二百年以上も前の1735年に施行された〝魔法行為取締法〟が埃を被った公的文書保管所から持ち出されて、物理霊媒のヘレン・ダンカンが投獄された。(巻末〝解説〟参照)
これを契機に次々と霊媒が迫害を受け、交霊会が警察の手で妨害された。スピリチュアリズムがかつてない大きな脅威に晒された時期だったが、そうした事態の中でシルバーバーチはこう語った。
「真理の行進を阻止出来る力は地上には存在しません。無数の霊媒を通じて地上へ流入しつつある霊力を挫けさせることの出来る者はいません。いかなる官憲の力、いかなる政治力、いかなる国家権力をもってしても地上から霊力を駆逐することは出来ません。
時既に遅しです。既に無数の道具すなわち霊媒や霊感者を通じて地上へ霊力が流入しており、慰安と援助と指導と治癒、そして霊的実在についての確信をもたらしております。霊的真理の勢いを阻止しようとしても、最早時既に遅しです。いかなる手段を企てても、結局は挫折します。巨大な霊の潮流が地上へと押し寄せているからです。
これまでもありとあらゆる弾圧の手段が企てられて来ました。磔刑がありました。宗教裁判がありました。火炙りの刑がありました。肉体的拷問、精神的拷問、その他、こうして痛めつけられることによって魂が救われるのだという狂気の信仰を抱く偏狭な宗教家によって、身の毛もよだつ手段が次々と案出されました。しかし、そのいずれも結局は効を奏しませんでした。〝光〟を見た霊覚者が次々と輩出し、導いてくれる霊力を信じ、永遠の真理を喘ぎ求めている人類への使命感に燃えて、その光の指し示すところに忠実に従ったのでした。
今の時代には最早磔刑や火炙りの刑は無くなりました。が、今あなた方は投獄という刑に直面しております。しかし、これまでに既に獄舎も霊的真理に対しては無力であることが証明されております。一世紀近くも続いているスピリチュアリズムの運動がそれ位のことで阻止出来ると思われますか。絶対に出来ません!
官憲力にせよ政治力にせよ、霊力を阻止せんとする企てをものともしない忠誠心に燃えた同志がいてくれる限り、私達の仕事に挫折はありません。私達がこうして地上へ戻って来たのは、唯物思想が生み出して来た利己主義による不公正と、無知と迷信を助長させてきた誤まった宗教的教義に終止符を打つ為です。その両者が結び付くと、人類全体を包み込んでしまう程の暗黒を生み出すことになります。が今や霊的真理の光が地上に根付き、最早それが根絶やしになることは有り得ません。
闘いの手を緩めてはなりません。真理は必ず勝つのです。どうしても切り抜けなければならない困難はあることでしょう。が、それが何であろうと、きっと克服出来ます。真理の証を手にした者が、薄暗い片隅をコソコソ歩いたり、首をうなだれヨタヨタした足取りで歩く必要はもう無くなりました。背筋を伸ばし、霊の使者として人類の霊的再生の為に、全ての者が等しく自由と寛容を享受出来る〝新しい世界〟を招来する為に、神のお召しに与ったのだという誇りをもってください。人間の霊性-これは神の霊性そのものなのです-を抑圧し弾圧し、その発現を阻止せんとするもの全てが姿を消してしまうことでしょう」
更に霊媒への迫害について-
「これからも霊の道具に対する攻撃は続くでしょう。心の奥でそういうものの存在を毛嫌いする人がまだまだ多いからです。しかし、それ位のことで霊の絶え間ない奔流が阻止出来ると考えても、もう時既に遅しです。満ち潮の勢いで押し寄せ、地上の何者によっても阻止出来なくなっております。小さな流れだった時から阻止出来なかったものが、大潮流となってから阻止出来る筈がありません。
私が会得した叡智の一つは、全体像を把握するということです。私は〝俗世にあって俗人となるなかれ〟という訓えの通りの立場にあります。あなた方のように目先の出来事に動かされることがありません。あなた方は物質界に身を置いている以上、その日その日の出来事に右往左往させられても無理のないことです。が、私の住処は霊界にあり、あなた方のご存知ない別の次元の摂理の働きを体験しております。その私の目に巨大な霊力が地球へ押し寄せているのが見えます。それで勝利は間違いないと確信しているのです。
