○私達が地上に降りて来たのは、人々に霊的生命の秘義を伝える為である。この真理が地上に広がれば、戦争や革命にもまして、一大変革が地上に起こることになる。それは魂の変革である。
 その時、世界のあらゆる所で、人々は天賦の賜物に目覚めて、魂の自由を限りなく追求することになる。その時、初めて世界から鎖が消える、今迄人々を縛り付けていた足枷が。

○私達は一片の信条、一冊の経典、一宗一派に拘るものではない。ただ生命である神、その永遠の法、これに命を捧げるものである。

○霊的な大きな力が、今地上世界に向かって降りて行く。地上のあらゆる国々で、次第にこの力が感得されていく。今地上では大事業が進展している。それは地上の利己と無知を打破しようとする運動である。やがて時来たれば、この事業は必ず達成される。だがその前に、必ず大きな産みの苦しみがある。

○世界はダマスクスの路上で、突如回心したパウロのように、唐突には変わらない。霊的真理の光は少しずつ闇を貫いていくもの、人々が少しずつ真理を知っていくにつれ、又、神の使途となる人物が段々と増えていくにつれて。霊に関することは、常に慎重な熟成と進歩を必要とする。急激な変革は決して永続するものではない。私達はいつも永遠の目をもって、物事を眺め仕事を進めていく。

○神の教えの通路となる者は、闇を出て光明へ向かい、無知から知へと進み、迷信を去って真理へと入って行く。彼等こそは世界の進歩に貢献する者であり、又まさに地上の唯物主義の棺に、打ち込まれる一本の釘である。

○人間の進歩に二つの形式がある。一つは霊能の開発、他は霊性の浄化。もし霊性の練磨を差し置いて霊能だけの開発を図るなら、その人はいつまでも低い霊的境涯に留まらねばならない。反対に、両者共々に発達を図るなら、大霊能者となるだけでなく、人間としても立派な人物となる。

○地上は今、流血と悲しみの涙で満ちている。地上世界は盲目だから、神の法に従って生きようとはしない。又私達の伝える言葉に耳を貸そうとせず、私達の周りにある力に目をくれようともしない。しかしながら私達の伝える真理は浸透していく。それは神から出る真理の言葉であるから。

○神法に逆らって生きようとする者は、自ら辛い収穫を刈り取る者。
 神法に従って生きる者は、物質的にも霊的にも豊饒と幸福の収穫を、その手で刈り取る者である。

○どんな暗闇の中にあっても、決して希望を捨ててはいけない。そして次のことをしっかり心に銘記して頂きたい。地上を住みよい世界に変えようとする人達は、最後には必ず勝つ。何となれば、彼等と共に在る力は、宇宙の至高の力であるから。

○産みの苦しみがなければ、悲しみの涙がなければ、価値あるものは何一つ実現出来ない。地上世界はやがてこのことを、苦しみと悲しみの涙をもって、学び取ることになろう。今私達は、物質界の暗黒を打ち破ろうと活躍している。又私達の教えは、今世界の至る所で、人々の心を啓発しつつある。こうして次第に、霊の光が地上に浸透していくにつれ、唯物主義の闇は消散するのである。

○私達は罰をちらつかせて、人を嚇(おど)すことはしない。皆さんに、臆病で卑劣な人間になってもらいたくないからだ。私達が願うところは唯一つ、人間の内部には神性があるということ、これを皆さんに知って頂きたい。もしこれが理解出来れば、人はいよいよ神性を発揮し、ますます進歩し、その心は知恵と真理で、限りなく満ち溢れることになろう。

○人は、もうこれでよいと満足してしまってはいけない。不満と飢渇によってのみ、知は自分のものになる。満足する者はそこで止まり、渇く者はいよいよ大きな自由の天地に入る。

○私達はこの口が裂けても決して言わない、「理性を使うな、唯これを信じよ」とは。私達はこう言う「神が貴方に捧げ給うた理性を使いなさい。私達を試み、私達の言葉を調べなさい。もし私達の言葉が卑しく、道に外れ、酷いものに思えたら、いつでも私達を否定しなさい」と。

