○(問)神とは何ですか。
(答)神とは宇宙を貫く法である。神とは、あらゆる生命の背後にある創造力である。神とは完全な愛であり、完全な英知である。神とは、宇宙のありとあらゆる所に瀰漫(びまん)した存在である。
 神はあらゆる生命を満たし、あらゆるものの内部に在り給う。神は大いなる霊であり、生命であり、愛であり、又ありとあらゆる存在するものの全てであり給う。

○(問)聖書には、神は一羽の雀の落ちるのも知り給う、とあります。だが、この世には無数の人口があるのに、その人達の細部にわたってまで、神はどのようにして知り給うのですか。
(答)神とは宇宙の法である。神はあらゆるものの内部に在り、万物は又神である。魂は自らを知るが故に、神は魂を知り給う。雀は神であるが故に、神は雀を知り給う。神は震える葉の内部に在り給うから、震える葉は神である。地上と言わず、霊界と言わず、又人類に未知な世界においてさえ、神法は全てのものを支配し給う。この法の外に何ものも生じることなく、あらゆるものはこの法の絆の中に生じるから、神はあらゆる事を知り給う。

○(問)貴方のお話によると、神はあらゆるものの内に在って、あらゆるものの根源ということになります。すると、悪を為す者は神法の枠の中で悪をしているのですか。又戦争を願い人を憎悪する者は、やはり神法の枠の中でそうしているのですか。事実、人間は全て神の分身だから、神法の枠からはみ出すわけにはいかないわけですね。一体これは、どのように解釈したらよいのですか。
(答)完全があり不完全がある。しかし、不完全が発展して完全となるように、不完全の中には、完全の種子が宿っている。完全は完全から生まれることなく、ただ不完全からのみ生じる。
 生命とは、生々発展し、進歩向上し、顕現拡大するものである。善といい悪といい、それは単に、生命の進歩途上の階段にすぎない、そこが終点ではない。皆さんは中途半端な頭でものを判断するから、ここまでが善で、そこからは悪と言う。だが、それは人間的な観念にすぎない。皆さんがやがてもっと違った立場に立てば、善悪の判断も自ずから違ったものになる。しかし、神は常にあらゆるものの内部に在り給うのである。

○(問)では、地震も神が起こすものですか。
(答)神は法、あらゆるものを統べる法。法はあらゆるものを支配する。宇宙には、この法から外にあるものは何一つない。地震や雷が地上の人々に上のような疑問を起こすことを知っている。だがそれらも全て宇宙の一環をなしている。宇宙は進化しつつある、そこに住む者達が進化しつつあるのと同じように。物質世界はまだ完全から遙かに遠く、中々完全には到達しないであろう、更に更に進化を続けるたろう。

○(問)それは神も進歩しつつあるという意味ですか。
(答)いや、神は法であり、法は完全である。だが、地球に現れる神の部分ということなら、その現れは地球の進歩に応じて進化しつつある。よろしいか、地球は進歩しつつある、地震等の諸現象はその進歩のしるしである。かつて、地球は火と嵐の状態で発生し、今漸次、完全に向かって進歩している。

○(問)神と宇宙とは別のものですか。
(答)いや、宇宙とは単に神の反映にすぎない。神とは秩序である。蠅に世界が分かるか。魚に鳥の生命が分かるか。犬が人間のように考えられるか。星に空が分かるか。貴方に、貴方より広大な神のことが分かるか。だがその貴方でも、魂を発揮させればそのことが分かる。即ち、言葉を発しなくても、魂の静謐(せいひつ)の中に浸れば、貴方の霊は神へ向かって伸びていき、神と一つであることが分かる。このことは言葉で言い表せない。だが人の魂の静謐の中にあっては、又宇宙のあらゆるものの魂の内部にあっては、それが表現されているのである。

○(問)霊魂は個の意識を獲得する為には、物質界と接触しなければならないのですか。
(答)その通り。霊魂が意識をもつ為には、肉体をとって物質の経験を重ねなければならない。霊魂は物質から霊へと進歩する。その意味は、肉体をもつことによって、物質の窓を通して働きつつ、個性としての自己を発揮出来るようになる、ということである。霊は肉体経験を重ねて後、初めて自己を知るようになるのである。

○(問)では、神は私達を通じて、経験を獲得しつつあるのですか。
(答)いや、それは違う。既に完全なものに、人間の進歩が影響を与えるわけがない。

○(問)でも、私達は神の分身なのだから、部分である私達の進歩は全体に影響を与えるのではないですか。
(答)それは唯、貴方という形をとって現れている部分に影響するだけだ。その部分も本来完全なのだが、唯貴方を通じて働くことにおいて完全でないだけである。本来霊は完全である。霊は宇宙の根源的要素、霊は生命の息。だがその霊も、貴方を通じての表現の点では不完全なのである。その理由は、貴方が不完全だからだ。貴方は進歩するにつれて、もっともっと完全性を発揮出来るようになる。貴方は霊を進歩させているのではない。霊が自己表現する為の諸媒体を、進歩させつつあるのだ。

○(問)霊が自己発揮している諸媒体は、移り変っていく性質をもっているのですか。
(答)然り、法は完全である。但し貴方を通じて発揮されている法は完全ではない。それは貴方が完全ではないからだ。だが貴方が完全になればなる程、法はより多く貴方を通じて働くことが出来る。今ここに鏡と光があるとしよう。鏡は光を反射する。しかし鏡が曇っていれば、光をすっかり反射することは出来ない。貴方が鏡を完全なものにするに従い、多くの光を映すことが出来る。
 あらゆるものが絶えず、自己を掘り出している。生命とは磁石を砕き、磨き、苦労をして取り出す黄金のようなものだ。その黄金を善、磁石を悪と、誰が言うことが出来ようか。

○(問)しかし、私達は皆、善と悪との観念をもっています。
(答)善悪とは相対的なもので、魂が進歩の中途の段階にあることを示す観念にすぎない。魂がもっと高く向上すれば、そんなものは振り捨ててしまう。善悪は、まだ完全でない媒体を通じて、完全な法が自己発揮をしている時に、出て来る不完全さにすぎない。

○(問)すると、神は初源において、善ではなかったということですか。
(答)私は初めのことを知らない、又終わりのことも知らない。私に分かることは、ただ神は常に存在したし、今後も存在し続けるだろうということだけ。神法はその働きまことに完璧、だが今仮に、完全な光があっても、曇った鏡にこれを映せば、光の完全な姿を映すことは出来ない。しかしこの光をさして、不完全な悪だと言うわけにはいくまい。つまり魂はまだ、内在の完全性を表現する状態に達していないということだ。地上で悪と呼ぶものは、不完全さにすぎない、完全な神を不完全に表現しているものにすぎない。

○(問)創造者はただ一人、私達には何も創造出来ない、こう言ってよろしいか。
(答)神は過去、現在、未来にわたっていまし給う。あらゆる生命は神であり、神はあらゆる生命である。貴方には何が出来るか。しかし貴方もその魂を磨けば、浄化し進歩する。磨くこと少なければ、宇宙の中で貴方の地位も又低い。