○あなたの霊性の高さは人生をいかに生きてきたかによって決まります。この摂理はすべての人間に例外なく当てはまることであり、どう繕ってみてもごまかしは効きません。私が『摂理』という時それは大自然の法則のことを意味し、根本的には原因と結果の法則、すなわち因果律のことです。自己中心の生活を送れば、その結果としていじけた性格が出来上がります。なぜなら、利己的になることは霊性がいじけていることを意味するからです。他人を思いやる生活を送れば、それはあなた自身のことも思いやることになります。霊性が高まるからです。この法則に例外はありません。

○摂理は完全です。ひたすら人のためを心がけた生活を送っていれば、その人を通して大霊が働きます。あなたにもその可能性があり、すべての人に例外なく言えることです。『それは無理です』とあなたがおっしゃっても私は『可能です』と申し上げます。摂理は完全であり、ごまかすことは出来ません。その点をよく理解して実行に移さないといけません。

○幸運というようなものは存在しません。法則の働きがあるのみです。たまたまそうなったというようなことは一つもありません。法則によって規制されている宇宙においては、すべての出来事は原因と結果の関係で生じているのです。

○個人であろうと集団であろうと、民族であろうと国家であろうと、摂理に反したことをすればそれ相当の代償を支払わねばなりません。私はつねづね摂理の働きは完璧ですと申し上げております。その結果が人間の目には見届けられないことがあります。それが法則だからです。このことは何度も申し上げてきました。が、ここで改めて申し上げますーすべて法則であり、神の摂理の働きでしかないのです、と。

○神の摂理に逆らった生き方をする人は、自ら厳しい収穫を刈り取らねばなりません。摂理に素直に従って生きる人は、物的な面においても霊的な面においても幸せと豊かさを手にすることが出来ます。

○流血の悲劇を何度繰り返してもなお懲りない為政者が牛耳る地上では、それが生み出す苦難や悲哀の中で摂理を学ぶしか方法がありません。本当は愛と互助の精神を発揮する行為の中で学んで欲しいのですが、それが出来ない以上、摂理に逆らったことをして痛い思いをするほかありません。地上で[偉い人]が必ずしも霊界でも偉いとは限りません。こちらでは魂の偉大さ、霊性の高さ、奉仕的精神の強さが重んじられます。こうしたものは物的な金ピカの輝きが消えた後も末永く残ります。

○霊的な目が開かれ、霊力によってもたらされる愛を受け、霊的真理の啓示を手にした者がその後で人の為に役立つことを何一つしないようでは、神から大きなお咎めを受けます。なぜなら、知らずに怠けたのではなく、知っていながら怠けたからです。霊能者の中には折角の霊的能力を銀貨三十枚で売っている人が大勢おります。

○既成宗教に籍を置く者はいずれ、これまでに犯した過ちの全てに責任を取らねばならない日がやってまいります。摂理を免れる方法はありません。神の目は誤魔化せないのです。特に霊の声を聞いた者(心の奥では気付いている人)はその反動は大きくなります。その声に素直に従えない者は、何も知らずに信じている者より大きな報いを受けます。

○クリスチャンになったからといって、それで[地の塩](地上の人間としての理想像)になったわけではありません。どこかの教会に所属したからといって[地の塩]になるわけでもありません。こちらの世界へ来ると、地上でどういう肩書をしていたかは問題にされません。特定の教義を擁護しても何にもなりません。評価されるのはただ一つ-地上生活において内部の霊性をどれだけ発揮したかです。

○この大宇宙を開闢(かいびゃく)させた力、物的身体に生命の息吹きを与えた神、全天体、全法則の統治者である大霊、千変万化の生命活動となって顕現している霊、人類の全歴史を通じて各時代ごとに様々な預言者や霊媒を通して真理を啓示してきた父なる神、全ての生命に宿り、全ての生命の背後に存在する大エネルギー、それほどの偉大な存在が、牧師が数滴の水を新生児に垂らしたからといって喜び、垂らしていないからといって困った思いをなさることはありません。

○大切なのは各自の良心に恥じない生き方をするかどうかということです。赤ん坊の身体に水を二、三滴降りかけたからといって摂理が誤魔化されるものではありません。原因があって結果が生じる-この法則は変えられないのです。

○洗礼によって魂は少しも影響を受けません。他人が代わって魂を成長させることは出来ないのです。地上生活を生きていく、その生き方によって自分で成長させなくてはいけません。間違った行為による報いは他人によって取り払ってもらうわけにはまいりません。それを償うに足る行為と、その過ちがもたらす苦しみに耐えることによって、自ら処理していくほかありません。

○新たに法則をこしらえる必要が生じることは決してありません。全法則が用意されているからです。宇宙の経綸にとって必要なものは今も全て存在しますし、これまでも存在しましたし、これから先も間違いなく存在し続けます。大霊は全知全能ですから、あらゆる存在の相に必要なものは全て予期しておられます。

○摂理は完全であり、自動的に作動します。誰一人それから逃れられる人はいません。自由意志も摂理の中に組み込まれております。その働きは一定の進化の段階まで到達すると分かるようになります。

○あなたは個性を築き魂の進化を促進するためにこの物質界へ来ているのです。利己主義の道を選べば、それなりの代償を払わないといけません。人道主義の道を選べば、人間的成長という形での報いがあります。そうしたことはすべて摂理のもとに規制されており、いかに立派な教祖さまでもその働きを変えることは出来ません。

○身分、職業、血筋、地位や肩書、肌の色や国家の別、こうしたものには一切かかわりなく、人間の全てに[人の為に役立つことをするチャンス]が用意されています。それを怠ると、それだけの代償を払わされます。その摂理には誰一人干渉することは出来ません。イエスも言っております-[蒔いた種は自分で刈り取らねばならない]と。

○当然のことながら過去は今体験している結果の原因をこしらえたわけですが、その結果に対する現在の対処の仕方が、代わって将来の結果を生み出す原因となるわけです。ですから、今こそ良いタネを蒔くように努力するのです。幼児に説教するようなことを言うようですが、しかし、それが真実なのです。