○私達の霊団は悪魔の使いではありません。皆さんを混乱の袋小路に誘い込もうとしているのではありません。理解と自信と安らぎと幸せを生み出してくれる単純な霊的真理をお教えしようとしているだけです。言いかえれば、少しでも神に近付けてくれる摂理を啓示してあげようとしているのです。それが私達の使命なのです。

○皆さんも神の僕です。皆さんの労苦を通して大霊の御心が地上に行き渡るのです。その労苦の中に大きな喜びがあることを知ってください。なぜなら、多くの人々の生活の中にかつては思いも寄らなかった新たな希望をもたらしてあげているからです。皆さんは霊の力が地上へ降下するお手伝いをなさっているのであり、それは神の摂理が正しく地上で作用するお手伝いをしていることにほかなりません。それが物的世界の苦しみや悲しみを取り除くことにもなるのです。

○人間はなぜ光明よりも暗闇を好むのでしょうか。なぜ知識よりも無知を好むのでしょうか。なぜ叡智よりも迷信を好むのでしょうか。なぜ霊の生きた真理よりも形骸化した教義の方を好むのでしょうか。なぜ霊的叡智の泉よりもホコリだらけの神学の方を好むのでしょうか。

○地上の人間は流血によって問題が解決されるかに考えますが、これまでの歴史でそのような方法で問題が解決した例(ためし)はありません。流血は無益であり、結局は徒労に終わります。なぜ人類は折角神から授かっている理性が使えないのでしょうか。なぜ出来るだけ多くの敵を殺すのが唯一の解決策だと考えるのでしょうか。敵を一番多く殺した者が英雄とされる-地上というところは不思議な世界です。

○古い価値基準が棄て去られ、全ての権威が猜疑を差し挟まれて影響力を失墜しつつあるこの混乱の時にあって、私達は絶対に威力を失うことも誤ることもない[摂理]という形での神の概念を説きます。それこそ宇宙の絶対的権威者なのです。物質の世界の人間がその摂理に従って生きるようになれば、平和と秩序が再び支配します。

○地上の人々、なかんずく霊的知識を手にされた方達が、せめて一度でも、物的五感を超えて、すぐ身の回りにある霊的実在を認識してくれれば、という私の願いは切なるものがあります。

○悩みの種が尽きることはありません。だからこそ地上に来ているのです。すなわち問題を一つ一つ片付けていく中で、新たな力、より大きな発展を獲得していくのです。次から次へと生じる問題を挑戦課題として受け止め、一つ一つ処理していくことです。

○私は既に多くの方が直感的に、或いは理性的・論理的に理解しておられる単純な真理を改めて説いているに過ぎません。その真理の仕入先は霊界です。しかもその上層界です。そこでは全ての人が実在を目の当たりにします。原因と結果とが即座に働き、他への思いやりの多い人が少ない人より偉い人とされ、地上時代の見栄や肩書は全て剥ぎ取られ、魂がまる裸にされて、長所も短所も衆目に晒されてしまいます。そういう世界で学んだことをお届けしているのです。

○いかなる聖職者も魔法の力は持ち合わせません。水を他の何ものにも変えることは出来ません。司祭が赤子の顔に水を二、三滴垂らしたからといって、それでその子の地上生活に、或いは死後の生活に、いささかも変化は生じません。その二、三滴の水は、垂らす前も、垂らした後も、相変わらずただの水にすぎません。その水の化学的成分を変え法則と違ったことを生じさせる力は、司祭にはありません。

○治療家が苦痛を取り除いてあげることが許されるのは、それが霊的自我の目覚めへ繋がるからこそです。病気を治してあげることが立派な仕事であることは違いないのですが、治療家にはそれよりもっと大切な仕事があります。その病気が縁で訪れてくる人の魂を目覚めさせ、真の自我を発見させてあげることです。それに比べれば、症状がとれるというだけの治療は大して重要ではありません。

