○人間は身体と精神と霊の三つの要素が一体となったものです。一個の自我に三つの側面があるということです。その三者が調和よく機能している状態が健康です。

○人間が『死』と呼んでいるのは物的身体が物を言わなくなる現象です。用事が終わって霊との縁が切れ、元の大地へ戻っていくのですが、往々にしてそれが、霊に充分な準備が整っていないうちに起きるのです。それはともかくとして、霊は肉体という牢から解放されて、それよりはるかに精妙な構造をした霊的身体で自我を表現することになります。地上では眠っていた霊的感覚が発揮され始めると、その活動範囲も飛躍的に広がります。

○宇宙はたった一つで、その中に無数の生活の場があります。生命は一つです。ただそれには無数の進化の段階があるということです。そうした霊的事実を説明しようとすると言語の不自由さが立ちはだかります。とは言え、このぎこちない不適切な記号を使用せざるを得ず、結果的には真相が上手く伝えられないということになります。生命は一つです。宇宙は一つです。境界線というものは存在しません。国境というものはありません。死んで行った人も相変わらず同じこの宇宙で生き続けているのです。ただ地上とは異なるバイブレーションの世界、異なる意識の段階で生活しているというだけです。霊も、あなたの目には見えなくても同じ地上にいると考えてもよいのです。それはちょうど、あなたもご自分では気付かなくても、私と同じ霊界にいると考えてもよいのと同じです。


○あなたは物質の世界に生きているために、とかく生命活動を物的なものとして考えがちです。しかし生命の本質は物的なものではありません。生命の基盤は非物質的なものです。物質をいくら分析しても生命の起原は見つかりません。あなたという存在は物質ではありません。身体は物質で出来ています。しかし本当のあなたは、触れることも見ることも感知することも聴くことも出来ません。真実のあなたは『霊』なのです。

○あなたの行為、あなたの活動、あなたの思念、要するにあなたの生活そのものがあなたという実在を形成していくのです。その実在は肉眼では見えませんが、『死』 の過程を経て肉体と永遠に訣別した瞬間から、それが丸裸にされます。それ以上に立派に見せることも出来ませんし、それ以下に惨めに見られることもありません。地上生活によって形成された性格をそっくり携えて行くのです。平凡な日常生活の中で培われた霊的物質こそあなたの永遠の財産となるのです。

○死後あなたが赴く界層は地上で培われた霊性に相応しいところです。使命を帯びて一時的に低い界層に降りることはあっても、降りてみたいという気にはなりません。と言ってそれより高い界層へは行こうにも行けません。感応する波長が地上で培われた霊性によって一定しており、それ以上のものは感知できないからです。結局あなたが接触するのは同じレベルの霊性、同じ精神構造の者に限られるわけです。

○霊界へ来て何年になるとか、地上で何歳の時に死んだといったことは何の関係もありません。すべては霊性の発達程度によって決まることです。そこが地上世界と霊界との大きな違いです。地上ではみんなが同じ平面上で生活し、精神的にもまったく異なる人々と交わりますが、こちらへ来ると、あなたが交わる相手は霊的に同質・同等の人ばかりです。立派な音楽家の曲が聞けないという意味ではなく、生活の範囲がほぼ同等の霊格の者に限られるということです。そこには親和力の法則という絶対に狂うことのない法則が働いております。

○人間は物的身体という牢の中で生活しています。その牢には小さな隙間が五つあるだけです。それが五感です。皆さんはその身体のまわりで無数の現象が起きていても、その目に見え、その耳に聞こえ、その肌に触れ、その舌で味わい、その鼻で嗅いだもの以外の存在は確認できません。ですが実際にはその身体のまわりで無数の生命活動が営まれているのです。見えないから存在しないと思ってはいけません。人間の五感では感知できないというに過ぎません。

○こちらへ来た当初は霊的環境に戸惑いを感じます。十分な用意が出来ていなかったからです。そこで当然の成り行きとして地上的な引力に引きずられて戻ってきます。しばらくは懐かしい環境ー我が家・仕事場などーをうろつきます。そして大抵は自分がいわゆる『死者』であることを自覚していないために、そこにいる人達が自分の存在に気づいてくれないこと、物的に触っても何の感触もないことに戸惑い、訳が分からなくなります。しかしそれも当分の間の話です。やがて自覚の芽生えとともに別の意識の世界にいるのだということを理解します。

○死んで間もない段階では地上にいた時と少しも変わりません。肉体を捨てたというだけのことです。個性は同じです。性格も変わっておりません。習性も特徴も性癖もそっくりそのままです。利己的な人は相変わらず利己的です。欲深い人間は相変わらず欲深です。無知な人は相変わらず無知のままです。落ち込んでいた人は相変わらず落ち込んだままです。しかし、そのうち霊的覚醒の過程が始まります。いわゆる『復活』です。

○死後の環境は地上時代の魂の成長度によって決まります。たとえば霊の世界では行きたいと思うだけでその場へ行けますが、その行動範囲にはおのずと霊格による限界があります。