○もし私達の教えが、より高貴な生を、即ち自己犠牲と理想に生きる生を、述べ伝えているなら、それは神の極印が私達の教えに押されている証拠である。

○一つの魂を立ち上がらせ、嘆く者に慰めを与え、心挫けた者に希望の灯を点じ、力尽きた者に力を与えるなら、これをもって私達の仕事は瞑すべきと思う。

○地上は自分で自分を救う道を、学び取らねばならない。どこにも予め作られた道はない。どこにも、予めしつらえられた救済の組織はない。皆さんが生命の現れと思っているものの背後には、不滅の霊的存在が控えている。人類も、地上の子であると共に、又肉体を通じて自己を発揮しつつある霊的存在である。以上のことは、是非地上が学び取ってもらいたいことである。

○私達の教えが地上に広がっていくと、人間の一切の差別は消えていく。国と国との垣根、民族の差別、階級や、人種や、又あらゆる宗教や宗派の差別は、消えていく。各宗教はやがて悟るだろう、各宗教は神の真理の一部ずつをもっていて、他の宗教の核心は、又自宗の貴重な本旨と矛盾するものではないということを。

○私達の説くところは、かの高貴な理想と一致している。即ちいつの時代にも、世の為人の為に献身した全ての改革者・聖者・預言者・理想主義者らの脳裏に映じたものと。彼等は偉大な魂であったので、その霊眼に、実在の生命の閃きを看取することが出来た。その幻の美しさの故に、多難な闘いと逆境の中にあっても、常に、自己を支えることが出来た。又、彼等は他日実現を見るであろう霊的計画が分かっていたので、地上の子等の進歩向上の為に、献身し努力したのであった。
 彼等は手を差し伸べる相手から、謗(そし)りを受け、抵抗を受け、嘲笑されたが、その仕事は生命を残した。まさに今日も、無数の小さな社殿の中では、同じような仕事が遂行されている。或いは彼等の多くは、忘れ去られるかもしれない。しかし、その仕事は生き続けるであろう。今日今一度、地上には、霊的な力が投入されている。地上の者は誰一人として、この大きな潮の流れを、阻止することは出来ないであろう。

○問題は流血によって解決される、これが地上の常識である。だがいまだかつて、何一つこれで解決されたものはない。流血は無用のもの、何もそこからは道は開けない。なぜ人は、神から授かった理性を、使うことが出来ないのか。なぜ人は、人を沢山殺さねば事は解決しないと、又なぜ、最大の殺人者が勝利者であると考えるのか。地上とはおかしな世界だ。

○私達は自分の為には、何も求めてはいない。どんな栄光も望んではいない。唯々、失われた神の法則を、もう一度地上に回復する為に、その僕となりたい。新しい希望と生命をもたらす霊的な力を、もう一度、地上に発見させてやりたい。

○教会も聖書も教条も、全てこれらの権威は地に墜ち、捨て去られつつある。この時、霊的真理の権威だけが、永遠に残る。今この地上に来てみると、混乱と混沌だけがある。もしここに、明るい霊力が導入されれば、強力な輝く光が投入されれば、一切の混沌は雲散霧消すると、私は理解している。

○ここに光がある。しかるになぜ人は闇を好むのか。ここに知識がある。しかるになぜ人は無知を好むのか。ここに知恵が、ここに霊魂の生きた真理がある。しかるになぜ人は迷信をとり、宗教の枯渇した教条を選ぶのか。又、ここに霊智の泉があるのに、人はなぜ、神学の汚塵に目を向けるのか。

○そこには、盲人のように、自ら作った闇の中を、手探りでさ迷う魂がある、鎖に繋がれ、奴隷のように。もし自由になりたいと思えば、直ぐにでも自由になれるのに。しかし私は恐れる、彼等はもう永い間、自分の手でその鎖を編んできたので、それを切り離すことを恐れているのではないかと。あたかも永い間籠に閉じ込められていた小鳥が、外へ放されたら、もう飛べないのではないかと恐れるように。

○鎖を解き放ちなさい。しかし自由になると、後の態度が大切だ。一般に永い束縛から放れて自由になると、人は他の言葉や指導に耳を貸したがらないという傾向が残る。人はこう言う「そんなことは何でも分かっている。私はもっと自由になれたんだ。宗教とはもう金輪際、縁切りだ」と。又中には、自由になると逆に反動を起こすこともある。例えば、私は単なる伝達係なのだが、この私を特別な偉い者に、祭り上げようとしたりする。
 人類は永い間、指導者を神仏の地位に祭り上げ、それが教師であることを忘れてしまっていた。