○大切なことは魂に感動を覚えさせてあげることです。人間は大抵の場合、大霊から授かっている神性の炎が小さく弱くなっております。それを大きく燃え上がらせてあげるのです。その体験の中から新たな悟りが生まれます。そういう体験をさせてあげる為に特別製の聖衣がいるわけではありません。特殊な養成所に通う必要もありません。ひたすらに人の幸せを願い、少しでも霊的資質を発揮する生活を心がけ、いつでも霊力の通路として使用してもらえる態勢を整えておけば、それでよいのです。

○人生で最も貴重なものは入手が最も困難なものです。困難でなかったら貴重とは言えません。もしも霊の褒章が安易に手に入るものであれば価値はないことになります。ですから、困難を歓迎するのです。尻込みしてはなりません。それを逆手にとって支配下におさめ、それを克服していく努力の中で、あなたの未開発の能力が引き出されるのです。

○時には思い切り涙を流すことも大切です。感情を発散させることになり、すっきりとして気分が和らぎます。意地を張って感情を押し込めたままにしておくよりも、涙とともにその感情を流し出した方がよいことがあるものです。

○私は地上に大勢の友をこしらえることが出来て、とても幸せ者であると思っております。私はただ、私に送られてきた基本的な真理を英語という地上の言語にくるんでお届けしているだけです。受け入れる用意のできた人が受け取ってくだされば、それでよいのです。

○真理を知らずに間違ったことをしているのであれば、まだ弁護の余地はありますが、聖職者としての義務を知っていながら自分の栄達の方を優先させている者は一体どう弁解するつもりでしょう。

○私達霊団の者は地上的環境というままならぬ条件のもとで精一杯努力しております。そこで、皆さん方に要求するのは[協力]の二文字だけです。私達が提供するのも[協力]です。命令的な指図はしたくありません。強制しようとは思いません。人の為に役立ち自我の開発にも役立つことをするには人間はどうすればよいかをお教えすることによって、皆さんの愛と理性に発する協力を獲得したいのです。

○皆さんはキリスト教の聖職者にも、ユダヤ教の聖職者にも、世界のいかなる宗教の指導者にも出来ないことがお出来になります。神は聖なる職にある人だからということで霊力をお授けになるのではありません。霊力を授かるに相応しい資格をそなえた人にお授けになるのです。

○人生のどこかの段階で神は子等に真の自我の発見とその存在意義に目覚める為の機会を提供します。そのための前提条件として、魂の琴線に触れる体験が必要です。

○魂が感動を覚えないうちは、霊力は働きません。ですから、例えば病気そのものは治っても、その体験によって魂が何らかの感動を覚えるまでに至らなかったら、その治療は本来の目的を成就できなかったことになります。

○私達がこうして地上へ戻ってきた目的は、物的現象の裏には霊的実在があることを披露することによって、人間が幻影を追い求めることを止め、この千変万化の地上生活の複雑な諸相を律している基本的な真理を学んでくださるように導くことです。

○あなたは人間です。過ちを犯します。判断を誤り、しくじることがあります。人間性は頑強に出来上がっていない故に、人間は常に弱みを背負って生きています。人間が人間であることの証は、欠点を持っているということです。だからこそ今あなたは地上へ来ているのです。

○完全性など、とても地上で成就できるものではありません。ですが、いずれお出でになるこちらの世界の為の霊的な準備となる教訓を学ぶことは出来ます。

○人生は両極性から成っています。作用と反作用、同等と正反対といった具合ですが、それは同じ硬貨の両面です。ですから憎しみが愛に変わることがあると同時に、不幸にして愛が憎しみに変わることもあるわけです。両者は同じ力なのです。問題はその力をどう働かせるかです。

○このサークルに来られる方に強調しておきたいのは、この私という存在は進化の頂点を極めた、したがって誤りを犯すこともなくなった、完全な霊の教師ではないということです。そんなものはこの世には存在しません。向上すればするほど、まだその先に向上すべき余地があることに気付くことの連続なのです。

○私が説く真理の最大の価値は、それが宇宙の叡智の宝庫から取り出した崇高なものであるということです。といって私は、それを無理にも信ぜよとは申しません。私の言う通りにしなさいとは申しません。また、これ以外に神すなわち宇宙の大霊へ近付く道はないなどと豪語するつもりもありません。