苦しい思いをさせられる人もいることでしょう。しかしそれは先駆者として払わねばならない当然の犠牲なのです。どんなことがあっても自分の持ち場を死守し、そこから逃げ出すことがあってはなりません。自分に預けられた真理の宝石を死守するのです。真理を知った者の勇気ある生き方の手本を示すのです。かりそめにも〝ご覧なさい。霊的真理を吹聴していた人間がこのザマですよ〟などと言われるようなことのないように心掛けてください。
いかなる事態が生じようと、誰がいかなる攻撃に遭おうと、私達の仕事は止まることなく続けられます。病に苦しむ人の身体を癒し、悲しみに打ちひしがれた人の心を癒し、インスピレーションと真理を次々と送り届けて、少しでも多くの人々を目覚めさせてまいります。
それを阻止出来る程の力は地上には存在しません。それが宗教という名の外衣を纏ったものであろうとなかろうと、もう時既に遅しです」
確かにシルバーバーチはスピリチュアリストの集会への妨害行為が続く中にあって俗事を達観する態度を少しも崩さず、こう述べた。
「良くなる前には悪くなることがあるものです。私は少しも心配しておりません。今は時代が違います。磐石の基礎が出来ております。そのことは何度も申し上げております。もっともっと不自由な思いをさせられる方が身の為です。それがより大きな自由を得させてくれるからです。
しかも、その迫害の首謀者がスピリチュアリズムを目の敵にしている連中であることは実は有り難いことなのです。一致団結して共同して敵を迎え撃つ態勢を整えさせてくれることになるからです。所詮、神の道具の全てを投獄するわけにはいかないのです。霊的真理普及の為に捧げられている集会の門の全てを閉鎖させることは出来ないのです。
教会には最早霊的真理を追い払う力はなくなりました(第三巻95頁参照)。皆さんは、一握りの者が権力を振り回したあの暗黒時代(ヨーロッパの中世)に引き戻されたのではありません。それとは事情が異なります。今は一段と啓発された時代です。男女の区別なく自由を、霊の生命ともいうべき自由を味わっております。その自由は更に大きくなることはあっても、抑圧されることは有り得ません。
その自由の炎を燃やし続けさせることが私達の仕事の一環でもあるのです。魂に訴えて生きる熱情を燃え立たせ、自由を守る意欲に点火し、霊力によって生活態度が一新され活気付けられる、そうした方向へ手引きしてあげることです。
一旦束縛から解放された魂は隷属の状態を嫌うようになるものです。(当たり前のことを言っているようであるが、人間は抑圧され続けると何かに隷属している方が気楽に思える病的奴隷根性が芽生えてくる事実を踏まえて述べている-訳者)これまで私達は多くの人間を聖職者の策謀の檻から救い出し、神学の手枷を外してあげ、教義の足枷から解き放してあげて来ました。もう何ものにも束縛されなくなった自由の喜びを味わっている人が無数にいます。今や自由の身となったのです。自由の空気を満喫しています。自由解放の陽光の中で生きております。
ありません!心配の種は何一つありません。神の道具として目覚めていく霊媒が増えれば増える程スピリチュアリズムは勢力を増してまいります。一人でも多くの人を我々の霊力の行使範囲に手引きしてあげることが目的です。これは二つの側面をもった仕事です。一つは各自が潜在的に所有する霊的原動力を発動させることであり、もう一つは、その人達を背後霊の影響力下に置いてあげることです。
私は、同じ愛でも、家族的な絆に根ざした愛よりも、奉仕的精神に根ざした愛の方が遙かに尊いと信じている者の一人です。奉仕的精神から発動した愛の方が遙かに偉大です。自分という〝一個〟の存在の心と知性と魂を〝多数〟の人間の運命の改善に役立てようとする時、そこにはその見返りとしての己の栄光を一欠片も望まない〝光輝く存在〟を引き寄せます。生きる喜びを一欠片も味わうことを許されない無数の魂の存在を地上に見ているからです。
もしも皆さんが霊の目をもって見ることが出来れば、宇宙の全次元の存在の場を繋いでいる絆をご覧になることが出来るのですが、それがご覧頂けないのが残念です。それをご覧になれば、地上の誰一人として見棄てられたり取り残されたり無視されたり見落とされたりすることがないこと、霊的な繋がりが人間の知りうる限りの最低界から人間が想像し得る限りの最高界まで連綿として続いていることを理解されることでしょう。