○私達の使命は、神仏と讃えられることではない。真理と知識と知恵とを、述べ伝えることである。私は偉大な教師でも、卑しい乞食でも結構、唯私の言葉に、真理の印が押されている限り。私共は名声と権威と経典を楯にとって叫ばない。唯、皆さんの理性に向かって、訴えるだけである。

○地上は今、破滅と混沌で一杯だ。絶望と争いと苦渋が満ち満ち、理性は既に地に墜ち、利己が地上に君臨している。私達は理性の回復を求める。誤謬を真理に、迷信を真知に、闇を光に変えたい。

○皆さんは、全て神の分身である。神は次のように言い給う、「ここに私の全ての法がある。そこに、汝の内に、私の分身がある。汝の傍には、この世を完全に出来る一切のものが備えられている、私は汝に全てのものを与えたのだから。汝は善でも悪でも、好きなものを選ぶことが出来る。汝は私の法に従うもよし、又従わぬも思いのまま」と。

○今地上のあらゆる所に、不満の雲が漂っている。しかし夢溢れる春と成就の夏が近付いてくる。その到来は、神の子等がの自由意志を鍛える歩調に応じ、早くもなり遅くもなる。世界のどこでもよい、今一人の人が他の一人を向上させようとすれば、その背後には、無数の霊魂がそれを助けようとひしめき合っている。どんな善への努力も失われることなく、どんな奉仕への願いも、無駄に終ることはない。

○多数の者達と同じように、私も、まさにそこまで来ている新時代を促進する為、ここ地上へやって来た。私がここへ来たのは、神法を人々に伝える為に、又、もし人がこの神法に従いさえすれば、神の恵みは無限に人々の中へ降り注ぐことを教える為に。

○幸せばかりがある筈なのに、ここは悲しみの国ばかり。光が満ちるべきなのに、ここは闇。豊饒が支配すべきなのに、ここにあるのは飢えばかり。神はあらゆるものを人類に与え給うたのに、その分配を妨げる者達がいる。ここに払拭されねばならない障害がある。

○何事も、目の前の結果で判断してはいけない。人は唯、物質の目だけで物を見るが、もし人が霊の目で物を見ることが出来れば、完全な正義が全ての人に等しく働いていることが分かるだろう。
 折に触れ、私は皆さんの祈りに耳を傾けることがあるが、もし、神がその全てをお聞き届けになれば、結果的にみて、それは皆さんの為によろしくないであろう。

○私は死後霊界に入った多くの人達と話をしたことがある。しかし誰に聞いても、一人として、霊の目をもって物を見る時、自分は神から善い取扱いを受けなかった、と言う者は一人もいなかった。

○地上には三つの課題がある。第一は無知、第二は悲しみ、第三が飢え。この三つはいつまでも消えないだろう。心霊知識が政治と結び付き、人々が心霊常識を見に付けて、それに従って生きるようになるまでは。

○しかし、勝利の潮は押し寄せて来る。古い秩序は死に、新しいものがこれに代わる。新時代の足音が近付いて来る。だからといって、もう暗い面は無くなるかと言うと、そうではない。なお、涙を流すこともあるし心を痛めることも多い。又、まだまだ大きな犠牲も起こる。

○神のものであるものは、犠牲なしでは、何事も成就しない。人は涙をもって、建設を贖い取らねばならない。大きな物質的不幸が来て、初めて人は霊的なものへ、心を向け始める。あらゆる物質的なものが倒れて後、初めて、人は一本のワラを求める。

○こうして、霊的真理が地上に芽を吹き始めると、人は新世界を-神法が所を得た世界を-建設し始める。しかしそれまでは依然として大きな苦悩が続くだろう。世界は決して完全無欠となることはない。世界が完全に近付けば、完全は一歩先に行って、こちらを振り返る。

○(問)地上の色々な経験-例えば戦争・苦しみ・精神的肉体的苦痛・病気・悲しみ・愛・憎しみ・喜び・幸福-これらは人類の進歩発展に不可欠なもので、神の計画の一部ですか。
 (答)いや、そうではない。神は戦争をつくり給わず、神は病を与え給わない。これらは全て、地上の人間が我の働きで、勝手につくり出した産物である。人類には学ぶべき事が多々あるが、しかしそれは人を苦しめたり、危害を加え合ったりしなくても、学び取れるものである。人間が勝手にでっち上げたものを、神がつくり出したものと誤解してはいけない。