○あなたは今その地上にある時から立派に霊的存在です。死んでから霊的存在になるのではありません。霊的身体は死んでから与えられるのではありません。死は肉体の牢獄からあなたを解放するだけです。それはあたかもカゴの中の鳥が放たれるのと同じです。

○人間は肉体を携えた霊であって、霊を携えた肉体ではりあません。肉体は霊が宿っているからこそ存在し得ているのです。それは神の火花であり、すべての存在に内在しており、すべての生命を通して顕現しているのです。

○地上というところは内部の魂が芽を出し開眼し発達して、肉体の死後に始まる次の段階の生活に耐えられるだけの霊力をつける、そのための体験を得る場所です。

○地上は幼児の学校であり、こちらは大人の学校です。地上では神から授かっている霊的資質を少しでも多く発揮するように、精神を修養し霊性を鍛錬して他人のために役立つことをする、その練習をしているのです。

○人間は例外なく心霊的能力をそなえております。これは大変大きな意味をもっております。歴史を勉強なされば、この事実は世界の全ての宗教の起原に結び付いている基本的真理であることを理解なさるはずです。偉大な宗教家の教えの中には必ずそのことが述べられています。みな同じ始原からのインスピレーションを受けているのですから当然のことです。人間は成就すべき霊的宿命をもった霊的存在であること、死後に待ち受けるより大きな生命活動に備える為にこの地上に来ていること、そして死ぬ時には地上で自らの力で身に付けた愛、自ら築いた性格、自ら開発した霊的才覚を携えて行くということを異口同音に説いております。これこそが全ての宗教の中心的教えではないでしょうか。しかもそれが全ての宗教において、一つの例外もなく忘れ去られていることも事実ではないでしょうか。膨大な量の教義、神学、教条主義、宗教とは何の関係もない、或いは宗教として何の価値もない、人間的思考の産物によって置き換えられているのです。

○厳密に言えば「霊は身体に宿る」という言い方は適切ではありません。霊と身体とは波長の異なる存在だからです。本当のあなたは体内にいるのではありません。心臓と肺の間に小さく縮こまっているのではありません。地上で生活するためにこしらえられた物的装置を通して自我を表現している『意識』です。

○実際には人間のすべてが睡眠中にこちらの世界へ来ております。それは神の配慮の一つで、いよいよこちらへ来た時に環境の違いによってショックを受けないように、未来の環境に慣れさせておくのです。ちょうど子供時代を過ごした土地へ来るとその頃の思い出が甦ってくるように、睡眠中に訪れていた環境の記憶が甦ってきます。

○睡眠というのは物的身体の操作から霊的身体の操作へとスイッチが切り替わることであり、その意味で、その間は霊の世界にいるわけです。その睡眠中の身体に別の霊が入ってくる心配はありません。あなたがドアを開けっ放しにして出て行った後、誰かがノコノコと入ってきてドアを閉めてしまうというような図を想像してはいけません。そういうものではありません。物的身体は相変わらずあなたの管理下にあります。ただ意識の焦点が別の次元に移っているというだけであって、やがて朝になれば意識が戻ります。

○衝撃などで昏睡状態に陥った場合は、霊と身体との正常な関係が破られているわけです。睡眠の場合は朝になれば霊がそういうものと自覚してバイブレーションを落として身体に戻る用意をします。それが正常な関係ですが、昏睡状態の場合は無理矢理に身体機能から離され、しかもその機能が破壊されている為に、戻ろうにも戻れないのです。

○オーラは身体から出る様々な放射物によって構成されています。実際には無数のオーラがあるのですが、地上界でオーラと言う時は肉体と霊体を包んでいるオーラのことです。あらゆる存在物にオーラがあります。意識をもたない物にもオーラはあります。

○人間のオーラには身体の状態と精神の状態が反映しますので複雑な波動を出しております。オーラを霊視しその意味が読み取れる人には、その人物の秘密が全て分かります。言ってみれば一冊の書物のページが開かれているようなものです。思ったこと、行なったことの全てが記録されています。外見をどう繕っても、オーラには本当のあなたがありのまままに表れています。

○パーソナリティとインディビジュアリティは違います。マスクを意味する[パーソナ]を語原とするパーソナリティは物的身体との関係で派生する地上だけの人物像です。つまり本来の自我であるインディビジュアリティが五感を通して地上で自我を表現しようとしている側面であり、自我の全体を氷山に例えれば、海面上に出ているホンの一部にすぎません。

○インディビジュアリティはパーソナリティよりはるかに大きな存在です。肉体の死後に生き続けるのはパーソナリティではありません。インディビジュアリティを太陽に例えれば、パーソナリティはその太陽が作り出した影程の存在です。死後、インディビジュアリティは地上では表現できなかった潜在的資質を徐々に発揮していきます。

○発達にも二種類あることを知らないといけません。精神に係わるものと霊に係わるものです。前者は心霊的能力の発達にすぎませんが、後者は魂の成長そのものです。心霊能力が発揮されても魂の成長が伴わなければ、低いバイブレーションの仕事しか出来ません。両者が上手く組み合わさった時は、優れた霊能者であると同時に偉大な人格をそなえた人物となります。