その全次元を通じて〝光り輝く存在〟が隈なく待機し、連絡網を通じて霊力を一界又一界と段階的に送り届け、最後は物的チャンネル(霊媒・霊能者)を通して地上へ届けられます。
それはそれは強大なエネルギーです。その真の威力は地上の言語による説明の域を遙かに超えております。
皆さんの協力を得て私達は随分多くの成果を挙げてまいりました。しかし、まだまだ目標には到達しておりません。多くの仕事が為されましたが、これからも多くの仕事が為されることでしょう。そうとは知らずに影響を受けている人が大勢います。自分では無意識のまま霊力の通路となって役立っている人が大勢います。ご本人は何かしら感じるものがありながらも、それを説明出来ず、ましてや霊の世界、死後の世界からの働きかけとは思いも寄りませんが、しかし、普段の生活の中で常識では考えられないことが起きていることに気付いています。そういう人は皆さんから近付き易い条件を具えていることになります。
地上生活が五感のみによって営まれているとする古い概念が打ち破られたことは大きな収穫です。今や新しい概念が地上生活に行き渡りつつあります」
ここでメンバーの一人が「キリスト教が少しずつでもその説を改めた形跡は見当たりませんが・・・」と言うと、
「少しずつ身を削ぎ落とし古い概念を新しい概念と調和させようとする試みがなされつつある証拠が沢山見られます。過去一世紀に亘るキリスト教正教の歴史は、固定化した古い教義を新しい知識でもって解釈し直し、それがそれまでに説かれて来たものとは違って象徴的な意味でしかなかった、という受け取り方に向かう努力の長い記録であったと言えます。よくご覧になれば、それが延々と続けられて来ていることがお分かりになると思います。
先見の明のある牧師達は〝いや、これはもう通用しない。科学と知識と発明・発見によってこの宇宙は我々の先輩が考えたものよりも遙かに大きいことが分かったのだ〟と言います。無論一方には新しいワインを古いポットに注ぎ込もうと一生懸命になる日和見主義者もいます。が、全体として物の考え方に柔軟性が出て来ております。教義の説き方も過去のお座なりの用語は用いられなくなっております。
硬直した古い概念から抜け切れない者は次第に勢力を失っていきつつあります。近代的概念を摂り入れようとする者が次第に勢力を伸ばしつつあることを忘れてはなりません。それが進化というものの必然的な結果なのです。今尚その異常な精神構造の故に全く進歩というものが止まっている人間がいることは事実です。頑迷な形式主義に凝り固まった人間がいることはいます。しかし、それは最早大多数を占めていません。五十年前とは大分違います。
キリスト教界にも健全な合理的精神が働き始めております。知識の進歩と共に、かつての人間味たっぷりの神の概念が姿を引っ込めざるを得なくなりました。宇宙の広大さと複雑な組織、そこに満ち溢れる生命活動、人間の視界を超えた波動と放射線等について明かされた知識が、宗教についての概念を完全に塗り変えました。科学が四次元世界の存在を指摘している時代に、かつての天国と地獄の話が信じられるわけがありません。
我々の仕事は必ず勝利を収めます。真理は必ず勝つものだからです。ただ警戒を怠らないで頂きたいのは、真理を求めてあなた方に近付いて来る人達の中には、自分達の宗教の一部を補修するのに都合のよいものだけを盗み取ろうとする者がいることです。それを許してはなりません。私達が真理普及の為の道具、霊的才能を発揮出来る者を一人でも多く求めているのは、その霊的真理によって霊的生命がますます勢いを増してくれることを目的としているのです。そこに成長が得られるのです。霊的真理によって真の自我に目覚めた魂は、その真理の意味するところを決して忘れません。
霊界には、いついかなる時も、インスピレーションによる指導と鼓舞の手段を用意した霊の大軍が控えております。真剣に求めてしかも何一つ手にすることが出来ないということは絶対にありません。求める者には必ず救助と援助と指導が与えられます。かつて地上の為にこれ程大規模な活動が行われたことはありません。真摯に求める者の為に生きた真理の水を用意し、叡智に満ちた驚異的現象を用意し、霊の貯蔵庫が無尽蔵であること、いかなる要求にも応えられること、誰であろうと、どこにいようと、その恩恵に与ることが出来ることを知って頂く態勢が出来ております。
