも紅茶を飲んでも消えない。その内、更に治療室へ行きたい衝動を覚える。それがかつてないほど鮮明なので、素直にそれに従って治療室へ入ってドアを閉めた。
 部屋を見渡すと、先程治療した時のままの椅子の乱れが目に入った。自分の椅子も少しズレている。エドワーズはその椅子に腰を下ろし、一体なぜこんなところへ連れてこられたのだろうと思っていた。その時である。エドワーズが後に語った通りを述べると-
 「・・・・・私の眼の前に白衣をまとった上品な風貌の人物が現れ、その全身から愛に溢れた、それでいて凛然とした意図で迫る、強烈な光輝を放散していた」
 その人物は一言も言わず、何一つ音を立てなかったが、その両手に大きめの金属製の輪の形をしたものを持ち、それに三つのカギが垂れ下がっているのが眼に入った。それを見た瞬間エドワーズは、これは「三人で歩め」との、自分達三人の将来を表したシンボルなのだと直観した。そう悟った次の瞬間、もうその人物の姿は消えていた。
 すっきりしたエドワーズは急いで休憩室へ戻って、今あったばかりのことをバートン夫妻に語って聞かせた。夫妻もそれを啓示と受け止めて、エドワーズの誘いに喜んで同意した。その瞬間こそ、その後大躍進していくことになる霊的治療活動の歴史の幕開けだったと言っても過言ではないであろう。
 エドワーズはその荘厳な人物をthe keep of the keysという呼び方をしていて、敢えて名前を出すことを控えている。「三つのカギの垂れ下がったリングを手に持った人」という意味であるが、紛う方なくイエス・キリストであろう。
 スピリチュアリズムの最高責任者が地上で《ナザレのエス》と呼ばれた人物であることは周知の事実であり、その後そのイエスを凌ぐ程の治療活動を展開することになるエドワーズへの勇気付けだったと見るのが正解であろう。エドワーズ自身の言によると、その後二度と同じ姿を見たことはないが、あの時に受けた感動的衝撃は終生忘れることはなかったという。
 ではなぜ「イエス・キリスト」とか「ナザレのイエス」とかの呼び方を控えたのであろうか。それは想像に難くない。キリスト教会との闘争の真っ只中にあったエドワーズにしてみれば、そうした名前を用いればまた論争のタネを撒くことになることを危惧したに違いないし、それより何より、あの時の神々しいイエスの容姿を自分の記憶の奥に大切に仕舞っておきたかったことであろう。