○私に断言できること、絶対の自信をもって申し上げられることは、霊的な真理も人間の理性と知性と体験によるいかなるテストにも耐えうるものだということです。と言って、仮にあなたが[こんなものは受け入れるわけにはいかない]と拒否なさっても、別にバチは当たりませんから心配はご無用です。

○取り越し苦労はいけません。心配は無知から生まれます。真理を知って『知識の光』の中で生きなさい。

○イースターは全生命の復活を祝う時です。それは太陽系の全天体が一丸となって、地上世界が悲劇と苦痛と災厄から復活して、より意義ある人生、真実の生き方に目覚めるようにと祈る、その祈りのシンボルなのです。

○地上世界には霊的新生が大いに必要です。しかし今や大霊の造化の目的の為に自分を役立てたいと願う者が増え、物欲による横暴が駆逐されるにつれて、大霊の意志が徐々にではありますが行き渡りつつあります。

○私はこのイースターの時期になると、他の大勢の同志と共に本来の所属界へと舞い戻り、物的条件によって制約された人間の理解力では到底理解できない霊的生命の喜びをしばし満喫し、敬愛する指導者に拝謁し、その崇高なる叡智に触れ、その強烈なる霊力を頂き、畏(かしこ)き神々の集える審議会への出席を許され、そこで計画がどこまで進捗したか、どこが上手く行っていないかについてのご指導にあずかり、絶え間なく続く善と悪との闘いの為に案出された次のご計画を仰ぎます。

○出来ることなら皆さんをご一緒にお連れして、地上の為に働いている霊団の面々を御覧頂いて、その光輝の素晴らしさをお見せすると同時に、その光輝を発している畏(おそ)れ多き神霊がかつて地上では何という名前で呼ばれていたかをお教えしたい気持です。しかし、その前に皆さんは、あまりの崇高さに尻込みなさることでしょう。地上時代の名前はすっかり意味を失っております。それよりも、現実にそうして地上の為に活動しておられるその影響力の方が大切です。そうした方々によって催される大審議会の模様を一度でもお目にかけることが出来たらと思うのですが・・・

○暗黒の勢力と既得権にあぐらをかいている宗教界との戦いの他に、もう一つ、人間の[心配の念]という敵との戦いもあります。無知から生じる無用の心配の念が無数の人間の心に巣食っております。心配というのは想像の世界にしか存在しないものです。実在しないということです。それで私は心配の念を棄てなさいと繰り返し申し上げるのです。解決できない問題というのは絶対に生じません。重すぎて背負えないほどの荷は与えられません。常に明るく確信に満ちた雰囲気の中で生活していれば、必ずや援助し導いてくれる勢力を呼び寄せます。

○洗礼の儀式は少しも魂を聖(きよ)めることにはなりません。地上生活にあって少しでも完全に近付くように、日常生活の名で内なる神すなわち霊性を一つでも多く発揮するように努力することから、本当の聖らかさが生まれるのです。

○科学の発達によって精巧な機器が発明され、それによって宇宙の新しい側面が次々と明らかにされるようになりましたが、それは決して新しいものを生み出したわけではありません。無窮の過去から働き続けてきた法則の存在を今になってやっと知ったというに過ぎません。

○全く新しいものが創造されるということはありません。何が生まれても、それは既に存在していたものの一部分に過ぎません。大自然の法則と一致しないものが発生することは絶対にありません。法則は全てを包摂しているからです。人間がその存在に気付くか気付かないかの問題です。

○クリスチャンがイエスの本当の生き様を見習い始めた時、歴史に画期的な新時代が始まったことになります。が、今のところはまだ始まったとは言えません。私の目にはその兆しが見えないのです。イエスの名を口にするだけではイエスに忠誠を尽くすことになりません。その生き方を見習わないといけません。それが出来ないでいてこの私に[クリスチャン]という言葉を用いないでください。イエスも言っているではありませんか-[私に向かって主よ主よと言ってくれる者全てが天国へ召されるわけではない。天なる父の御意志を実行する者こそが召されるのである]と。