生まれや地位、身分、職業、民族、国家の別は関係ありません。又仕事で地下に潜っていても、海洋へ出ていても、空を飛んでいても、或いは列車に乗っていても、船に乗っていても、工場で働いている時も事務所で働いている時も、お店でお客の相手をしている時も、或いは家で家事に携わっている時も、常に霊の力の恩恵に与ることが出来るのです。
霊的貯蔵庫との波長が上手く調和しさえすれば、その恩恵に与ることが出来ます。各自がもつ受容能力に似合った分だけを授かります。何と素晴らしい真理でしょう。それなのに尚地上にはそれを否定する人がいます」
別の日の交霊会で、古来、迫害行為は決まって逆の効果を生んで来ていることを指摘して、こう続けた。
「迫害の手段に出る者は決まって彼等が意図したものとは全く異なる結果を招来するものです。あなた方の時代、このスピリチュアリズムの世紀においても同じことです。あなた方は図らずも多くの敵を拵えてしまいました。そして私がしばしば述べておりますように、彼等はスピリチュアリズムを阻止せんとして、ありとあらゆる陰湿な手段を平気で講じます。
宗教家をもって任ずる者、宗教というものが自ずから要求する神聖なる責務を自覚しなければならない筈の聖職者自らが、あらゆる倫理・道徳の規範にもとる態度を取っています。その態度はまさしく宗教という言葉から連想されるものと正反対です。しかし彼等がいかに力を結集して挑んでも、霊力の地上への降下を阻止することは出来ません。
今やいかなる組織をもって霊力の流れを阻止しようとしても、時既に遅しです。古びた法律や条件を引っ張り出すかも知れません。国家や警察の権力を操るかも知れません。しかし霊力の地上への顕現を阻止することは出来ません。
これまでに起きたことはもとより、これから生じるであろう出来事も、霊に目覚めた者が不安や恐怖を抱く程のものは何一つありません。忠誠心と自信とを持ち、背後より支援してくれるその力の存在を忘れることなく、真理はいかなる反抗勢力に遭っても、真理であるが故に耐え抜くものであることを確信して邁進すべきです。
私はいつも、昨日や今日の出来事によって直ぐに揺らぐようなことのない永遠不変の原理を説いております。永遠の実在-不変の摂理の働きに基礎をもつ実在の一部なのです。この知識を活用することによって、決断に際して不安も恐れもなく、自分が携えている真理は必ずや勝利を収めるのだという確信をもつことが出来ます。
この真理は既に地上に根付いております。役割を忠実に果たしておられる皆さんの存在が白日の下に晒されることになりますが、それを寧ろ天命として喜んで受け止めるべきです。なぜならば、それは我々の説く真理によって困惑すべき者を困惑させて行きつつあることの証左だからです。本当はとうの昔に取り除かれるべきだったものを今、新しいホウキによって掃き取っているところなのてす。その過程にも教訓的要素が意図されております。が、掃き取られる側がそう大人しく引き下がるわけがないでしょう。当然の成り行きとして、そこに闘争が生じます。
それも栄誉ある闘争の一部です。その背後には霊の大軍が控えております。光り輝く天使の群の援助を得ている我々に絶対に挫折はありません」
更に別の機会にもこの度の投獄事件に関連してこう述べた。
「かなり前に私は皆さんにこう申し上げたことがあります。我々に敵対する勢力は古い言いがかりを体よく飾り、法律と国家権力を盾にして攻撃してくるでしょう、と。
しかし、時既に遅しです。それ位のことで霊力が挫けることはありません。私達の勢力は、生命が永遠であること、人間は例外なく死後も生き続けること、愛に死はなく、死者への哀悼は無用であること、そして宇宙には誰にでも分け隔てなく与えられる無限の霊的叡智と愛とインスピレーションの泉があることを教えたくて戻って来る男女によって編成されているのです。
特別に神からの特権を授かる者は一人もいません。真摯なる者、謙虚なる者、ひたすらに真理を求める者、古い伝説や神話をかなぐり棄て、一旦受け入れた真理に素直に従う用意の出来た者のみが、新しい世界の価値ある住民としての特権を得るのです。
教会といえども、法律といえども、裁判官といえども、インスピレーションの泉に蓋をすることは出来ません。その流れは止めどもなく続きます。皆さんは何者をも恐れることなく、人類を迷信の足枷から解き放し、無知の束縛から救い出す真理の擁護者としての決意をもって邁進しなくてはいけません」
これを契機に次々と霊媒が迫害を受け、交霊会が警察の手で妨害された。スピリチュアリズムがかつてない大きな脅威に晒された時期だったが、そうした事態の中でシルバーバーチはこう語った。
「真理の行進を阻止出来る力は地上には存在しません。無数の霊媒を通じて地上へ流入しつつある霊力を挫けさせることの出来る者はいません。いかなる官憲の力、いかなる政治力、いかなる国家権力をもってしても地上から霊力を駆逐することは出来ません。
時既に遅しです。既に無数の道具すなわち霊媒や霊感者を通じて地上へ霊力が流入しており、慰安と援助と指導と治癒、そして霊的実在についての確信をもたらしております。霊的真理の勢いを阻止しようとしても、最早時既に遅しです。いかなる手段を企てても、結局は挫折します。巨大な霊の潮流が地上へと押し寄せているからです。
これまでもありとあらゆる弾圧の手段が企てられて来ました。磔刑がありました。宗教裁判がありました。火炙りの刑がありました。肉体的拷問、精神的拷問、その他、こうして痛めつけられることによって魂が救われるのだという狂気の信仰を抱く偏狭な宗教家によって、身の毛もよだつ手段が次々と案出されました。しかし、そのいずれも結局は効を奏しませんでした。〝光〟を見た霊覚者が次々と輩出し、導いてくれる霊力を信じ、永遠の真理を喘ぎ求めている人類への使命感に燃えて、その光の指し示すところに忠実に従ったのでした。
今の時代には最早磔刑や火炙りの刑は無くなりました。が、今あなた方は投獄という刑に直面しております。しかし、これまでに既に獄舎も霊的真理に対しては無力であることが証明されております。一世紀近くも続いているスピリチュアリズムの運動がそれ位のことで阻止出来ると思われますか。絶対に出来ません!
官憲力にせよ政治力にせよ、霊力を阻止せんとする企てをものともしない忠誠心に燃えた同志がいてくれる限り、私達の仕事に挫折はありません。私達がこうして地上へ戻って来たのは、唯物思想が生み出して来た利己主義による不公正と、無知と迷信を助長させてきた誤まった宗教的教義に終止符を打つ為です。その両者が結び付くと、人類全体を包み込んでしまう程の暗黒を生み出すことになります。が今や霊的真理の光が地上に根付き、最早それが根絶やしになることは有り得ません。
闘いの手を緩めてはなりません。真理は必ず勝つのです。どうしても切り抜けなければならない困難はあることでしょう。が、それが何であろうと、きっと克服出来ます。真理の証を手にした者が、薄暗い片隅をコソコソ歩いたり、首をうなだれヨタヨタした足取りで歩く必要はもう無くなりました。背筋を伸ばし、霊の使者として人類の霊的再生の為に、全ての者が等しく自由と寛容を享受出来る〝新しい世界〟を招来する為に、神のお召しに与ったのだという誇りをもってください。人間の霊性-これは神の霊性そのものなのです-を抑圧し弾圧し、その発現を阻止せんとするもの全てが姿を消してしまうことでしょう」
更に霊媒への迫害について-
「これからも霊の道具に対する攻撃は続くでしょう。心の奥でそういうものの存在を毛嫌いする人がまだまだ多いからです。しかし、それ位のことで霊の絶え間ない奔流が阻止出来ると考えても、もう時既に遅しです。満ち潮の勢いで押し寄せ、地上の何者によっても阻止出来なくなっております。小さな流れだった時から阻止出来なかったものが、大潮流となってから阻止出来る筈がありません。
私が会得した叡智の一つは、全体像を把握するということです。私は〝俗世にあって俗人となるなかれ〟という訓えの通りの立場にあります。あなた方のように目先の出来事に動かされることがありません。あなた方は物質界に身を置いている以上、その日その日の出来事に右往左往させられても無理のないことです。が、私の住処は霊界にあり、あなた方のご存知ない別の次元の摂理の働きを体験しております。その私の目に巨大な霊力が地球へ押し寄せているのが見えます。それで勝利は間違いないと確信しているのです。
苦しい思いをさせられる人もいることでしょう。しかしそれは先駆者として払わねばならない当然の犠牲なのです。どんなことがあっても自分の持ち場を死守し、そこから逃げ出すことがあってはなりません。自分に預けられた真理の宝石を死守するのです。真理を知った者の勇気ある生き方の手本を示すのです。かりそめにも〝ご覧なさい。霊的真理を吹聴していた人間がこのザマですよ〟などと言われるようなことのないように心掛けてください。