○全ての存在に神の息吹が掛かっております。だからこそ物質界の最下等の生命体も全知全能の神と繋がっており、地上で最高の聖人・君子とも繋がっていると言えるのです。

○同じ意味で極悪非道の犯罪人と高潔な聖人とは兄弟なのです。どちらにも同じ神の息吹が宿されているのです。

○霊能養成の為に費やす時間が無駄に終ることは決してありません。何の反応もなくてじれったい思いをなさる気持は私にもよく分かります。が、そうした状態のもとで着実に進歩していることを知って頂きたいのです。背後霊との絆が強化され、霊的感覚が鋭敏さを増しております。成長と開発と進化が一刻の休みもなく続いております。

○知識を求める人にはちゃんとその人なりのものが用意されているものです。ですが、皆さん方のように真理普及の第一線に立つ者は、自ら冒険を求める勇気がなくてはいけません。時には予想もしなかった危険に晒されることも覚悟しなくてはいけません。未踏の奥地にまで踏み込む用意も必要です。しかも、真理に導かれる所ならどこへでも付いて行き、間違いであることが分かったものは、たとえ古くから大切にされている教えであっても、即座に棄て去るだけの心の準備が出来ていなくてはなりません。

○患者に手を当てがうということは、言ってみればオモチャで遊ぶ程度の事です。大切なのは患者の魂が目を覚まして真実の自分を発見することです。私にはこれ以上に上手い表現が思いつきません。

○霊とは内部の神性の火花です。心霊治療はその火花を大きな炎と燃え上がらせる仕事です。それが心霊治療の本来の目的です。

○私のことを色々と話題にしてくださるのはよいとして、シルバーバーチという一個の存在のみに関心を向けるのはよくありません。私は私よりはるかに偉大な霊から送られてくるメッセージを皆さん方にお届けしているだけです。光り輝く存在、大天使団によって組織された政庁があり、大霊の計画の実質上の責任をあずかっているのです。私はその使い走りにすぎません。そのことを光栄に思ってはいますが・・・

○高級霊は人間を霊的知識をもたらす為の手段-真理を普及し、間違った考えを改め、迷信を駆逐し、光明を少しでも広く行き渡らせ、苦痛・悲劇・不幸に終止符を打ち、その結果として幸せと安らぎと繁栄をもたらす為の手段と見なしております。

○証拠、証拠と仰いますが、証拠を手にすることと魂の成長とは何の関係もありません。真理を受け入れる能力は、あなたの魂が霊界のどの次元まで突入できるかによって決まります。つまり真理を悟る能力がどこまで進化したかに掛かっております。それを証拠の入手と混同してはなりません。両者は必ずしも平行して進むものではありません。死後にも生命があることを立証する立派な証拠を手にしていながら、霊的には一向に目覚めていない人がいるものです。

○あなたは[霊]だからこそ生きているのです。霊だからこそ墓場を超えて生き続けるのです。霊だからこそ永遠に生き続けるのです。それには[教祖様]は何の関係もありません。生得の権利であり神からの遺産の一つなのです。

○現代の啓示も過去の啓示と同一線上にあります。私達はイエスが説いた真理を否定していませんし、そのイエスもモーゼの説いた真理を否定しませんでした。我々の後に来る人も、私達が今説いている真理を否定することはないでしょう。しかし未来の子は一段高い進化のレベルにありますから、啓示される真理も今の時代に啓示されている真理より進歩したものであらねばなりません。

○日常生活において霊性を発揮すればするほど大霊に近付きます。あなた方一人ひとりが大霊の一部であり、したがってあなたと大霊との間に[仲介役]というものは要りません。

○本当を言うと魂は内部にあるとか外部にあるとか言えません。魂とは全宇宙に遍在するものです。[意識]です。一個の身体によって束縛されるものではなく、無限の広がりをもつものです。一瞬の間に地球を一周できます。

○一体あなたとは何なのでしょう。ご存知でしょうか。自分だと思っておられるのは、その身体を通して表現されている一面だけです。それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものでしかありません。

○身体はあなたが住む家であると考えればよろしい。家であってあなた自身ではないということです。家である以上は住み心地を良くしないといけません。手入れがいるわけです。しかし、あくまでも住居であり住人ではないということを忘れてはなりません。