いかなる事態が生じようと、誰がいかなる攻撃に遭おうと、私達の仕事は止まることなく続けられます。病に苦しむ人の身体を癒し、悲しみに打ちひしがれた人の心を癒し、インスピレーションと真理を次々と送り届けて、少しでも多くの人々を目覚めさせてまいります。
それを阻止出来る程の力は地上には存在しません。それが宗教という名の外衣を纏ったものであろうとなかろうと、もう時既に遅しです」
確かにシルバーバーチはスピリチュアリストの集会への妨害行為が続く中にあって俗事を達観する態度を少しも崩さず、こう述べた。
「良くなる前には悪くなることがあるものです。私は少しも心配しておりません。今は時代が違います。磐石の基礎が出来ております。そのことは何度も申し上げております。もっともっと不自由な思いをさせられる方が身の為です。それがより大きな自由を得させてくれるからです。
しかも、その迫害の首謀者がスピリチュアリズムを目の敵にしている連中であることは実は有り難いことなのです。一致団結して共同して敵を迎え撃つ態勢を整えさせてくれることになるからです。所詮、神の道具の全てを投獄するわけにはいかないのです。霊的真理普及の為に捧げられている集会の門の全てを閉鎖させることは出来ないのです。
教会には最早霊的真理を追い払う力はなくなりました(第三巻95頁参照)。皆さんは、一握りの者が権力を振り回したあの暗黒時代(ヨーロッパの中世)に引き戻されたのではありません。それとは事情が異なります。今は一段と啓発された時代です。男女の区別なく自由を、霊の生命ともいうべき自由を味わっております。その自由は更に大きくなることはあっても、抑圧されることは有り得ません。
その自由の炎を燃やし続けさせることが私達の仕事の一環でもあるのです。魂に訴えて生きる熱情を燃え立たせ、自由を守る意欲に点火し、霊力によって生活態度が一新され活気付けられる、そうした方向へ手引きしてあげることです。
一旦束縛から解放された魂は隷属の状態を嫌うようになるものです。(当たり前のことを言っているようであるが、人間は抑圧され続けると何かに隷属している方が気楽に思える病的奴隷根性が芽生えてくる事実を踏まえて述べている-訳者)これまで私達は多くの人間を聖職者の策謀の檻から救い出し、神学の手枷を外してあげ、教義の足枷から解き放してあげて来ました。もう何ものにも束縛されなくなった自由の喜びを味わっている人が無数にいます。今や自由の身となったのです。自由の空気を満喫しています。自由解放の陽光の中で生きております。
ありません!心配の種は何一つありません。神の道具として目覚めていく霊媒が増えれば増える程スピリチュアリズムは勢力を増してまいります。一人でも多くの人を我々の霊力の行使範囲に手引きしてあげることが目的です。これは二つの側面をもった仕事です。一つは各自が潜在的に所有する霊的原動力を発動させることであり、もう一つは、その人達を背後霊の影響力下に置いてあげることです。
私は、同じ愛でも、家族的な絆に根ざした愛よりも、奉仕的精神に根ざした愛の方が遙かに尊いと信じている者の一人です。奉仕的精神から発動した愛の方が遙かに偉大です。自分という〝一個〟の存在の心と知性と魂を〝多数〟の人間の運命の改善に役立てようとする時、そこにはその見返りとしての己の栄光を一欠片も望まない〝光輝く存在〟を引き寄せます。生きる喜びを一欠片も味わうことを許されない無数の魂の存在を地上に見ているからです。
もしも皆さんが霊の目をもって見ることが出来れば、宇宙の全次元の存在の場を繋いでいる絆をご覧になることが出来るのですが、それがご覧頂けないのが残念です。それをご覧になれば、地上の誰一人として見棄てられたり取り残されたり無視されたり見落とされたりすることがないこと、霊的な繋がりが人間の知りうる限りの最低界から人間が想像し得る限りの最高界まで連綿として続いていることを理解されることでしょう。
その全次元を通じて〝光り輝く存在〟が隈なく待機し、連絡網を通じて霊力を一界又一界と段階的に送り届け、最後は物的チャンネル(霊媒・霊能者)を通して地上へ届けられます。
それはそれは強大なエネルギーです。その真の威力は地上の言語による説明の域を遙かに超えております。
皆さんの協力を得て私達は随分多くの成果を挙げてまいりました。しかし、まだまだ目標には到達しておりません。多くの仕事が為されましたが、これからも多くの仕事が為されることでしょう。そうとは知らずに影響を受けている人が大勢います。自分では無意識のまま霊力の通路となって役立っている人が大勢います。ご本人は何かしら感じるものがありながらも、それを説明出来ず、ましてや霊の世界、死後の世界からの働きかけとは思いも寄りませんが、しかし、普段の生活の中で常識では考えられないことが起きていることに気付いています。そういう人は皆さんから近付き易い条件を具えていることになります。
地上生活が五感のみによって営まれているとする古い概念が打ち破られたことは大きな収穫です。今や新しい概念が地上生活に行き渡りつつあります」
ここでメンバーの一人が「キリスト教が少しずつでもその説を改めた形跡は見当たりませんが・・・」と言うと、
「少しずつ身を削ぎ落とし古い概念を新しい概念と調和させようとする試みがなされつつある証拠が沢山見られます。過去一世紀に亘るキリスト教正教の歴史は、固定化した古い教義を新しい知識でもって解釈し直し、それがそれまでに説かれて来たものとは違って象徴的な意味でしかなかった、という受け取り方に向かう努力の長い記録であったと言えます。よくご覧になれば、それが延々と続けられて来ていることがお分かりになると思います。
先見の明のある牧師達は〝いや、これはもう通用しない。科学と知識と発明・発見によってこの宇宙は我々の先輩が考えたものよりも遙かに大きいことが分かったのだ〟と言います。無論一方には新しいワインを古いポットに注ぎ込もうと一生懸命になる日和見主義者もいます。が、全体として物の考え方に柔軟性が出て来ております。教義の説き方も過去のお座なりの用語は用いられなくなっております。
硬直した古い概念から抜け切れない者は次第に勢力を失っていきつつあります。近代的概念を摂り入れようとする者が次第に勢力を伸ばしつつあることを忘れてはなりません。それが進化というものの必然的な結果なのです。今尚その異常な精神構造の故に全く進歩というものが止まっている人間がいることは事実です。頑迷な形式主義に凝り固まった人間がいることはいます。しかし、それは最早大多数を占めていません。五十年前とは大分違います。
キリスト教界にも健全な合理的精神が働き始めております。知識の進歩と共に、かつての人間味たっぷりの神の概念が姿を引っ込めざるを得なくなりました。宇宙の広大さと複雑な組織、そこに満ち溢れる生命活動、人間の視界を超えた波動と放射線等について明かされた知識が、宗教についての概念を完全に塗り変えました。科学が四次元世界の存在を指摘している時代に、かつての天国と地獄の話が信じられるわけがありません。
我々の仕事は必ず勝利を収めます。真理は必ず勝つものだからです。ただ警戒を怠らないで頂きたいのは、真理を求めてあなた方に近付いて来る人達の中には、自分達の宗教の一部を補修するのに都合のよいものだけを盗み取ろうとする者がいることです。それを許してはなりません。私達が真理普及の為の道具、霊的才能を発揮出来る者を一人でも多く求めているのは、その霊的真理によって霊的生命がますます勢いを増してくれることを目的としているのです。そこに成長が得られるのです。霊的真理によって真の自我に目覚めた魂は、その真理の意味するところを決して忘れません。
霊界には、いついかなる時も、インスピレーションによる指導と鼓舞の手段を用意した霊の大軍が控えております。真剣に求めてしかも何一つ手にすることが出来ないということは絶対にありません。求める者には必ず救助と援助と指導が与えられます。かつて地上の為にこれ程大規模な活動が行われたことはありません。真摯に求める者の為に生きた真理の水を用意し、叡智に満ちた驚異的現象を用意し、霊の貯蔵庫が無尽蔵であること、いかなる要求にも応えられること、誰であろうと、どこにいようと、その恩恵に与ることが出来ることを知って頂く態勢が出来ております。
生まれや地位、身分、職業、民族、国家の別は関係ありません。又仕事で地下に潜っていても、海洋へ出ていても、空を飛んでいても、或いは列車に乗っていても、船に乗っていても、工場で働いている時も事務所で働いている時も、お店でお客の相手をしている時も、或いは家で家事に携わっている時も、常に霊の力の恩恵に与ることが出来るのです。
霊的貯蔵庫との波長が上手く調和しさえすれば、その恩恵に与ることが出来ます。各自がもつ受容能力に似合った分だけを授かります。何と素晴らしい真理でしょう。それなのに尚地上にはそれを否定する人がいます」
別の日の交霊会で、古来、迫害行為は決まって逆の効果を生んで来ていることを指摘して、こう続けた。
「迫害の手段に出る者は決まって彼等が意図したものとは全く異なる結果を招来するものです。あなた方の時代、このスピリチュアリズムの世紀においても同じことです。あなた方は図らずも多くの敵を拵えてしまいました。そして私がしばしば述べておりますように、彼等はスピリチュアリズムを阻止せんとして、ありとあらゆる陰湿な手段を平気で講じます。
宗教家をもって任ずる者、宗教というものが自ずから要求する神聖なる責務を自覚しなければならない筈の聖職者自らが、あらゆる倫理・道徳の規範にもとる態度を取っています。その態度はまさしく宗教という言葉から連想されるものと正反対です。しかし彼等がいかに力を結集して挑んでも、霊力の地上への降下を阻止することは出来ません。
今やいかなる組織をもって霊力の流れを阻止しようとしても、時既に遅しです。古びた法律や条件を引っ張り出すかも知れません。国家や警察の権力を操るかも知れません。しかし霊力の地上への顕現を阻止することは出来ません。
これまでに起きたことはもとより、これから生じるであろう出来事も、霊に目覚めた者が不安や恐怖を抱く程のものは何一つありません。忠誠心と自信とを持ち、背後より支援してくれるその力の存在を忘れることなく、真理はいかなる反抗勢力に遭っても、真理であるが故に耐え抜くものであることを確信して邁進すべきです。
私はいつも、昨日や今日の出来事によって直ぐに揺らぐようなことのない永遠不変の原理を説いております。永遠の実在-不変の摂理の働きに基礎をもつ実在の一部なのです。この知識を活用することによって、決断に際して不安も恐れもなく、自分が携えている真理は必ずや勝利を収めるのだという確信をもつことが出来ます。
この真理は既に地上に根付いております。役割を忠実に果たしておられる皆さんの存在が白日の下に晒されることになりますが、それを寧ろ天命として喜んで受け止めるべきです。なぜならば、それは我々の説く真理によって困惑すべき者を困惑させて行きつつあることの証左だからです。本当はとうの昔に取り除かれるべきだったものを今、新しいホウキによって掃き取っているところなのてす。その過程にも教訓的要素が意図されております。が、掃き取られる側がそう大人しく引き下がるわけがないでしょう。当然の成り行きとして、そこに闘争が生じます。
それも栄誉ある闘争の一部です。その背後には霊の大軍が控えております。光り輝く天使の群の援助を得ている我々に絶対に挫折はありません」
更に別の機会にもこの度の投獄事件に関連してこう述べた。
「かなり前に私は皆さんにこう申し上げたことがあります。我々に敵対する勢力は古い言いがかりを体よく飾り、法律と国家権力を盾にして攻撃してくるでしょう、と。
しかし、時既に遅しです。それ位のことで霊力が挫けることはありません。私達の勢力は、生命が永遠であること、人間は例外なく死後も生き続けること、愛に死はなく、死者への哀悼は無用であること、そして宇宙には誰にでも分け隔てなく与えられる無限の霊的叡智と愛とインスピレーションの泉があることを教えたくて戻って来る男女によって編成されているのです。
特別に神からの特権を授かる者は一人もいません。真摯なる者、謙虚なる者、ひたすらに真理を求める者、古い伝説や神話をかなぐり棄て、一旦受け入れた真理に素直に従う用意の出来た者のみが、新しい世界の価値ある住民としての特権を得るのです。
教会といえども、法律といえども、裁判官といえども、インスピレーションの泉に蓋をすることは出来ません。その流れは止めどもなく続きます。皆さんは何者をも恐れることなく、人類を迷信の足枷から解き放し、無知の束縛から救い出す真理の擁護者としての決意をもって邁進しなくてはいけません」